2026年1月1日(木)
時計が0時を回った瞬間、世界は祝福の花火に包まれた。
しかし、私の手元のスマートフォンには、違う種類の閃光が走った。
──アカウントが凍結されました。
画面に浮かんだ無機質な通知文。
私は軽い驚きと共に、その瞬間を理解できずにいた。
つい数秒前まで、私は新年の挨拶──
友人たちへ送るデジタル年賀状を投稿していたはずだ。
異議申し立てのフォームが表示され、
「48時間は使用停止」「規約違反の場合は永久凍結」
という、薄情な文言が続く。
まるで誰かが、新年の幕開けと同時に
私の声を封じ込めようとしたかのようだった。
思い返せば、2025年の終盤から私は毎夜のように
学んだ真実をFacebookに投げ込んでいた。
山上徹也の裁判、ワクチン政策と薬害、
国家とメディアの沈黙。
鋭い言葉は刃にもなる。
そして権力は、傷つくことを何より恐れる。
SNS規制の波──世界的な動きだ。
「誤情報」「有害情報」「社会不安を煽る行為」
そうしたレッテルは、あまりにも便利に貼られる。
ただ事実を見ようとする者が、
気づけば「異端者」と呼ばれる社会。
もちろん落胆はあった。
毎日の投稿は私にとって
学びの整理でもあり、誰かとつながる証でもあった。
だが、心のどこかで
こうなる兆しは感じていた自分もいた。
――もし、真実に近づきすぎていたとしたら?
そんな思いが、胸の奥でゆっくりと熱を灯す。
外ではまだ、年明けの喧騒が続いている。
花火の音が、遠い戦火のようにも聞こえる。
今年の幕開けはこう宣告しているのだろう。
「あなたは進んでいる。止まるな」と。
アカウントは凍結された。
だが、言葉も意志も、まだ凍るつもりはない。
むしろ、この静寂は
次の物語を始める合図なのかもしれない。
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