島の伝説を耳にしたのは、その島に向かう船の中だった。

神々が集まるというその島には、島の人たちが“命がえ神社”と呼ぶ、不思議な力を持つ祠があるるらしい。その場所を誰一人として正確には知らないが、何でもその祠で願った"真実の願い"は必ず叶うのだそうだ。ただし、その願いを叶えた者は、忽然と姿を消し二度と現れないという。


その島を訪れるのは初めてだったが、あいにくその日は酷い荒れ模様で、いくつか近場の名所を回るのがやっとだった。
陽も傾きはじめ、宿に帰ろうと海岸通りを歩く途中、「阿波命神社」という案内を見つけてお参りしていくことにした。海岸通りから細い小径を歩いて少し奥まったところにそのお社はあり、小さいながらも誰もいない境内にひっそりと佇むそのお社は厳かさがあった。参拝を終えて、また海岸通りに戻ろうと引き返そうとしたところ、小径を外れたところに石を重ねただけの小さな祠があるのに気付いた。ついさっき通ったばかりのはずなのにこんなのあったかなと思いながら、せっかくなので祠にも手を合わせることにした。

"世界から戦争がなくなりますように。世界中の人々が笑顔で穏やかな日々を過ごせますように。まんまんちゃんあん♪"

手を合わせたあと、ふと船で耳にした伝説のことを思い出して、まさかなと思いながら、そんなことを考えた自分が可笑しくなり笑みがこぼれた。

宿に戻り雨で冷えた身体を温泉で温めた後、島の美味しい魚をたらふく食べ久しぶりの贅沢な晩餐を楽しんだ。

夕食の後、少し風に当たりたくなり宿を出た。宿のすぐ前は小さな漁船が出入りする港になっている。日中の嵐が嘘のように穏やかな夜だった。
目の前の海に月がきれいに映りこんでいた。
さざ波の音を聞きながら海面に揺れる月を眺めているうち、すっかりその月に見入ってしまったように思う。
どのくらいの時間が経っただろうか。次に気付いた時、僕は海の中にいた。さっきまで眺めていた月が頭上の海面越しに朧げに見えた。少しずつ遠のいていく月を見上げながら、僕は自分の心が救われるような気がした。


#命がえ神社 
#真実の願い 
#神々の集いし島 
#朧月 
#月の光 
#まんまんちゃんあん 
#エイプリルフール 
#エイプリル狂言 
#狂言癖 

#嘘というより 
#妄想の世界 

ぼくがろくでなしの大学生だった頃のこと

散々進路に迷ったあげく2年間の休学を経て、ぼくは桐生にある大学に戻った。
入学時に仲良くしてくれてた同級生はもう4年生だったり、年下ばかりの新しい”同級生”にもどこか馴染めず、元々集団行動が苦手で独りで行動することが多いぼくだったが、大学生活の大半を独りで過ごすことになった。

大学に戻って約一年が過ぎようとしていた三月も半ばの水曜日。
桜も咲き始めたというのに雪がチラつく寒い夕暮れ時だった。取りこぼした単位の補講が終わり食堂から少し離れたベンチに腰掛けて休んでいた時、気がつくと隣にいたのが彼女だった。
大学で何度か見かけたことがある気がしたが、その存在にちゃんと気付いたのはこの時が初めてだったように思う。彼女は何も言わずにこちらをじっと見つめていた。

「やあ」「寒いね」とぼくが声を掛けても彼女は黙ってぼくを見つめていた。吸い込まれるような大きな瞳。その眼差しにはどこか憂いがあった。

どのくらいそうしていたか分からない。辺りが暗くなってきたので彼女に「ぼく、行くね」と言って帰ることにした。すると彼女はぼくの少し後ろを黙ったままついて来た。アパートに着き、扉を開けてぼくが入ると、彼女はそのまま静かに入ってきた。
部屋でも彼女は何をするわけでもなくあいかわらず黙ってただそばに座ってじっとぼくを見つめていた。

夜になりぼくがベッドに入ると少し遅れて彼女も入ってきた。不思議とずっと前からこうすることが決まっていたように思え、ぼくはごく自然に彼女を抱きしめた…彼女の身体は小さいのに驚くほど温かかった。ふとその時、温められているのはぼくの方だと気付き、ぼくの中で何かが崩壊し急に涙が溢れ出した。

翌朝、目覚めると、彼女は窓の近くで外の方をじっと眺めていた。
「帰るんだね?」と声をかけて扉を少し開けてやると音も立てずにその隙間から彼女は出て行った。去っていく彼女に「ありがとう」と声を掛けると、彼女は顔だけこちらに向けて立ち止まり、「ニャァ」と初めて小さな声を出した。

#水曜日のネコ 
#黄昏時 
#たそかれどき 
#かたわれどき  
#エイプリルフール 
#aprilfoolsday  
#嘘というより 
#妄想 

ある冬の終わりのこと。仕事で訪れていた札幌で、ホテルに帰る前に「一杯だけ」と以前一度訪れたことのあるBarに立ち寄った。

たまたまひとつだけ空いていたカウンター、その隣に座っていたのがその人だった。ショートカットが似合う美しい顔立ちは一見少し冷たそうな印象だが、話してみると穏やかな声が心地良い人だった。聞けばぼくと同じ年で、その人も仕事で札幌に来てるという。あまりの居心地の良さについつい2杯、3杯と飲んでるうちに気がつけばその人と二人になっていた。その夜、初めて会ったのに、ずっと昔からどこかで繋がっていたような不思議な感覚、その時に感じたはまさにそんな感覚だった。どちらから誘うでもなく、あらかじめそうすることが決まっていたかのように、ぼくらはその夜を共に過ごした。

明け方、目が覚めるとその人の姿はなく「またいつかどこかで」とだけ記されたメモが残されていた。

あの夜から何年過ぎただろう。心の中でいつもどこかに彼の姿を探しているぼくがいる。

#秘密
#またいつかどこかで
#かたわれ時
#かはたれ時


#4月1日
#aprilfoolsday
#エイプリルフール

一富士、二鷹、三イルカ

いつになく縁起よく始まった2016年も刺激の詰まった楽しい一年でした。

…あらためてすべての出会いと時間に感謝

 

2017年の言葉に選んだのは、

ラブレーが書いたガルガンチュア物語の中での思想、

 

Fay ce que voudras

(汝、欲するところを為せ)

 

最も敬愛するGQの鈴木編集長からの受売りですが・・笑

鈴木編集長の言葉を借りればシンプルに「君が望むことをしなさい」と

 

一度きりの人生ですからね、

今まで以上に仕事も遊びも自分の望むことを大切に生きていきたいと思います。

 

テーマ曲は、

ぼくの大好きなJ・S・バッハの「主よ、人の望みよ喜びよ」で♪

 

2017年が望みと喜びに満ちた一年になりますように!!

 

 

そんなワケで今年の漢字は「望」にしてみました

年末にこの為に新しく手に入れたFABER-CASTELLの金色の色鉛筆で

一枚一枚年賀状に字入れをして送らせてもらいました。

あいかわらずどこまでも自己満足な年賀状。
写真の場所が全部分かった人には素敵なプレゼントを差し上げます(笑)

 

 

少し前に出会った素敵な言葉。

 

 

調べてみると元々は

 

Beauty is in the eye of the beholder.

 

という表現のようだけれど、ぼくは

 

Beauty is in your eyes.

 

の方が語感もシンプルで好きだな。

 

 

直訳すると、

 

「美しさはあなたの目の中にある」

 

美しいかどうかはあなたの目が決めればいい。他の人が何と言おうが、どんな評価をしようがそんなことはどうでもいい。自分自身がそれを美しいと思うかどうか。そんな感覚をもっと大切にしたい。

 

ちょっと書き留めておきたくなったので備忘メモ。

 

 

先日訪れた京都での出来事…

 

河原町近くの旧い小学校の校舎でイベントをやってたんだけど、そのすぐ前の通りで老婦人から声を掛けられた。少しそのイベントのことなどを聞かれたので話したのだけど、唐突にぼくの顔をじーっと見つめて「あんたは仕事で成功する顔をしてはる」、「人に使われてたらアカン」、「失敗することがあってもあきらめへんかったら必ず成功する」と予言めいたことを残して去って行かはった。。

 

なんでも「ずっと易をやってきたからわかる」のだそうで、御歳100歳!とのこと。

 

個人的にはこのタイミングでそんな事を言われたことにも大きな意味があるような気がしてる。

 

ありがとう、おばあちゃん。

「長楽未央」

昨年未年の年賀状にも使ったぼくの大好きな言葉。

「長く続く楽しみは未だ央(半ば)にもならない」という意味で、長く続く楽しみというのはぼくの人生そのもので、自分の人生はいつまでも半分にもならないような、どこか永遠に続くような気がしてた。

しかしそんなぼくも、この正月から今まで感じたことのない身体の違和感を感
じお医者さんに罹ることになり、少し考えが変わった。

そのこと自体は、決して悲観的になる話しではないのだけれど、もし自分自身の余命があと1年、あるいは半年と言われたらということを考えた時、今の自分自身の生き方についても少し考えさせられたのだ。

仕事とオフの時間の使い方、大切な家族や友人たちと過ごす時間、本当にやりたいこと、やりたかったことをどれだけやってきたか、etc....

考え出すと、何だか今までになく、今過ごしている一日一日、一瞬一瞬がかけがえのない貴重なモノに思えてきた。
目の前を通り過ぎていく一瞬一瞬がどこか切なく、美しく、愛おしく感じられ、
一度きりの人生、例えあと1年でも半年だとしても最期の最後まで楽しんで人生を味わい尽くして死にたいななんて…

・・なんて超前向きにかっこよく書いているけれど、実は自分の症状から勝手にスキルス胃がんの疑いを持った夜は、寒気がして震えるほどに怖かったんだけど。。

今週、生検の結果が出てどうやら違うらしいということがわかって、なんとなく症状も軽くなった気が・・・どんだけ小心者やねん。

でも結果が分かるまでのこの数日間、当たり前のようにご飯を美味しく食べられることが如何に幸せかを毎回毎回噛みしめることができた
食べられる内にできる限り美味しいものを食べておきたいという、今までにない新たな喰い意地が覚醒したりして。。だいたい末期の胃がんならそんなに食欲旺盛であるはずない(笑)


結局のところ、去年と今年で何も状況は変わってはいないんだけど、お陰で今まで以上に、家族や友人たちと過ごす時間をもっと大切にして、自分のやりたいことを元気なうちにもっとやっておきたいなと強く思った。・・忙しくなりそうやわ。

五感と自分の感性も少し研ぎ澄まされた気がする。


そんなこんなで、ぼくの大切な友人のみんなにもお願いしたい。
葬式でぼくの青白い顔を見る前に、もっといっぱい遊んでやってください。ぼくがこの世からいなくなる前にできるだけ一緒に楽しい時間を過ごしてやってください。

意外とぼくの長く続く楽しみの終わりはそれほど遠くはないのかもしれないから
・・・そんなこと言いながら誰よりも長生きしてしもたらゴメンやで。



「永遠も半ばを過ぎて…」というのは、ぼくの敬愛する中島らもさんの小説のタイトルから。
らもさんも入院したりいろいろ考えてぼくと同じような心境になったのかもしれんなと思いながら、今のぼくの気持ちにぴったりなので、親しみと追悼の意味を込めて拝借しました。