弥兵衛奮迅 | 人生はたまたまヂェンティエンマオ

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司馬遼太郎ラジオ小説

 弥兵衛奮迅 朗読/竹下景子


 新撰組の伊東甲子太郎は目の前で死闘を目撃、一太刀打で相手を上段から斬りつけた元薩摩郷士の弥兵衛と出会う。新撰組の伊東甲子太郎は、薩摩への接近を考えていた。近藤を説得して弥兵衛を新撰組に入れた。弥兵衛は虫歯を釘抜きで抜く狂気も兼ね備えている。最後は歯が一本もなくなる。薩摩の西郷隆盛等は心配して「やへいドン身体は大切にせな」と苦笑い😅。新撰組土方等はそれで食べられるのか?「歯が全部ないほうが食べやすいであります。」と愛嬌のある顔で言い新撰組は皆心を許し弥兵衛は人気者になった。しかし実は間者。薩摩藩の大久保利通への報告を欠かさなかった。弥兵衛は薩摩なまりも敵を欺くものだった。 弥兵衛の正体と伊東の企みを見抜いた土方は暗殺を決意、腕の立つ平野を刺客に送るが一太刀打で返り討ちに。
その後また薩摩藩に匿われる。流石の新撰組も2000の兵隊、最新の銃兵器を兼ね備えた薩摩藩には手が出せなかった。のちに伏見街道で阿部十郎ら御陵衛士残党と共に近藤勇を襲撃した。(黒染事件[1])
戊辰戦争では薩摩藩に属し、鳥羽・伏見の戦いに薩摩藩兵として参加。越後出雲崎にて会津藩の動向探索に従事したが、水戸諸生党に捕らえられ、凄まじい拷問を受ける❗しかし口を割らず水戸諸生党も敵ながら感心し隙を見せたとき逃走。追手に対し刀を奪い奮闘するも拷問のダメージも大きく最後は田んぼに落ちた所、凄まじい敵の恐怖心からか槍で皆から滅多刺し❗泥と血で人間の原形を留めなくなり絶命する。
その首は鳩首されたが、捨札には「後世諸士ノ亀鑑大丈夫ノ士(=後世の武士諸君の手本となる大丈夫の士)」と勇戦をうたわれた。享年26。
のちに薩摩が攻め入りこの首を見た西郷隆盛は
「やへいドン歯が全部ないのですぐわかりもうした。(涙笑)」😢
辞世の句では「から人は死してぞ止まめ我はまたなな世をかけて国につくさん」と書かれている。

間者は忠義を重んじる武家社会では軽蔑され歴史に名を残すことはないが?弥兵衛の凄まじい奮迅は賞賛され歴史に名を残すことにさながら



真田丸の間者版?( ̄ー ̄)