卒制企画書&実際の企業の選考で使ったゲーム企画書です。

せっかくなのでこの企画にこめた事を何かに残そうと思ったので、書きます。

多分読んでて、何様目線で何言ってんだコイツ!?と思う方いらっしゃると思います。見ていて結構いろいろキツい内容です。

例によって先に謝ります。ごめんなさい。

あと、誤解のないように、僕は無宗教です。

どっかの危ない宗教のステルス勧誘とかじゃないです笑

それでも読んでみたいという方だけ↓

 

 

 

このゲームにこめたのは

「あー、なぜ素直にやりたいと思う事をやらせてくれないのでしょうか。なぜ理解してくれない!」

そんな想いです。

 

 

僕は散々親や先生に勉強しなさいと怒られてきました。無知な大人になりたいのか、どうして普通の事ができないんだ、周りはあの子は頑張っていて偉いのにあんたときたら、将来はどうするんだと言われました。

でも常に疑問でした。

いや、周りと俺は違うし、周りもみんなそれぞれ違うし、そもそもなんの意味も目的も無い儀式的で覚えるだけの勉強だの下らない学歴の体裁だの、そんなものばかり大切にする価値観は本当に正しいの?

はい、これまさに勉強できない子の常套句ですよね笑

でも、マジでそれに悩みました。それでも向き合って自分なりに答えを出しました。

 

知識ならインターネットにあります。コンビニの無料WIFIスポットからアクセスすれば情報量すらタダです。知らなければ・必要ならそこから取り出せばいいんです。個々の情報を自分の中だけにしまうことで喪失しないために・途切れる事なく共有するためにインターネットを作ったんです。そもそもネット以前に「本」というアナログながらも素晴らしい共有デバイスがすでにあります。

僕たちが12年間必死にノートに書いて覚えてきた事は、全て先人がすでに解明して世界で共有されている物であり、やろうと思えば5秒足らずでクラウドサーバーに半永久的に保存できます。21世紀の人間が個々にそれをやる必要はあるのでしょうか。その先人の栄光を他人と競って人より覚えて何が偉いんでしょうか?別に自分の功績でもなんでもないのに?

 

問題はその知識を使ってどんな新しい物を生み出すかだと思います。

むしろ、新しい物を生み出す事が重要なのであって知識は応用の可能性を広げるためのツール以上の何者でもないのでは。

 

例えば小学生にだって飛行機は作れます。紙飛行機。僕自身小さい頃よく作って遊んでいました。形は様々で、あれも個性あふれる立派な飛行機だと思います。どんなに無知だとしても技術が無くても、何かをやりたい作りたいと強く想えば、そのレベルにあった奇抜なアイデアでクリエイティブはできます。

じゃあその紙でできた飛行機を人が乗るために大型化して航続距離を伸ばしてかつ安全性をってなった時に、はじめて航空力学だの材料工学だのが必要になります。

 

夢を現実にしていく過程で算数の足し算の概念から数Ⅲの微分積分まで自分の力だけであみだしていたら日が暮れるどころか人生が暮れてしまうので効率よく作業を進めたい、この時初めて、先人の知恵知識を学ぶ事の本当の重要性・ありがたみが分かるのではないでしょうか。

自分はこの事を独学で始めた音楽を通じて身をもって知りました。

周りに頼れる音楽関係者は1人もいなかったので、唯一の先生であるCDやyoutubeを聞いてその中の1から2〜10学ぶ必要がありました。

音楽やってる人あるあるだと思います。

本屋に引く手数多の参考書があって学校や塾ではいろんな対策を講じてくれる一般の勉強の世界じゃ味わえなかった感覚だと思います。

 

これをぶつけると「別にそこまで考えてないし求めてないし、そこまでしてやりたい事はないし。普通に働いて普通に生きられればそれでいいから。」と返ってきます。

はぁ、、、。それだったらなんで難関大学に行く必要があるんだよ、、、。

大企業入って一生勝ち組?給料いいから?

 

 

 

こっからは大げさな話ですが、高校までに習ってきた知識なんて人類の知識のごく一部です。

もっと言えば人類が今までに解明できた事自体宇宙の真理からすればゴミみたいなもんです。宇宙とは何か、僕らが生まれる理由生きている理由生命とは何ぞやすらまともに「科学」で完全に解明されていません。さらにもっと言えばつい数百年前まで、「大地は平らで四方が死の滝、天が地球様の周りを回ってるんだ!んな常識も知らねーの?バッカでーm9(^o^)」ぐらい今より輪をかけて「無知」だったんです。

それは置いといて、、、。

例えば普段多くの人が何かしらの音楽を何かしらの環境で聴いているのに、音楽の構造・理論なんてまるで知らないで聴いてますよね。なんなら古典や日本関係ないお隣の漢文の文法よりよっぽど身近だと思いませんか?

でもだからって、楽典(文法)やら音楽史やら和声(理論)を学校で勉強しません。

 

 

結局大人達の言う必要な勉強だとか無知って受験に必要な義務教育の範囲内での数国理社英か、正しいかどうかも定かでない勝手な世の中の常識や世間体の範囲でしか判断していません。

 

 

勉強は、何かやりたい事をやり遂げる過程で、本当に必要と感じている人が、本当に必要と感じた時に、本当に必要と感じている分だけ、それか直感が感じとった好奇心の赴くままにすればいいと僕は思います。それが最も効率的で有効な勉強法ではないでしょうか。そこに「努力」という言葉はありません。「楽しい」だけが存在します。勉強が遊びに変わります。

ゲーム好きな少年が、魔王を倒すため自らのボタンさばき技の向上やレベル上げを「努力」してやる人はいません。

だから、学校に行く前に、机に向かう前に、参考書を買う前に、受験をする前に、考えなければいけない大事な事があると思います。

「自分は何がしたいの?」

という事です。

 

 

 

こんな事を言っていると今度は、「できないお前が偉そうに!」だとか「説教しやがって!」だとか。

確かに大人達からすれば自分達と比べて何の社会での実績も人生経験も無いただのガキにこんな事ペラペラ言われたら腹立つのも分かりますが、、、。

若者が自分の考えを持っちゃだめですか。

既存のルールに疑問を抱いちゃだめですか。

目上や周りの常識や価値観に有無を言わさず迎合しなくちゃだめですか。

 

だって仕方ないじゃん。明らかにそれらは今の時代成立してないんだから。

現にその古臭い考え方の基準で個性や人間性やできる事できない事がそこからはみ出るだけで〜障害や〜症候群と言われている人が、自分含め何人いると思いますか。

 

そんな人の中で無理矢理世間の時間の流れに合わせさせられ、それでいて世間一般人のレールにタイミング良く乗れなかった・一度ハズれたというだけで責められて、性格が超繊細であるがためにそれを人より重く受け止め悩み苦しんで自殺している人がたくさんいます。

 

それを世間は「軟弱な若者」と呼ぶかもしれません。

 

でももしかしたら、学校や一般企業では致命的欠点だったその超繊細さを周りがサポートして、普通とは違うベクトルに生かす事ができたら、芸術家や役者、職人などなどになれた人がいたかもしれないのです。(もちろん全員とは言いません。)

現に多方面で活躍している方でそういう人はたくさんいらっしゃいます。

人には人それぞれのフィールドやタイミングがあるのではないでしょうか。

それに本人がまだ気付けていないだけで。

もっと多様性があっていいと思います。なぜそれがいけないのでしょうか。

 

親世代は必死に最近話題のYouTuberを叩きますね。「好きな事だけして楽して金儲けしている。」

いい大人が冷静な判断力を失って物事の側面しか見ようとしていません。

ああやって世界的にあり方が多様化してきているのについていけず、すぐそれを否定して出る杭打ちながら必死に自己防衛しようとします。そんな人達に限って、「最近の若者は〜」と嘆いています。

 

それでいて最近の若者は夢がない個性がないなんて言うけれど、みんなして右ならえでテストで模試で100点取れ・大会で1位になれだの、x軸だけの1次元で0〜100の整数値の狭い世界しか与えられてこなかった人達に、いきなり社会に出てxyz軸3次元的に無限に広がるオリジナリティあるビジョンを考えなさいなんて、あまりにも無責任では、、、?

 

 

矛盾だらけです。

どれもこれも全てピラミッドの頂点に立つ支配者にとって都合がいいように、いまだにコントロールのためのご都合教育をやっている事にとても腹が立ちます。

奴隷に余計な知恵を与えたら面倒だと言わんばかりに。

それを都合が悪くなると、「しょうがないだろ、世の中そういうもんなんだから文句言っても始まらない。それはお前のわがまま甘えだ。」

ハァ!?そういう構造を作って、てっぺんで甘い甘い蜜を啜っているのは誰だ!!と思わず怒りが爆発します。

 

 

 

 

 

というような事を始終こねくり回しているのが僕です。笑

今まで僕と出会った人で、「こいつあんましゃべんないしぼーっとしてるけど何考えてんだ?」と思ってた人たくさんいると思いますが、仏頂面の裏ではこんな変人ワールドを形成していました。😗

そしてこのような前から溜まるに溜まった荒れ狂うメッセージの一部をぶっこんで作ったのがこのゲーム企画です。

こんな事を偉そうに言える立場の人間とは程遠いほど自分は未熟です。

精神面でいろいろ過去にありましたし今でも不安定になりますが、音楽に出会って打ち込んだ事でできた体験、それを何かの役に立てたいと思い、こういう分かっててもあえて声に出すといろいろOUT🙅なものを、芸術作品にぶつけて風刺的に表現していきたいと思ったのが、ゲーム業界を考えたきっかけでした。

比べるのはあまりにもおこがましいですが例えとして、宮崎駿監督が日本社会をまるで風俗産業のようだととらえ、それを千と千尋の神隠しというアニメで表現したように。もちろんメッセージをゲーム作品内で直接セリフなどで語るなんて説教臭い事はしません。あくまで設定として世界観やキャラクターに落とし込んでいきたいと考えています。

そもそも何で音大にいるのにゲーム?しかもコンポーザーじゃなくてプランナー?とよく言われます。

これを音楽というフィールドで表現するには限界を感じたからです。

この文章しかり音楽もそうですが、作者が一方的にくっちゃべる・音をぶつけまくる事になるので、例えそれに反論意見があったとしても見ている聞いている人が一方的に受動的になってしまうからです。(自分で書いといてあれですが自分でもこんなん見せられたらかなりウザいキモいと思います)

例えば映画を見ていて「いや、自分だったらこうするのに、こう思うのに…」という瞬間が誰でもあると思います。

だからと言って、見ている人に合わせて結末や途中経過を変える事は出来ません。

 

 

でも、ゲームは自分でキャラを操作します。

プレイヤーにある一定の範囲内ですが自由意志が与えられるのです。

同じボスキャラでも、クリエイター側が想像もしなかったような人それぞれのおもしろい倒し方があったりします。

ギャルゲーだったら落とす女の子次第で結末も途中経過も全く人それぞれです。

その時々にリアルタイムで、プレイヤーに選択する余地があるため、クリエイター側と間接的に意思のキャッチボールをする事ができます。

これはとても革新的に思えました。

どんなに素晴らしい文学作品や美術作品、音楽作品、映画アニメ作品で出来なかった事がゲームではできるんです。それも技術が進歩すればするほど。

それがゲームコンテンツにこだわる理由です。

 

これからはゲームを単なる仮想現実上だけの楽しい・暇つぶしの体験としてではなくて、現実世界とつながる「気づき」「発見」の瞬間がある楽しい体験ができる物にしていきたいです。プレイしている時はもちろんですが、電源を切って気持ちが仮想世界から現実に戻される瞬間、「あれ、これって、、、」という気づきがあるゲーム作品にしていきたいです。

 

 

 

 

 

ところが、上記の企画を面接の場で説明しろと言われても、なかなか声に出しては言えません。どのみち、3分5分で説明するボリュームの話じゃないので、面接官と会社を後にし、金蔵で飲みながら語り合う必要があります。笑

無理矢理簡潔に話す事もできなくはないかもしれませんが、僕にはハリーポッター全作を1時間の映画にまとめろレベルなので無理です。

ただでさえ喧嘩売ってるような内容なのに、端折ると余計にそれが際立つか、そもそも何言ってるかわからないのどちらかだと思います。

よっぽど僕の話を親身になって聞こうとしてくれる涙が出るほど寛大で素晴らしい人でない限り、かなり不快に感じると思います。

そして相手はこんなものプランナーとして入社面接に求めていないのも十分分かっています。ただ、これが核になっているので、話さないわけにもいきません。

変人扱いされるのはもう慣れていますが、それが理由で採用してもらえないとなると、、、本末転倒です。笑

あぁ悩ましい。