情と理



 人との付き合いには、「情」と「理」のバランスが大切になってくる。

 人は必ず「情」というものを持っている。好きとか嫌いといった感情は、誰もが持っている感情である。

 たとえば、同じような物を買うときでも、苦手なタイプの店員が勧めた物より、好みのタイプの店員が勧めた物をなんとなく選んでしまう。それだけ日々の生活のなかで、情に左右されることはたくさんある。

 その一方で、「理」の部分、理性、理論、理屈の部分も大切であり、「理」に従わなければならないことも多い。

 だが、全て「情」だけでは解決できないし、全て「理」で通してしまうと、「あの人は冷たい」と言われてしまう。

 人が生きていくなかで、日々の生活では、原理どおり、理論どおりに進める割合は、およそ二割程度で、だいたい八割は感情、「情」に従って生きている。

 特に人は、好きとか嫌いの「情」の部分のほうが強い。

 だから、何かを伝えなければならないときには、相手に八〇パーセントの情がかかっていないと、伝わっていかない。

 相手に何かを注意しなければならないときは、特に難しい。どんなに正しいことを言っても、「この人は嫌いだ。この人にはついていきたくない」と相手から思われてしまえば、その人の耳には入っていかないし、行動にもつながらない。

 しかし、「自分のことを真剣に考え、愛情をもって接してくれている」ということが伝わると、どんなに厳しいことを言っても、相手も受け入れてくれる。

 「この人は自分のことを本当に考えてくれている」と相手が感じれば、何となくついていこう、というのが人間の本性である。

 よりよい人間関係を築く上で、「情」という部分をしっかりと捉え、人に対する利他愛、愛情をもって接していく。

 情を無視して、理だけで押し通そうとしても難しいし、かといって、全て情に従ってばかりでは、通用していかない。

 「情」がある上に「理」が通っている姿を目指す、人の世の中ではこのバランスが大事になる。