hisoka44-54のブログ

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老後の愉しみ老だけど

年が明けた らしい

大みそかまで仕事で2日も出勤

去年までは元旦も仕事だったから 元旦休みは8年ぶりか

 

二か所勤務は1月いっぱいで終わる予定

通勤1時間はやっぱ時間の無駄って感じで

人間関係は良好

仕事内容も慣れたもので信頼度抜群

 

だからこそ 今 

惜しまれるうちに去りたいってのは見栄かなぁ

やめる宣言から月4~6回を1年

引継ぎなどとっくに終わってる

 

ってことで、近所のパートの出勤日数を増やすかどうか検討中

 

今年もよろしく

 

 

 

義理の妹がけがで入院した

夫や義母がいろいろ世話をしている

私は見舞いにもいかない

 

叔父の時は私が率先して動いた

義母も夫も二の足踏んでた感じだから

 

私は必要とされる場面では動くが

他に動く人がいれば動かない

 

合理的という表現が正しいかどうか

冷たいってことでもなく

心が動かないって感じ

 

この歳になって かなり意固地になってきたかも

 

何かしたいと思いながら

何もしないとき

しなければいけないことが少しだけあるとき

 

別に今日でなくてもなんて思いながら

明日になればそれを忘れ

 

やりたいことをやるって

思うより難しく

 

やるべきことをやるほうが簡単

 

夢と現実ってやつ⤴

 

なんとなくやりたい かな⤴くらいのリアル

 

10分後には忘れてる

ふしぎとさびしいとはおもわない
くるしいともおもわない
みたされているから

ちがうな
はじめからもとめていないから

ふあんさえのみこんでしまう
けんこうないぶくろ

ふとうめいなみらいさえみえるきがする
けんこうなひとみ

しぬこともかんびにかえる
けんこうなしこう

ふこうもこうふくにかえる
このてのひら

ふあんていなじめんでさえ
ふみしななければあんていする

よのなかなんて
それでしのげる

・・・・・・・・・・・・・・

 

※全部ひらがなで書くとちょっとキテル感が二割増し と思っていた節があります※

※句読点段落なしで感情ダダ流しってのも当時マイブームでした★※
 

酸素が 体中に充満し
外に出たいと 騒ぎ出す

脳を直撃し
手足がしびれ
痙攣し

何も 見たくないと
何も 聴きたくないと 

心が叫ぶから

呼吸器は 感応し
有り余る 酸素をとりつづける

硬直した体は
手足を麻痺させるけど
聴覚も視覚も その範疇には無く

心は まだ
叫びつづけている 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※過去ログで探し物をしていたら見つけた うん 私の過呼吸はこんな感じかなぁ

 あの頃は呼吸数を常に数えていた 遠い目 ※

 

振り返るしかないのなら
つらすぎるから

前を見るしかないのなら
息が詰まるから

とりあえず
今を生きよう。。 

 

・・・・・・・・・・・・

※ このころはsakura43との対比として存在してたから「生きずらい」がテーマの詩が多い

こんなこと書きながらも68歳まで生きてるんだから そんなもんです★※

生きるという事がもっと身近に感じられた頃 とりあえず今の空腹を何とかするために誰しもが生きていたのだろう

空腹と言う状態が文字どうり生死に関わる と言う生活を送っている人たちが今もたくさんいるのだろう
その人たちはきっと「お仕事しないと、生きていけない」などと悠長な事を子供には教えない
とりあえず生き延びるすべと それでも生きていくための喜びをきっと教えるだろう

生きていくための喜びは 生きると言う事の苦しさを知っている人ならばおのずと感じるかもしれない

ただ今日を、何事もなく、当たり前のように生きている
楽しいとも感じずにおおきな苦しみもなく それでいて 生きること事態が無意味 なんてせりふを吐いてみたくなる

動物園の熊よりも怠惰で サーカスの熊よりも姑息で

世界中でほんの一握りの 飽食の時代に生まれた不幸を背負いながら。。。 

 

・・・・・・・・・・・・

 

※だからなに?って感じで何が言いたかったか今となってはわからんけど 上から目線は今も変わらんかも※

どちらが幸せかと問われれば私は迷わずサーカスの熊と答えるだろう

どちらの熊も食べるために生きなくてもいい

教えられた芸をするということは在る意味 必要とされていると言う事で 鞭という叱咤と角砂糖という激励をもらえる

何もせずただのんびりと過ごしているようで その実本能からは不自然に目を背けている動物園の熊よりはまだまし。

と言う程度に。。

どうあがいてもその環境から抜け出せないのなら私はサーカスの熊になりたい

何もしない という事が私にとっては何よりの苦痛だから

 

・・・・

※と若かりし頃は思っていた

今は動物園でもいいかも・・※

 

あと一話続く

そもそも生き物と言うものは、生きるために食べるのであって、食べ物を探す事が仕事のはず

人間は 食べ物を探す以外の仕事が多すぎる
もちろん社会構造的に金を稼ぐ、という事が食べる事につながるのだけれど、食べる以外のための金が必要すぎる

遊ぶ事が仕事のはずの子供達が 将来のためという名目で

勉強や躾 と銘打った受験テクニックを仕事とする

サーカスの熊は、食べるために芸をする

動物園の熊は食べるために、怠惰に過ごす

「仕事をしないと食べられない」

この言葉を5歳の子供に嬉々として言い放つ親の心には何が映っているのだろう
お手伝いや勉強、それが仕事なら、生きると言うこうとを学ぶ遊びは勉強ではないのだろうか

知育でなく、ただ本能的に身体を動かす事
教育でなく、虫や鳥に興味を持つこと
躾でなく、他者との距離や関係を学ぶ事

それは遊びの中からも育まれるのに

水族館でイルカのショーを見たとき 5歳くらいの子供に母親が言っていた言葉
「イルカさんもお仕事しないとご飯もらえないんだよね 人間と一緒だね」

サーカスにいたとき 月の輪熊がいた
チェコから来た熊
鉄棒や綱渡り、三輪車のり
上手くやれば角砂糖を貰い 失敗すれば鞭を喰らう

練習風景を見ながら 人間も同じだと思ったものだ
熊たちは食べる事は保証されている
でも芸をしないと捨てられる

動物園で見る熊は日がな一日のんびり過ごしている
それが幸せそうに見える時は こっちの心がすさんでいるときで

死んだ目に見えるときは 私が幸せなときなのだろう

両方とも自由ではない

でも自由と言う概念を持っているかは定かではない
特に動物園で生まれ育った熊は この生活しか知らないのだから

たとえ遠くの風を感じたとしても それが何物かはわからないだろう
その本能すら ないかもしれない

サーカスの熊は 甘やかすと凶暴になるそうだ
ライオンやトラも飼育者が少しでも気を抜けば 背後から襲ってくる
それが本能かどうか私は知らない

鞭、と言うものに対しての反逆かもしれない

芸をしないと生きていけないサーカスの熊と 

何もしなくてもとりあえず生きてはいける動物園の熊

どちらが幸せなのだろう