「絶対に無理だろう」と思っていた一歩を踏み出す事ができて、

私は人生が一変しました。



それを説明するには幼少期に遡ります。



父親のギャンブル依存と女性問題から2歳の時に父は家を出て行きました。養育費もなかったため、母子家庭として貧しい生活を送る中、母親はやがて精神疾患を患いました

幼いながらに母親の顔色を伺いながら生活していたことを覚えています。


ある日母親が宗教に入信しました。そして半ば強制的に、私と姉をその組織の集会に連れて行くようになりました。


そこにいる人達はとても暖かい人達ばかりで、まるで第二の家族のように感じました。その人達といるととても安心しました。

やがて私は中学生の時にその組織に入信することになりました。


しかしその組織はとても厳しい決まり事が多く、人として生きて行く上で人間らしい生き方とは思えず、ずっと違和感を感じるようになりました。その決まりを守って生きていく人生は自分が求めている生き方ではないと感じました。



自分の人生を生きたい。

心の中でずっと悲鳴をあげていた事を覚えています。

その頃からこの組織から離れて、決まり事に縛られた人生ではなく、自分の人生を歩みたいと思うようになりました。


しかし…


この組織から離れるという事は

家族と縁を切らなくてはならないという決まりがありました。


私が一番大切に感じていたものそれは

家族でした。

母親と姉が一番大切で 大好きでした。

その家族と縁を切るという事なんて自分の中ではありえない事だと感じていました。

だから私はあえて考えないようにして自分をごまかし、その組織に留まる事を続けていました。その組織にいる理由は、ただ家族と離れたくないという一心だったと感じます。





それでもやはり限界がきました。


20代前半の時に、私はその組織から離れ、自分の人生を生きる決断をしました。

“絶対に無理”だった大きな一歩を踏み出したのです。

その後組織から除外され、家族とも縁を切る事になりました。


今母親がどこに住んでいるのか、姉がどこにいるのかもわかりません。






自分の人生を歩みたいと思い続けていた時期、いつもこう感じていました。

『この一歩さえ踏み出せば自分は大きく変われる』

でもこの一歩があまりにも大きいため、踏み出す事が出来ない日々が何年も続きました。


それでも、

この一歩を踏み出し、自分のやりたい人生を歩むことが出来たのです。



そこから私は、小学校の教員を目指し通信大学で学び教員免許を取得し、学校現場で働く事ができました。

その後は介護福祉士となり、やりがいを感じるという目的も果たしました。

そしてずっと夢見ていた ファッションモデルとなり、雑誌、テレビ、CMに出て、大阪駅で大きな看板を張ることも出来ました。幼い頃から夢見ていた事を実現できたのです。

その後、私と同じ境遇にある人に、一歩踏み出す事の価値を伝えたいと思いカウンセラーの資格を取得し、現在活動しております。



何故この一歩を踏み出す事ができのか。



このブログではその方法をお伝えしていきます。


貴方を背中からそっと、そして力強く推せるよう

魂を込めてお伝えしていきます。




カウンセラーHIROTO