羽生選手の話 | 心きらめくSpecial Days

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日々の想いを綴っています

羽生選手の話を見つけたので

シェアします。



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『「出来ない」ことが、こんなにも嬉しかった』

17歳で世界選手権の
銅メダリストに輝いた羽生結弦選手。



これまでは、ただスケートが楽しい。
それだけで滑っていた。

しかし、銅メダルを手にしたときから、
心境の変化が起きた。

「もう、スケートは自分だけのものではない。
 大勢の期待を背負ってる」

練習をするだけなら、
仙台で練習をするのが一番安心だった。


家族もいるし、コーチもいる。
それでも、あえて海外に飛び出したのは、
自分自身の選択だった。

海外に行くなら、
場所はトロントだと決めていた。
オーサー、という名コーチの元で、
きちんと練習したかった。

オーサーがメインコーチをしている
「クリケットクラブ」で、初めての練習が始まった。

17歳の5月、
クラブの門をくぐった当初は

「早く4回転サルコウを教えてくれ!」
という気持ちでいっぱいだった。

でも、そんな羽生に
最初に与えられたのは、

『スケーティングをする』

というだけの日々、という試練だった。


「仙台だと毎日1時間程度しかリンクの貸し切りがなく、
 ジャンプ練習優先だったので、
 基礎スケーティングの練習が不足していました。
 それが弱点という自覚は実はあったんです」

このクラブの名物は、
練習の最後に全員で行う
基礎スケーティングだ。

同じステップを、
ジュニアからシニアのトップまで
10~20人の選手が一緒に踏む。

驚くべきことに 世界選手権銅メダリストにまで
のぼりつめた羽生が、

誰よりもつたない動きで
スケーティングをしていたのだ。

「もうね、嬉しかったですよ」

このときのことを、
羽生は少し興奮気味に振り返った。

「『自分ってこんなに出来ないんだ!』って。
 自分の弱さが見えたので、
 これを直せば根本的にスケートが変わって、
 もっと納得いく演技が出来るんだ、
 新たなステージに上がれるんだ、って思ったんです」

・・・こうして、羽生は17歳の夏、
大きな進化を遂げた。

そこから先の活躍ぶりは、
もう何も言わなくても知っているはずだ。

そして、2年後の2014年。
ソチオリンピックの
男子フィギュアスケート優勝候補として、
羽生は堂々としたSPを見せた。
結果は史上初、SPでの100点超え・・・
自身の最高得点も更新する、
101.45点を得点してみせたのだ!

日本時間の15日0時から、FSが始まる。
19歳の金メダルへの挑戦は、ここからだ。

(引用元:Number Web 「17歳の目覚め」より)

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そして遂に、2月14日、
FSを終え、日本人選手史上初の
金メダルを獲得。

その姿は、日本中、いえ、
世界中を感動させました。

羽生結弦選手、
本当に、金メダルおめでとう御座います。


そして私達に、
たくさんの感動を、ありがとうございます。