山口泰斗の上毛町まちづくりブログ -78ページ目

百留横穴墓群に灯ともる!

8月13日のお盆の日に、
百穴壮年会の皆さんにより、百留横穴墓群の前に、提灯の飾りつけが並びました。
遠い先祖のお墓参り、ご供養ですね。

この百留横穴墓群(通称 百穴)は、百留地区で唯一の町指定文化財で、
昨年度の発掘調査の際、多くの出土品があがったことで、
この地域に6、7世紀ごろ住んでいたと見られる人々の家族墓であるということがわかり、
今回の発見で、地域の人もよりこの史跡をより身近に感じられるようになったそうです。
この百穴を中心として、集落の皆さんが思いを共有できるようになれば、とのこと。

百穴1  百穴3
百留横穴墓群                      百留横穴墓群と百留の集落

百穴壮年会は、6年前に百留地区の皆さんが集まって結成したもので、
集落の中でどんどん高齢化が進み、村の人の必要な連携ができなくなることを懸念して、
動ける人で動いて活動し、地域の再生を目指そう、
ということで始められたそうです。

これまでも、
同地区内のいこいの広場やふれあい公園を整備したり、
ツツジなどの花を植えるなどの、
様々な活動をされてきて、
今後とも、さらにこの百留横穴墓群を活かして様々な取り組みをしていきたいそうです。



現地に伺った際、
急に大粒の雨が降ってきたので、
百穴の穴の中に皆さんで逃げ込みました。。。
とは言っても入り口までで、怖くて奥までは入りきらんですね。

雨があがって、太陽の光がさしてくると、突然の虹が現れて、百留の集落にその足をおろしていました。
お盆だけに、ご先祖さまが、帰ってらしたのでしょうか。
百穴壮年会の皆さん

百穴4
出土品の写真ボードも設置しました。

cafe de yoshioka・吉岡茶屋

先日、10日日曜日の朝早く(6時)から、
「吉岡巨石塚保存グループ」の皆さんで、巨石塚周辺の草刈りをしました。

お盆なので、皆さん、先祖のお墓の周りをきれいにされるようですが、
巨石塚周辺清掃は、遠い祖先について、それをしていることになるようです。

吉岡巨石塚4

この巨石塚、
約1500~2000年くらい前の古墳の石室が、何らかの理由で土が取り除かれ表に現れたもの、と言われています。

また、昔は、このような古墳や巨石塚が、他にもこの吉岡一帯に有ったらしいのですが、
中津城に黒田氏が入城した際、築城のため(?)、それらを崩して持っていったとも言われています。
なぜか、ここだけは残ったということです。

今は空き屋になっていますが、
立派なお屋敷が立つ大きな敷地の一角にあるこの古墳、
昔から、この敷地は、それなりの有力な人(権力を持った人)が所有し、代々受け継がれてきたのかもしれません。


取り払った草木は「焼き場」に持っていって焼きました。
最初、自分は「役場」と聞き違えましたが(笑)
その場所は、昔この吉岡の区で持っていた土地で、
かつては、ここで亡くなった方の遺体を焼いていたそうです。

「そんなんも、今の子どもたちは知らんき。
 巨石塚のいわれも、今伝えんと、この先ずっと残らなくなってしまう」
とのこと。

今後、子供会と老人会が一緒に、専門家の方にこの巨石塚についてお話を聞くことも予定されているそうです。

吉岡巨石塚1

清掃をしているうちに、
「ここを茶屋にしたらいいのでは?」という声が。
「お茶屋だけじゃのぅて、「巨石そば」や「巨石まんじゅう」をつくったらええ。巨石だけに、うんとデカいやつを。」
「あんた土地と家、買わんかね」
と、話がどんどん弾んでいきました。

「Cafe de Yoshioka」
それとも「吉岡茶屋」でしょうか。

今後の展開が楽しみですね。

吉岡巨石塚2

余談ですが、
家のつくりを見ると、確かに巨石の周りが庭のように整えられていて、そこに面した一室があり、
以前ここに住んでいた方も、ここで巨石がある庭の風景を楽しみながら、お茶を味わっていたのではないかと思わせられます。

あとは、
巨石の周りのブロック塀を、塗り壁のようにして、
敷地前の法面にお花を植えたら、相当良くなるな、
と、勝手に思いました。

ですが、
急がずに、ゆっくりと、皆さんで相談しながら、段々に集落の魅力を高めていければいいですね。

吉岡巨石塚3

実は、この巨石塚、
今、自分がお借りしている家の真裏にあるんです。
というよりも、巨石塚と、お借りしているハナレの建物が、同じ敷地の中にあるんですね(笑)

来た時は、とても驚いて、
夜に何か出るんじゃないか、とも思いましたが、
先祖を敬う気持ちさえ持っていれば、悪いようにはされんでしょうね。

同じ敷地にあるわけなので、当然、今回の清掃にも参加したのですが、
目覚ましをかけたのに起きれず、
草刈機の音で起きたことは、ここだけのナイショにしておいてください(笑)

子どもたちと上毛町

数日前、
役場のいつもお世話になっている課の方が、
上毛町社会福祉協議会(以下 社協)がひらく「ふれあい福祉体験教室」で、上毛町についてのレクチャーをする、というので、
ついていって見学させてもらいました。

上毛町 町勢要覧「上毛学」(http://www.town.koge.lg.jp/1088.pdf )を元に、
頑張ってつくられたパワーポイント(プレゼンテーションソフト)や、資料・パンフレットを使いながら、
持ち前のステキなパパっぷりで(笑)
ガッチリと子どもたちのハートをキャッチしていました。

あれは、僕にはまだできないですね(笑)

集まったのは、上毛町の各小学校の約30人の生徒さんたち。

中には「この町のことなんかよく知ってるよ~」と言いながら入って来る子も。

子どもと上毛町

まずは、
「上毛町は平成17年に合併して誕生しましたが、何村と何村が一緒になりましたか?」
と聞くと、
「新吉富村と大平村ーーーっ」
と元気のいい返事が。

「では、今から約50年前、前の上毛町には4つの村がありましたが、それは何村か知っていますか?」
と訪ねると、子ども達の顔に「?」マークが。
「今、皆さんは何小学校に通っていますか?」
とヒントを出すと、わかった様子で、
「南吉富ーっ」「西吉富ーっ」「友枝ーっ」「唐原ーっ」というこたえが。

これには、僕の方が、「なるほど!」と感心してしまいました。
よく、小学校区が一つの地域の単位と言いますが、
昔の村の地域の単位が、今もそうしたかたちで残っているわけなんですね。

そこから、歴史・民族文化・自然・憩いと食・農業・工業・次世代と、
様々な分野について、質問を投げかけたりしながら、やさしく説明していきました。

最後に、いくつかの質問をしました。
「みなさんはこのまちが好きですか?」
と聞くと、
「は~い!」
と全員がそろって手をあげ、
「このままの自然や田舎のままがいいですか?それとも都会みたいになってほしいですか?」
この質問にも、
「自然のままがいい」に全員が手を。
「都会、イヤ。コワい。」という声も。

これには、驚きというか、感動というか、何とも言えない気持ちになりました。

最後に、
「将来、皆さんが働くようになったら、この町に残りたいですか、それとも都会で働きたいですか?」
この質問には、前者が半数、後者がそのまた半数でした。

とても考えさせられる点ですが、
町に残って生活がしたいという子たちが、良い生活を送れるような町、
都会に出ていってしまう子も、自分はあの町で育ったんだと、別の地に居ても自信や誇りを持っていられるような町、
であってほしい、また、そうなるように今の大人の皆さんで頑張っていけたら、
と思いました。

子ども達は、小さくても色々なことをよく知っていたり、考えたりしているんだな、
彼らなりの視点でちゃんと見ているんだな、と感心しました。
彼らとも一緒に、まちづくりを考えていけたら面白いだろうな、と思いました。

さて、大人も負けてはいられませんよ!