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母親と良い関係を気づいている人のことがうらやましいと思う。
特に、娘として母親と仲の良い人を見るとどこか沈んだ気持ちになってしまうのは、自分が中学生の頃からずっと仲良くしようとして手を伸ばしては払い落されてきたからだろう。
英語に、gaslightingという言葉がある。
自分自身の記憶や権威に対して疑問を持たせるように相手を精神的に操作することだ。
親の言うことがすべてだとは思わないが、母親を大事に思っているなら母の嫌だということはしたくないと思うだろう。
たとえ自分が正しいことを言っていても、分かってもらえない辛さ。
相手のために言っていることを、傷つけられていると説明される。
何を言っても通じないのだ。
もうどうでもいい。
詳しくここで説明するために昔のことを思い出すのも億劫に感じられるくらいには関係が酷いんだろう。
こうして私の性格が作られているのだと思うとすこしだけ悲しくなるが、悪いことだけだとは思わない。
悪いことには必ず良いこともついてくる。
どちらが良いかというのは人それぞれの価値観によるが、私はこれで良かったと思っている。
私の思考力は絶対的に理不尽な家庭環境から来ていると確信しているし、それの良い面も悪い面も知っているつもりだ。
できるだけ良い面だけ使えるようにしたいとは思っているが、悪い面も自分の一部で、極悪だとは思っていないので好みの合う人だけ大切にすれば良いくらいに思っている。
本当は皆と仲良くしたい。
皆で笑いたい。
でも、私が好きになれない人がやっぱりいるし、自分を偽ってでも好かれたいとも思わない。
どうでもよいのだ。
もっとピュアな自分を出していきたいのに。
幸せに生きていたいが、やはりそれだけで過ごしてはいけないんだろう。
それも幸せを感じるための一部分だと思えばよいものなのかもしれない。
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