働くことは尊く美しい。
今日はとてもはっとした事があったので書き留めておきたい。
今日は朝から来月の資格試験に向け、図書館で勉強。
カラダは動かさなくても腹は減るもんですね。
なんだか麻婆豆腐が食べたくて町の中華屋さんに行こうと思った。勉強はソコソコにちょっと離れた町の中華屋を検索で見つけてそこに行こう。
着いたのは何の変哲も無い街の中華屋。
入ってみると家族経営な感じ。おじいさんと息子さんが調理場に立ってた。ホールはおばあちゃん。
メニューは少なく、麻婆豆腐ないじゃん!
仕方なく五目焼そばと炒飯を注文。
味は素朴で万人受けする感じ。しかし安い!
でも、書きたかったことはそんなことじゃない。
食べていると奥から小学5年生くらいの坊主のお孫さんが出てきた。
お客さんに水とテーブルの片付けをしてた。テイクアウトもあるのか少しテーブルで待っているお客さんにもお水を出していた。その「仕事」の一連に誰の指示もなく、許可を得る会話も無かった。つまり、彼(見た目5年生の少年)が自発的にしていた。その事に私は食べながら凄く感心と関心した。
お客さんに自分ができることは何か考え、する。それがその歳から意識せずにできているって感動に近かった。仕事という原点を再確認させてもらった気がした。
仕事とは誰かのために働き、そのことで自分も食べていける。そーゆーことなんだろーなって改めて感じた。
いかに儲けるかもいいかもしれないが、本当に大切なことって何か彼から尊く、美しいものを感じた。
また行って、また彼に ご馳走さまっ! と感謝の気持ちを伝えたい。
- 前ページ
- 次ページ
変わる事への恐怖
先週末の日曜日、大阪都構想の住民投票が行われ、反対が僅差で勝利した。
民主主義のプロセスとして、過半数が絶対とする世の中では今回の決定が正義なんだろう…。
年代的な賛成、反対を見ると40代の賛成が最も多く、70代の反対が最も多い。
これは何を表しているのだろうか。色々考えさせられませんか?
現役を退いた世代の意見が幅を効かせている。
変わる事を期待していない。
メディアリテラシーの年代的な差。
次世代のことをしっかり考える差なのだろうか?
今後、世の中、どうあるべきか…。一人一人どうあるべきか。
私は変わる事への恐怖があるのだと思う。
変わって何がいけない?
変わった後、良くならなければ、また元に戻せば良いではないか?
私は反対するだけの人にはなりたくない。
子供にもそう人間にはなって欲しくないと言い聞かせたい。
そして、私自身にも言い聞かせて生きていきたい。
青山繁晴さん
私がこの人を知ったのはいつだっただろうか。
もう、10年くらいも昔だったような。
この人、ほんとに尊敬できる凄い人だ。
国会議員になられ、唯一の日本の希望の方だ。
本も5、6冊は購入させてもらった。オーディオブックも購入させてもらい、応援している。
2016年の参議院選挙の際に出馬すると聞いて、ほんまに「ほへ?」っと思った。
同姓同名の人?って思った。
本人だ!
あまりの嬉しさにテンション爆上げ。
選挙の際には政治に疎い妻も連れて行き、
「誰書くの?」って聞いてきたから、
「青山さん書いとき」って。
今回のコロナのゴタゴタでますます青山さんに投票して、本当に良かったと思う。
近い将来、この人が党首となった新党が第一党となり、この人が総理大臣になる。
私はそう予言する。
そしたら日本は蘇る。
本当にそう思う。
本当に本当にそう思う。
年末に念願?のIWCの腕時計を買い、時計の魅力に取り憑かれてきた。
時計の本来の目的は時間を知るもの。
しかし、現代の腕時計は「男にとって」時間を知るもの以上の働きがある。
腕時計はアクセサリーであり、ステータスであり、自分を表現するもの。
時計のセンスは自分の自己主張である。
男の人の左腕についている腕時計、ついつい目がいってしまいます。
(高い、安いではないです。センスです、センス。)
時計ほしい・・・。