この日は突然やってきました。
僕は20代の頃から、怪我をして沢山動けない時は
「静の動」を学ぶ時だと謎に思い込み、
生花や能の稽古をしていました。
30代の約10年間、海外で過ごしていた僕は
日本芸能にめちゃくちゃ興味を持ち始め、帰国してからは
怪我をしていなくても、日本舞踊とか習ってたんよ、、、
バレエの先生やりながら、、、🤣
なんか不思議だよね。
そして去年は能の発表会に参加したりして、
謎に魅了されていた。
突然、「ここで踊りたくて、、、」
ってアーティストのさっちゃんこと
Sachi Takekoshiさんが言って、
あれ、、、ここ前に立った事がある舞台だ、、、
そう能の発表会の時に、、、
向かいたい先が、さっちゃんと重なったようで
ただただ嬉しくて、
僕の心はめちゃときめいていたんよ。
30代頃から、ずっと
いつか、日本芸能を海外に運びたいっ✨
海外の人たちに日本の古典芸能の素晴らしさを
伝えたい‼️って思ってた。(バリバリの古典ではなくアレンジした和物)
バレエカンパニーにいた時も
英語は話せないし、自己PRは下手だし、
なんとなく差別も感じていたけど、
日本人で良かった!と思っていたほど、和が好き。
そして、45才からは
50才までに和物の作品をNYでやる!と決め、
49才の時に5日間公演で「THE AMATERASU」と言う作品をNYのオフブロードウェイのシアターでやったんよ。
タイムズスクエアで宣伝のためのゲリラパフォーマンスやったり
今、想うと最高なメンバーとの最高なチャレンジだったな、、、と思う。
でも、当時の僕は、この公演のために無理に無理を重ねて
死んだっ💦
自分で勝手に自爆した感じだった。
(きっと周りからみたら、僕げ何故、傷ついてるのかわからなかったと思うし、僕もずっと理由がわからなかったんだ)
そして、舞台をつくる事ができなくなってしまってね。
塩づくりを始めたんだ。
もちろん、当時は自分のバレエスタジオも
持っていたし、舞台をつくれなくても、バレエを教える選択もあったんだ。
むしろ、その方がすぐに仕事にはなったと思うし、
ゼロから始める塩づくりよりは、簡単だったとは思う。
(さっちゃんとたまに
ダンスの世界から、急に塩づくりに切り替えた行動力の話しになる)
でも、その時の僕はほんとに、今までの自分が生きてきた世界全てが信じられなくなってしまっていてね、、、。
海を想像している時だけが、僕に希望を差し込む感じでさ。
ほんと、マジで大袈裟ではなく、
そこまで絶望した。
(人生で最大です)
でも、人生のターニングポイントだって事はわかってたから、思い切って行動できたんだよね。
怖いとか不安とか言ってる場合ではないほど
無我夢中だったん。
生きてる実感が欲しくてさ、
誰の評価も目線も誰の為でもなく、何にも関係なく、
ただ海水汲んで、薪いれて、炭まみれで汗だくで、
塩を作ってるうちに
生きてる実感が、湧いてきて
それが、どんどん喜びになっていったんよ。
(よく、神塩に触れた瞬間から、ブァーっと凄いエネルギーを感じた、、、って感想を頂くんだけど、
そっか、、、なんか納得した。
生きるエネルギーを込めてつくってるからだね)
そして、3年後の今、僕は舞台を創ることに
ときめいてる。
バレエの体感が戻ってきてる(動ける動けないじゃなくて、感覚だけね)
もちろん、やるとかやらないとかではなくて、、、
ただね、許可ができたんよ。
それだけの事だけど、僕にとっては
とても大切な事だったから、
嬉しいよ。
許可できただけで。
それだけで
過去を引きずったところからの始まりではなく、
過去の自分に縛られることなく、
「今」の僕で自由に生きていける気がするんだ。
だから、僕のやってきた事や、今思っている事、
僕がどんな人なのかを堂々と語っていきたいと思います。
その方がきっと、僕のお塩を楽しんでもらえると思うんだ。
どんな人がどんな想いで、、、を一瞬でも思い浮かべるだけで、エネルギーって湧いてくるからっ✨
だから僕は、自分の人生を堂々と語っていくよ。
今回の塩づくりも、僕自身が浄化された気がします。
勇気が湧いてきたんだ。
暑くてめちゃキツかったけど、
この夕焼け空が抱きしめてくれたよ。
この幸福感は
大自然からの無条件の愛なのだろう。
全てにありがとうっ✨
今回つくった新月の黒神塩と赤神塩は
8月8日の無限の日にリリースします‼️
楽しみにしていてね。
待ちきれない方は
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名取寛人