当時目黒駅から自宅のある杉並へ徒歩で帰る中、電気屋さんのモニターに映る津波の光景に恐怖したのを覚えています
2時間程歩いた辺りで、泣きながら歩いている初老の女性がいらっしゃって、
大丈夫ですか?どこまで行くんですか?
と尋ねると
2人暮らしのご高齢のお母様と連絡がつかず自宅の固定電話も不通という事で心配と恐怖で仕方ないという事でした。
偶然ご自宅が一駅位しか離れていない方だったので、それなら一緒に行きましょうよ。と、いう事になり
自分が阪神大震災の被災者だった事や、復興とキーワードで皆が一つになった事などお話しながらその方の家の近くまで一緒に帰りました
あの人のお母様は怪我などしてなかったのかな?
時々思い出します
起こった事を変える事は出来ませんが、これからどうするのか、まだまだ変えられる様に思います
まだ仮設住宅での生活をされている方も沢山いらっしゃいます
大きな事はまだ出来ていませんが、できる範囲の事はこれからも続けていこうと思います
この写真を見る度に多喜雄さんの”愛しき大地”のメロディが頭の中に流れます
2011/08/28 岩手県九戸郡野田村にて