運転席に座るということ
年次があがる感覚は、下にわさわさ人が入って来て、無理矢理押し上げられる感じ。
昔上司が
「人は上に立つ立場になるほど孤独になるもの。信用出来る人が減り、本音を話せる人が減る。」
と言っていた。当時は自分も若くて、そんなものかと軽く相づちを打っていただけだったが、
今、まだ人の上に立つ立場というにはほど遠いが、責任をおう量と比例して孤独感も増えていくのは実感出来る。
それはその仕事への真剣さ度合いの違いからくる孤独さであり、部下への愛情加減の頃合いに悩むが共有出来ない孤独であり、自分の決断にたいしての他人の反応が顕著すぎるときに感じる孤独である。
ただ共感し話し合える人がいないわけではない。そういう人との出会いは大切にして、お互い緩やかに助け合っていきたいと思う。20代の頃とは違う大人の友情。
スナフキンだかスヌーピーだか(笑)のツイッターで「車の後部座席で笑っていた君も、いつかは前の座席に座り、家族の責任を預かって運転しなくちゃいけない日がくる」というのがある。(文章の細かい部分は違うかも。)
人生はそういうものなのだと悟って、その責任と孤独に潰されないで、むしろそれを楽しむ余裕を持ちながら、もう一段、もう一段、と自分の階段を登って行きたいと思う。
美しい女性の男らしい決断
久しぶりの披露宴。
私は新郎の友達であるが、白無垢に包まれた新婦はフランス人であった。
出会いはサルサバーで、「今度、軽井沢に行きたい」と言ったら、新郎が「いいよ」。その1週間後くらいに二人で軽井沢に出かけたのがきっかけらしい。
新婦は、お淑やかだが、なかなか行動的。大学時代、他国に留学しないと単位がとれないという制度があり、日本を選んだのがきっかけで、日本好きになったらしい。日本の料理もなかなかの腕前であるようだ。
一方新郎もなかなか面白いタイプの人間。中学生のころから何故かフランスが好きで、帰国子女ではないが、現在は流暢なフランス語、英語、スペイン語を話せる。大学を卒業して2年間フランスに留学した。
自由人な二人は、シンプルな披露宴と2次会で友人たちを和ませ、楽しませてくれた。
新婦は、フランスではトップクラスの大学出身。そのまま進めばエリート官僚になる予定だった。
新郎とあって数日後には、「運命の人と出会った」と妹に報告していたらしく、結婚を決断するのもそう時間をかけなかった。
「なかなか勇気のある選択だったね」と言った私に、
知的な澄んだ瞳で、「私はこれでいいと思う、私の人生なんだから。」とほほ笑みながら簡潔にこたえた。
男らしい決断力。
二人のサルサダンスをみながら、彼女の強さを学びたいと思った。
濃い仲間は、じっくり煮込んでつくられる
「なんかごつくなってない?後ろ姿から見て、わかんなかったよ」
「うるさいなー。ちょっと太ったんだよね~」
「太ったっていうかごつい」
傷ついて今日からダイエットでもしようかと思うが、「全然細いよ。」と嘘をつかれるよりも、信頼できる。
私が、本音で話せるグループが二つある。
一つは、大学院の研究室。もう一つが、社会人になって初めて入れられたプロジェクトチーム。
どちらももう5年や10年くらい前に、所属していたグループになるが、二つの共通点は、とても忙しかったこと。
睡眠不足になる、仕事に追われていらいらする、肌も荒れる、体調も崩す、相手の出来ないところが気になる、自分が出来なくて攻められる・・・。
「ほんと、辞めたい」と何度も口にしたと思う。
どちらも本性を隠す余裕のない生活だった。
嫌でもお互いにお互いの性格をよく知ってしまう。受け入れがたいところも見えてくる。
それでも強制的に一緒にいさせられるので、なんとか共生してしまう。
でも、感動もともにする。研究や仕事の成功はもちろん、単純においしいものを一緒に食べる、旅行先ですばらしい景色に一緒に遭遇する。
「このプロジェクトは、僕がこれから年をとっても、会社人生の一番大きな部分を占めると思います。」
プロジェクトの解散会で先輩が言った。
そんな数年間をともにすると、 その記憶はあまり薄まらないものになる。
5年、10年経ても、そのグループでは、いまだに、集まってしまう。集まるとすぐ盛り上がってしまう。
当時と全く変わらない会話、当時と全く変わらない関係。何か言われたとしても「ああ、そういう奴だったな」でストレスもない。こちらのコメントにも同様に対処してくれる。
私が年齢を重ねて思うのは、そういう「濃い仲間をつくる」には、それなりの苦労と努力が必要で、でもその仲間が、自分を精神的に助けてくれるときが来る、ということ。
そんな仲間をつくらずにスマートに生きる、という人生もあると思うのだけど、偶然にも2つの濃い仲間が出来てしまった私は、それは素敵なことだと実感しているから、人にお勧めしてしまう。