今日  3月10日 9時42分…

     母からメールが届きました





 「 今日で丸4年経った。早いね~。
  
   みんなのお陰です。助かっています
  
                感謝してます。

               いつもありがとう。

        明るく 元気にしていられます







        今日は  父の命日  です









             四年前・・・





当時 私は

デパート内のレストランで働いていた



飲食街は

デパートのオープンより遅く、

11時に店は開く。







キッチンで働いていた私は、


仕込みもあるので


9時には調理場に入っていた







当然のことながら、


飲食店の休憩は


        ランチピークに入る前か

         ランチの波が過ぎた後…






キッチンの入りの早い順に

休憩に入っていく







その日も私は

店がオープンして早々に

休憩に入った…






カバンをもって



   「お先に休憩いただきまーす



と、キッチンの鉄扉を出ていく







上の階に従業員の食堂はあったが、

ソコは利用せず



売店で
おにぎりや飲み物を買い、




屋上で
日に当たりながら



休憩時間を過ごすのが
            私のお決まりだった






いつものように


売店でおにぎりを買い、


屋上へ出て


空いてる席を探す




日差しの当たるいい席を確保して


いつものように
                  携帯を見る…







母からのメール



そして

母からの着信履歴




        「なんだろう…





飲み物を飲みつつ

              留守電を聞いた…





「もしもしぃ


聞こえてきたのは、


いつもより少し高めで、

歩きながらなのか

          呼吸が荒い母の声だった




「今日、
    お母さん自分の検診で
    病院にきてたんだけど、


    お父さんの病院から連絡あって
    容態が変わったから…って


    これからすぐ向かうけど、
  
    今まだ病院の近くで…」






いつも母は…

 父の病院へは

          朝早くから夜までいて


毎日 そうやって通い続けていた…





 1人では食事をちゃんと取らない

 看護師さんからは決して食べない




そんな父に、


食べる事が好きだった父に、



出来るなら最後まで

自分の口で食べて欲しい…と、



毎日   毎食 


母が付き添って・・・

        
  



そんな母の唯一の検診日


いつもは朝食からそばにいる母は


父の食事を気にしつつも



自分の検診が終わったら

病院に行こう…と

一つ隣の駅の病院へ検診に。




 そこへ

 父の容態変化の病院からの連絡







明らかにいつもと違う母の口調に、


留守電を聞く私の心も


                  動揺し始めた・・・





お母さんに電話…

       …すぐにかけるが繋がらない





今 どんな状況なのか

どこにいるのか

 病院に着いたのか


        お父さんは・・・




そうだ。

メールを受信していたんだった



お母さんから…



      これはいつのメール・・・?








        お父さん 9時42分でした






えっ?

                   なに、これ?


                  えっ?



   どういうこと…?



母からのメールの文字を見ても


状況を把握出来なかった…




というより、






  認めたくないという気持ちが



より私を動揺させた





テーブルに広げた

おにぎり等をカバンに詰め込み、



携帯片手に


従業員階段の踊り場に行った





また母に電話する…




            繋がらない・・・




心臓がバクバクしてくる…





           RRRRR…




母から着信だった





「もしもし!お母さん?

        あのメールどういう意味?


     お父さん 9時24分 だけじゃ、
        何のことだか分かんないよ!」







母の声が聞こえた瞬間、


私は怒った口調でそういった






        分からない…わけがない





 あの時の自分も

 きっと分かっていた…




でも


どこに向けていいかわからない


           不安や      
   
                        動揺や



  落ち着かなくなった心が、





ただをこねる子供のように


       怒る  という形で


母に向けられていた…







母の声を聞きながら、

      頭が落ち着き始め…



         「お母さん大丈夫?」


ようやく母への言葉がでてきた…


 


すると母は、



病室を開けなければいけないから、

荷物をまとめる為

一旦家に戻り、

また病院へ向かう…ということ




そして、


「いつ部屋を出られますか?」

「どれくらいで荷物が片付きますか?」



           と、


亡くなったばかりの父を前にして

 何度も   何度も

看護師さんに言われたと…






その時 母は話していた…




そのままキッチンへ戻り、

事情を説明し


仕事を上がらせてもらい、



家への帰り道


小学校へ連絡し、


娘を帰宅させてもらうよう伝え…







バタバタと病院へ向かい、


病室の父と対面した





眠っているような顔の父は

入院中の時より

穏やかな顔で

    
       まだ  
                 あたたかかった…




私達が到着した時、

看護師さんが様子を見に

                      部屋に入ってきた
 




まだ母は家から戻っておらず…




その看護師は


       挨拶もないまま、


「娘さん?お母さんはまだかしら?」

 「いつ戻られるか分かる?」






いつ 片付くか、

いつ 出られるか、


そればかりを訴えてくる看護師だった






病院だし、


患者さんは沢山いるし、


     分かります。分かりますよ…







でも

   人ひとり亡くなってるのに…







事務的な話の前に

                なにか一言・・・







今でも母は


父の色んな思い出話をすると、


必ず


あの時の…


父の最期の日の、



看護師さんの話が必ずでてきます





と、



色々思い出すうち


なんだかしんみりモヤモヤしましたが、



今日は
  
            【父の命日】

というのもあり、


私のストレス発散もあり、




母の所へ行ってきました




相変わらず

元気で

よく食べ

よくおしゃべりする

                     私の母です







母のちょっとした事に


スグ怒ったり、

文句を言う父に


    なんでそんなことくらいで…




     子供心に思っていました。




でも

自分が歳をとって、




それが


父の母への心配や嫉妬や…
 

           母への想いの深さ


なんだと感じるようになりました







無口で、


あまり感情を表に出さず、


いつも平静でいるような…



そんな父は



私が想像しなかったくらい

きっと 母を想っていたんだ…




      父には母で…


                    母には父



だったんだなぁ…と


娘心に思います





今の母の家に飾られた父の写真…

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                    葬式無用

                    戒名不要
 




二人が元気な頃から言っていた事で、

母は

その通りに


本当に


内々だけで・・・




母の家には
父の写真コーナーがありますよ

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  父と母の…

          二人の娘でよかった





と、


改めて思う…


 3月10日 父の命日…なのでした