ずいぶんごぶさたしました。
いかにも夏らしい日がつづきますがいかがお過ごしでしょうか。
今日はすこしご報告を。
先月末に母方の祖父が亡くなりました。
慢性的な肺気腫が肺炎をこじらせたことで悪化してco2ナルコーシスがなんだとかかんだとか。
あわただしくばたばたとした最期でした。
長くて短い三日間を、乱文ですが覚書程度に残しておこうと思います。
祖父が病院に運ばれたと母から電話で聞かされたのは、月曜日の朝7時でした。
緊急とはいえ面会時間が絶対の病院だったため、午前中は出社し、午後からお休みをもらって帰りました。
直接向かってもよかったのですが、着替えのため一旦帰宅。
お医者さんからは、もう意識が戻ることはないだろうと聞いていました。
いちごとりんごの柄のカラフルなワンピースとレース編みのカーディガン。
派手なお洋服を着ていこうと思いました。
黒くて重い服はあとでいやというほど着るのだから、明るくてかわいくて、祖父が喜んでくれそうな服を。
ひさしぶりに会う祖父は、酸素のチューブがつながれて、口でぜろぜろと呼吸をして、いままで見たことのない「病人の顔」をしていました。
祖父はずっとげんきで、脳梗塞で倒れて半身が麻痺したときも、病院をきらって早く家に帰りたがるような人でした。
ぼけもせず頭もしゃんとしていて、いつでもかっこうをつけたがる人が、そこで老人のような顔をして横たわっていた。
ねえ、もういっかいくらい、かわいい孫の顔見とこう?
そう言ってみても、ベッドにいるその人のまぶたは溶けたように、もう開くことはないとわかりました。
息を引き取ったと知らせを受けたのは翌朝、火曜日の朝。
作ってしまったから食べてしまわないといけないゴーヤチャンプルーがあって、吐きそうになりながら、泣きながらフライパンから直接食べました。
食べるということは、いきるということなんだなと、いのちの終わりにふれるときいつも思います。
午前中出社して、おうちに戻って、黒いワンピースを着ました。
葬儀式場の一室、白装束を着た祖父が、立派な布団に寝かされてそこにいました。
ドラマのように白い布がかぶされていて、布をとれば、勝手に嗚咽がこみ上げました。
頬にふれる。
きのうふれた頬のやわらかさはなくて、ひとはほんとうにかたくつめたくなってしまうのだなと思った。
だけど表情はきのうよりもずっといつもの祖父らしくなっていて、むしろきのうのほうが、あんなかっこう見られたくなかったよね、ごめんね、と思いました。
火葬場の奥行きが決まっているから、棺の長さも決まっているのだそうです。
棺には最初に御納棺茶という香りのよいお茶の葉をまいて、それから樒という魔よけになると言われる植物の葉を散らし、そこにお布団を敷きます。
おじいちゃんは棺にぎりぎりだったから、大概のひとは足をまげて棺に入ることになるんだろうな、とふと思いました。
よそゆきのスーツや、いつも予定を書き込んでいたカレンダー、たばこは銀紙をやぶってすぐに吸えるように一本を出して。
たくさんのものを棺に詰めました。でも、祖父が本当はなにを入れてほしかったのか、もう知るすべもないのですね。
お通夜の最後で、蓮わたし?だったか、はじめて見る儀式をしました。
蓮の葉、蓮の花、蕾を、血の濃い人から順に七人、棺に入れていく儀式です。
三途の川は船で渡る説と自分の足で渡る説があり、「生前重い罪をおかした人は流れの強いところを、軽い罪の人は浅瀬を、罪のない人は橋を渡れる」という話から、故人の足が万が一にも濡れないよう蓮を渡しましょう、ということなのだとか。
わたしも七番目に入っていたため蕾をもらい棺に入れたのですが、「今ならきっとまだ声が届きます」ということばに、視界がかすんでしまいました。
きのうだって届かなかったと思うのに、今、届くわけがない。
そう思いはすれども、おもわず信じてしまいたくなってしまうものでした。
おじいちゃんの足が濡れませんように。
その道行きがすこしでも平坦でありますように。
お通夜を終えて、式場に泊まったのはわたしと母のふたりでした。
すごいんですよ。親族控え室。
シャワーがあるだけかと思いきや、バスタブがあって、浴衣もあって、アメニティは資生堂で。
なんの疑いもなくバスタブにお湯をはってつかって髪まで洗って出てきたら、葬儀式場でそこまでくつろぐのお前くらいだと思うよ!と親戚一同に笑われてまことに遺憾です。
だって暑かったし寒かったんだもの…。
ずっと親戚が出たり入ったりだったのであまりねむれなくて、寝ずの番ではないけれど何度もお線香をかえました。
かえるたびに棺をのぞきました。
窓には温度を上げないためにフィルムが貼られていて、祖父のいるお部屋は強く冷房がかけられていて、それでも朝方には中のドライアイスが溶けて棺を濡らしていました。
水曜日の朝。
身づくろいをして黒くて重いワンピースを。
憔悴しきった真っ赤な目たちが、並んであさごはんを食べていました。
お葬式は十時から。
お焼香のあと、ひたすらに丁寧な動きで棺が引き出されて、さいごに蓋が開けられて、たくさんのお花をあふれるほど詰めました。
赤が好きだった祖父のために薔薇やカーネーションが用意されていて、その赤いお花たちで顔のまわりを飾りました。
ねえ、真っ赤なワンピースでもあればよかったのに。
窓を開けるたび、閉めるたび、棺を動かすたび、こまやかに合掌がささげられていて、それを見ながら、あれはもうわたしのおじいちゃんじゃなくなって、合掌されるべき、合掌をよろこぶ、旅立つただのいのちのかたまりになってしまったのだなと思いました。
わたしのおじいちゃんはもういなくて、ここにはいなくて、生まれ変わったとしてももう、永遠に、会えるかわからない。
火葬場へ行くのははじめてのことでした。
古いエレベーターのようなドアが並んでいて、それぞれに名札がかけられていて。
コンロの五徳のようなものの上に棺は乗せられ、オーブンの中のような場所に詰められて、緑色のふるくさく頑丈なドアが閉まる。
ぱちりとドアの上のライトが点けられて、それで終わりで、そこでわたしたちができたことはたった一回のお焼香だけでした。
それから食事でしたが、どんな味がしたのか覚えていません。
祖父がアイスケーキが好きだったことを思い出してこっそりと棺に詰めたかったのですが、お店が開くのがちょうどお葬式の始まる時間だったので、断念して。
だからこの時間に、かわりにわたしがアイスを食べました。
祖父のお誕生日にアイスケーキを買ってきてみんなで食べた。
それがもういつだったか思い出せない。
三時間とすこし経って、わたしたちは再び火葬場へ戻りました。
ひとがいなくなる、ということを、わたしはここで物理的に理解したと思います。
さっき五徳の上に乗せられた大きな棺は、跡形もなく消えうせていました。
スーツや、ぬいぐるみや、たばこや、そして水分でしかないあふれんばかりのお花。
あんなにたくさんのものが詰まっていたはずなのに。おじいちゃんがそこにいたはずなのに。
五徳の上にはなにもなかった。
ただまばらにしろいかたまりが散らばっていて、それが骨だというのです。
箸を渡され、促されるまま寄れば、お骨にまじって眼鏡が落ちているのを見ました。
何十年も使ったからだはたった三時間で焼けてしまうのに、眼鏡は残る。
まっしろできれいなお骨でした。
その後初七日の儀までを終え、お墓へ向かいました。
この二日で何回お焼香をしたかわからない。四回くらい?
墓石はこれからなので、ただ土を掘りお骨を埋めるだけでした。
お墓は山の上にあり、日差しは強いけれど風は涼しくて、空は遠く青くて、ひぐらしまで鳴いていて、暑い日だったと思い出すのかな、と、思いました。
もう会えない、もういない、と思うと、こらえきれなくて涙がこぼれます。
げんきだと思ってた。
まだつづくと思ってた。
かっこよくて、だいすきなおじいちゃん、でした。
本調子にはまだすこし、時間がかかりそうです。