信仰心と左翼思想と破壊はどこか繋がってる気がする。


熱心に信仰を何年もやってても意に沿わないことにはすぐに怒り、相手を責めて自分の意見を押し通したり、責任回避に熱心だったり、誠実さが無い人間は、多様性を謳いながら異なる考えは徹底的に攻撃する左翼と同じ匂いがする。


皮肉なことに、信仰者も左翼も熱心な人ほどそんな感じになるのが不思議だ。本来の活動の目的を見失ってるし、結局一緒になって平和を破壊してるだけで無駄な人生だなと思う。


一体何のために貴重な自分の時間を使ってるんだろう。社会にとって役に立たないどころか害ですらあることに熱心になることほどあほらしいことはない。


信仰や思想ではなく、それを受け取る側の問題だとは思う。

なので信仰者や左翼思想の人の中には立派な人ももちろん沢山いらっしゃるとは思うし、そもそも、

その人の人生なのでとやかく言う事じゃないんだが、とにかくそんな人間の近くにいると心が荒むので出来るだけ近づきたくない。

私は穏やかに暮らしたいのだ。


綺麗な景色見ながらタバコゆっくり吸ってボーっと過ごしたいのだ。


どうやったらそんな晩年が過ごせるのか…

誰か教えてくれ。