広島(宮島)と姫路の旅から帰ってきました。

撮った写真をブログ用に圧縮していたら大変なことに気づきました。

アメブロの決まり、写真は500KB以下に圧縮してしまうと

画像が荒くなってしまう。ショック!


理由はこうです。

これまで使っていたデジカメは古くてFINEモードで撮っても

1.0MB程/枚の情報量だったんですが、

今回からは新しく購入したデジカメを使った為、画素数が飛躍的にアップ右上矢印

1,000万画素以上の為、約5.0MB/枚になったんです。


そのため、500KB以下に圧縮したら画像が荒すぎて使えなくなってしまいました。


どうすべ~!!しょぼん





決めました!!得意げ



アメブロのフォトアルバムとブログをコラボすることに!

フォトアルバムだと2.0MB/枚まで大丈夫なので。。。

5.0MB⇒2.0MBへの圧縮なら何とかなるでしょう!?


今後はこれで行きます。


で、やり方がわからん。。。ガーン


ま、そこはおいおい勉強させて頂きます。


ちなみに今使っているデジカメは以下の2台です。


1台は、  Sony α350


sony α350



もう1台は、Panasonic LUMIX (あゆが宣伝してるやつ)



panasonic LUMIX


※この写真は古いNikon COOLPIX880で撮りました。



金曜日から奈良・京都です。

桜たくさん撮ってきます。お楽しみに。。。。





3日目、最後は西本願寺です。

ここは、京都駅から歩いていける距離です。


西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山です。

私の家も浄土真宗本願寺派のお寺の檀家をしており、

一度は拝観しておきたいと思いまして伺ったわけです。


特に私が浄土真宗にはまっているわけではないんですけど、

ここ3、4年で父や兄が亡くなった際にお寺さんとはいろいろ話まして、葬式と一周忌等の

供養のやり方を学んで行く中で、宗派による違いについて興味を持ったわけです。


総門を抜けて横断歩道を渡ると御影堂門ですが、現在御影堂が工事中のため、

阿弥陀堂門を抜けて阿弥陀堂を目指します。

  西本願寺_総門

             総門

  西本願寺_阿弥陀堂門

            阿弥陀堂門 


阿弥陀堂は内部に入ることが出来、時間ごとの御勤めを聞くことが出来ます。

午後4時の御勤めを聞くことが出来ました。

静寂な堂内に響く読経を聞きながら、なんとなく厳かな気持ちになることが出来ました。

たくさんの方が聞かれてましたよ。。


ご本尊の写真を撮ることは憚れましたので、御勤めが終わった後で堂内を

撮りました。
  西本願寺_阿弥陀堂

             阿弥陀堂


  西本願寺_阿弥陀堂_内部

           阿弥陀堂内部



参拝会館の裏手、阿弥陀堂門から外に出て左手に行ったところに太鼓楼があります。

ここは新撰組と関係があります。

新撰組は、1864(元治元)年の「池田屋騒動」以降隊士が増えたので壬生の屯所が狭くなり、

1865(慶応元)年3月10日に屯所を西本願寺に移し、境内に「新撰組本陣」との看板を掲げて、

北東にあった北集会所と太鼓楼を使ったそうです。


本願寺は長州との深い縁があり、幕末の尊皇攘夷運動の中で長州藩士が何かにつけ本願寺を

頼りにしていたため、新撰組は本拠地を本願寺のなかに移すことで長州藩の頼りを切り裂くことが

狙いだったわけです。


新撰組は境内で大砲の空砲を轟かせたり、実弾射撃を行ったり、乱暴を繰り返したため参拝の

門信徒や僧侶らを震撼させる毎日だったそうです。


1873(明治6)年、北集会所は姫路市の亀山本徳寺に一部移されたため、現在の西本願寺に

新鮮組の足跡を見るのは太鼓楼だけです。


池田屋騒動:江戸時代後期の元治元年6月5日(1864年7月8日)午後10時に、京都三条木屋町

(三条小橋)の旅館池田屋で京都守護職配下の治安維持組織である新撰組が、潜伏していた

長州藩の尊皇攘夷派を襲撃した事件である。 池田屋事件、三条小橋の変等ともいわれている。


  西本願寺_経蔵
             太鼓楼




長々とやってきました「奈良・京都の旅」は今回で終了です。


事前に計画を立てたつもりでも、見逃した建造物、仏像、庭等があります。


そこで4月に「桜を見ながら再チャレンジ、奈良・京都」を実施します。

今回は桜を中心に回ってきます。

また、報告します。


そして、明日(3月31日)、明後日(4月1日)は、広島へ用事で行く予定です。

その時の報告を近いうちにやります。


では、また。

3日目、龍安寺の次は平等院鳳凰堂です。

平等院鳳凰堂へはJR京都駅から奈良線で8番目の宇治駅で降ります。電車


駅前から信号を渡りまっすぐ行くと商店街(宇治橋通り)に突き当たりますので、

左に曲がって7、8分歩き商店街の外れまで行きます。歩く歩く


そこで右手に2本の道がありますので細いほう(鳥居の無い)へ入ります。

御土産屋さんが両サイドをしめていますのでこの通りを2、3分歩くと

平等院鳳凰堂の入り口にたどり着きます。歩く歩く

表門をくぐり、社務所の前を通って左手に石の柵で囲まれた

芝生が見えます。


  平等院_表門

             表門




扇の芝です。

治承四年(1180)五月、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、平家打倒を掲げた源頼政は

宇治で決戦に及び、衆寡敵せず平等院で辞世の和歌を残し、扇を敷いて自刃しました。

この自刃した場所が、扇の芝と呼ばれているところとされています。


毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれています。

辞世の和歌は 「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果 てぞ 悲しかりける。」です。


衆寡敵せず:寡(小戦力)を以て衆(大戦力)を撃つことは、無謀で勝つ見込みがない


  平等院_扇の芝

              扇の芝



扇の芝の横に観音堂が有ります。

鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物とされており、法橋徳応のニ天像、

不動明王像が祀られています。


  平等院_観音堂
             観音堂



観音堂を過ぎますと鳳凰堂が阿字池の中の島に浮かんでいます。


阿字池:阿とは梵語で不生不滅を意味する言葉である。したがって、阿字池は、永遠の象徴、

     すなわち極楽浄土の池ということになります。



平等院_鳳凰堂北翼廊_反橋

     北翼廊_反橋から見た鳳凰堂

この反橋を渡って鳳凰堂内部拝観が出来ます。




  平等院_鳳凰堂
          鳳凰堂と阿字池



平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂です。

最も大きな特徴は阿字池の中の島に建てられていることです。


堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来像が端座し、周囲の壁および扉には九品来迎図、阿弥陀仏の

背後の壁には極楽浄土図が描かれています。

そして左右の壁の上部には52体の雲中供養菩薩像が懸けられています。

現在では色あせてしまっていますが、当時は極彩色の美しい建築物であったと思われます。


『続本朝往生伝』という平安時代の本に「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という記述があります。

当時の人々は鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土ととらえていたのです。



  平等院_鳳凰堂_阿弥陀如来坐像を遠くから

         丈六阿弥陀如来座像を覗く



以下の3枚の写真は参考資料です。実際の写真は撮影できていません。


  平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像

      丈六阿弥陀如来座像(参考資料)


  平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像   

       雲中供養菩薩像(参考資料)


  鳳凰(参考資料)
           鳳凰(参考資料)



阿弥陀堂中堂の大棟の南北両端に据えられていた1対が鳳凰です。

阿弥陀堂は、その外観が尾の長い鳥が翼を広げたような形をしていることや屋根の上の

この鳳凰形棟飾りによって、近世以降、鳳凰堂と呼ばれるようになりました。


現在は、大気汚染による腐食を防ぐために新たに制作されたレプリカが大棟に載せられています。
本物は、平等院ミュージアム鳳翔館で拝観できます。


鳳凰と同じ く梵鐘も本物は平等院ミュージアム鳳翔館で拝観できます。

梵鐘は平安時代を代表する梵鐘の一つで、古くから「姿の平等院鐘」、「声の園城寺鐘」、「勢の東大寺鐘」

の「天下の三名鐘」の一つとしても有名です。 鬣を真上に逆立たせた竜頭が飾られたり、宝相華唐草の

地文の上に鳳凰や、踊る天人などがえがかれています。



鳳凰堂の裏手にまわると浄土院があります。

浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために

開創した寺と伝えられています。 文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などが

安置されています。


  平等院_浄土院
             浄土院



浄土院から羅漢堂をはさんで不動堂があります。

不動明王を本尊とする最勝院の本堂です。
また最勝院が天台修験宗を極める聖護院末であるところから役小角(えんのおづぬ )(役行者)の像が

祀られています。


最勝院:平等院塔頭二ヶ寺の一つで天台宗寺門派聖護院末です。

     承応三年(1654)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、

     その住庵を最勝院と呼んだことに始まります。

     隣接する地蔵堂は地蔵菩薩座像を祀った小堂です。


  平等院_不動堂

              不動堂




あと、浄土院の横に平等院ミュージアム鳳翔館があります。

ここでは、鳳凰堂の当時の彩色を施したCGの映写や前にも書きました鳳凰1対(国宝)、梵鐘(国宝)、

大和絵風九品来迎図(国宝)などの平安時代の文化財を数多く展示してあります。



不動堂の前に扇の芝で自刃した源頼政の墓があります。


  平等院_源三位頼政之墓
            源頼政の墓




時の権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業(べつごう)をその子頼通が、

永承7年(1052)に仏寺に改め、平等院としました。永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が

貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。  


平等院鳳凰堂は極楽浄土を表した建築物として1,000年の時を越えて現在もその姿を我々に見せて

くれています。


別業:別荘のこと


さあ、奈良・京都の旅の最後は西本願寺です。

ここは多少は私と関係のあるお寺さんです。

では、次回。。