3日目、龍安寺の次は平等院鳳凰堂です。
平等院鳳凰堂へはJR京都駅から奈良線で8番目の宇治駅で降ります。
駅前から信号を渡りまっすぐ行くと商店街(宇治橋通り)に突き当たりますので、
左に曲がって7、8分歩き商店街の外れまで行きます。
そこで右手に2本の道がありますので細いほう(鳥居の無い)へ入ります。
御土産屋さんが両サイドをしめていますのでこの通りを2、3分歩くと
平等院鳳凰堂の入り口にたどり着きます。
表門をくぐり、社務所の前を通って左手に石の柵で囲まれた
芝生が見えます。
表門
扇の芝です。
治承四年(1180)五月、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、平家打倒を掲げた源頼政は
宇治で決戦に及び、衆寡敵せず平等院で辞世の和歌を残し、扇を敷いて自刃しました。
この自刃した場所が、扇の芝と呼ばれているところとされています。
毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれています。
辞世の和歌は 「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果 てぞ 悲しかりける。」です。
衆寡敵せず:寡(小戦力)を以て衆(大戦力)を撃つことは、無謀で勝つ見込みがない
扇の芝
扇の芝の横に観音堂が有ります。
鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物とされており、法橋徳応のニ天像、
不動明王像が祀られています。
観音堂
観音堂を過ぎますと鳳凰堂が阿字池の中の島に浮かんでいます。
阿字池:阿とは梵語で不生不滅を意味する言葉である。したがって、阿字池は、永遠の象徴、
すなわち極楽浄土の池ということになります。
北翼廊_反橋から見た鳳凰堂
この反橋を渡って鳳凰堂内部拝観が出来ます。
鳳凰堂と阿字池
平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂です。
最も大きな特徴は阿字池の中の島に建てられていることです。
堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来像が端座し、周囲の壁および扉には九品来迎図、阿弥陀仏の
背後の壁には極楽浄土図が描かれています。
そして左右の壁の上部には52体の雲中供養菩薩像が懸けられています。
現在では色あせてしまっていますが、当時は極彩色の美しい建築物であったと思われます。
『続本朝往生伝』という平安時代の本に「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という記述があります。
当時の人々は鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土ととらえていたのです。
丈六阿弥陀如来座像を覗く
以下の3枚の写真は参考資料です。実際の写真は撮影できていません。
丈六阿弥陀如来座像(参考資料)
雲中供養菩薩像(参考資料)
鳳凰(参考資料)
阿弥陀堂中堂の大棟の南北両端に据えられていた1対が鳳凰です。
阿弥陀堂は、その外観が尾の長い鳥が翼を広げたような形をしていることや屋根の上の
この鳳凰形棟飾りによって、近世以降、鳳凰堂と呼ばれるようになりました。
現在は、大気汚染による腐食を防ぐために新たに制作されたレプリカが大棟に載せられています。
本物は、平等院ミュージアム鳳翔館で拝観できます。
鳳凰と同じ く梵鐘も本物は平等院ミュージアム鳳翔館で拝観できます。
梵鐘は平安時代を代表する梵鐘の一つで、古くから「姿の平等院鐘」、「声の園城寺鐘」、「勢の東大寺鐘」
の「天下の三名鐘」の一つとしても有名です。 鬣を真上に逆立たせた竜頭が飾られたり、宝相華唐草の
地文の上に鳳凰や、踊る天人などがえがかれています。
鳳凰堂の裏手にまわると浄土院があります。
浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために
開創した寺と伝えられています。 文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などが
安置されています。
浄土院
浄土院から羅漢堂をはさんで不動堂があります。
不動明王を本尊とする最勝院の本堂です。
また最勝院が天台修験宗を極める聖護院末であるところから役小角(えんのおづぬ )(役行者)の像が
祀られています。
最勝院:平等院塔頭二ヶ寺の一つで天台宗寺門派聖護院末です。
承応三年(1654)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、
その住庵を最勝院と呼んだことに始まります。
隣接する地蔵堂は地蔵菩薩座像を祀った小堂です。
不動堂
あと、浄土院の横に平等院ミュージアム鳳翔館があります。
ここでは、鳳凰堂の当時の彩色を施したCGの映写や前にも書きました鳳凰1対(国宝)、梵鐘(国宝)、
大和絵風九品来迎図(国宝)などの平安時代の文化財を数多く展示してあります。
不動堂の前に扇の芝で自刃した源頼政の墓があります。
源頼政の墓
時の権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業(べつごう)をその子頼通が、
永承7年(1052)に仏寺に改め、平等院としました。永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が
貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。
平等院鳳凰堂は極楽浄土を表した建築物として1,000年の時を越えて現在もその姿を我々に見せて
くれています。
別業:別荘のこと
さあ、奈良・京都の旅の最後は西本願寺です。
ここは多少は私と関係のあるお寺さんです。
では、次回。。