念願かなって修学院離宮を訪れる機会を得ました。離宮にも魅力があったのですが、後水尾上皇にも興味があたのです。徳川将軍家が絶大な権力を高めていく中、天皇家は、その権威を急速に弱めらえていた激動の時代を生き抜いた上皇だったからです。そして、大変な文化人であったことにも興味をひかれていました。

 その上皇が造営した離宮は、比叡山の麓、東山連峰の山裾に広がる広大な山荘です。三つの離宮、山林、松並木の道とその両側に広がる田畑で構成されていました。杮葺の屋根と透かし彫りの御幸門から足を踏み入れた下離宮、天下の三棚と称される霞棚の客殿が建てられている中離宮、泳ぐ龍の姿に見立てられた島や千歳橋が架けられている浴龍池は、京都市内が一望できる上離宮の茶屋から眺めることができました。松並木と田畑を抜けたところにある上離宮は、後水尾上皇がゆったりと過ごした時間を感じます。

 一時間半をかけて歩いた修学院離宮は、予約をしてまで訪れた甲斐があったというものでした。紅葉の季節にもう一度訪れてみたい京都の名所でした。