しかし、いったい何がしあわせなんでしょう?
どういう時にあなたはしあわせを感じますか?
どういう時にあなたはしあわせだなと思いますか?
私はこの問に、答えられましたが、実はそれが間違っていたことに気がついたのは最近です。
私はスピリチュアル経歴が長いので、しあわせというものが、物質的なものでは満たされないということはよくわかっていました。
しかし、面白いのが実際に成功を目指そうとすると、霊的なものや感覚的なものって無視されてしまうんですよね。
つまりしあわせなどという、抽象的で主観的で、なんだか得体のしれないものにかまってられるか、そんなことより、毎日のお客、毎日の売上、利益率の向上だろう?
と、どこか考えている自分がいたんです。
面白いですよね。
あなたの「成功」のイメージってなんですか
これは成功という言葉のイメージが、非常に物質的であるからと思うんです。
人は成功という言葉を聞くと
知らず知らずのうちに、物質的な成功を想像します。
例えば、大きな家に住んでいたり、
自由に海外旅行に行っていたり、
豪華客船の旅なんかにも行っちゃったりして、
裏庭に自家用車が何台も停まっている。。。
みたいな想像です。
これが必ずしもしあわせにつながらないということはみなさんピンと来ると思いますが、
じゃあ社会的な成功というのはどうでしょうか
例えば100人従業員のいる会社のオーナーだったり、
地元では有名な人になったり、
本を出版していたり、
特定の業界で話題になっていたり。。。
これはより精神的な面での成功で、これならある程度しあわせになっているかな?
とも思いますが、
私が言う成功というのは全く違います。
当時私も同じように、富と名誉、物質的成功と、社会的成功を追い求めて必死だった時がありました。
今は紆余曲折があり、
自分の中で昔のようなものすごい欲望といいますか、
金銭欲や名誉欲や権威欲がなくなってしまったので、あまりそういうものに惹かれなくなってしまいました。
簡単に言うと
そんなものが自分のしあわせややすらぎにまったく関係ないどころか、悪影響さえ及ぼすものだということがわかったからです。
こういうと
じゃあ、富も名誉も、社会的成功も物質的成功もいらないのか?
と言われるかもしれませんが、そうではありません。
私はお金もとても大事だと思いますし、
周囲から認められ、愛されることも大事だと思っています。
しかし、真の成功、
本当の成功がしあわせになされていない限りは、その成功はいつかは消え去っていくものだということがはっきりとわかったのです。
真実の成功と「まがいもの」の成功
真の成功、完全なる成功とは何でしょうか
それはただ、ただ、単純に、
ああ、今しあわせだなぁ
と、心のそこから思えること。
これにつきます。
みせかけや、暗示ではいけません。
ただ、なんとなく、
しあわせだなぁ
と思えること
これ以上にかけがえのない大切で、
素朴ですばらしいことってないんじゃないでしょうか。
私はみせかけの成功を追い続けるあまり、かなりいろいろとひどい目に遭いました。
しかしその中でも一番今、ひどいなと思うのは、
当時の自分が
「しあわせだなぁ」としみじみ思うことを、自分に許していなかったことです。
自分がしあわせを感じる権利を自分自身が認められなかったのです。
「しあわせだなぁ」としみじみ思える人は満たされています。
そして、真実の成功とは、そのような、満たされた状態から出発していない限りは、必ずどこかで破綻します。
何故なら、そのような人の成功は、まずたいてい「自分の中の何がしかの不足感」を元に行動してしまうからです。
それに自分のしあわせを尊重する行動パターンを持っていない人というのは、
自分のしあわせという価値基準がわからないがゆえに、外部のわかりやすい「しあわせそうなしあわせ」を求めます。
でもそのしあわせには
一番大事な「自分」というものが入っていないため、
常に自分の中の本当の「こころ」と葛藤します。
「こころ」「自分」と「成功」、「仕事」、「人生」が一致していないからです。
単純に聞こえるかもしれませんが、これが成功の秘訣なんです
しあわせってすごい単純なんです。
バナナを食べていて幸せと思うかもしれないし
夕日がきれいでしあわせだなぁかもしれない。
寝起きが気持ちよくてしあわせだなぁでもいいし、
今日も1日平和で幸せだなぁ
でもいいんです。
しかし、そういう、素朴でほのぼのとした、しあわせだなぁ感覚を持ち合わせていないと
人はどうしても本当の意味の成功にたどり着けません。
自分のしあわせだなぁを感じられる人というのは自分にゆとりがあります。
自分のしあわせだなぁを感じられる人というのは、自分を大事に出来る人です。
自分を幸せだなぁと感じられる人というのは、結局は自分の本当のこころに従っているがゆえに、ほんとうの意味の成功につながれるのです。
その結果として、富や名声が手に入るのであれば、
自分のしあわせだなぁという感覚のままでお金も名誉もついたということで、これはスバラシイの一言につきます。
「いつも」「自然に」「しみじみ」感じる。これがほんとうのしあわせ
しあわせだなぁ
という感覚で特に重要なのはそれがある特定の状態ではないことです。
例えば、貯金が1000万円あれば幸せというのが特定の状態のことです。
これは1000万円あれば幸せを感じられますが、それが900万になると不安になり、焦り出します。
ただ、毎日がしあわせだなぁと感じる。
これが重要です。
しあわせを感じられない時ってもちろんあります。
当然僕にもあります。
しかし、そういう時にあなたが
こっちはしあわせそうなんだけれどなぁ
という
「こっち」
を選べることが重要なんです。
でもなあ、周りが許してくれるかなぁ
とか
会社があるからなぁ
とか
お金がかかるしなぁ
とか
いろんな理由があります。
でも、そこで
なんとなく「こっち」にいったら幸せそうだし、たぶんしあわせだという
自分の中の虫の知らせ、
心の叫び
魂のささやきに従って行く
これこそがしあわせのみちに他なりません。
そうやって、幸せそうな道ばかりを選んでいくと
当たり前ですが、毎日がどんどんしあわせなことに埋まっていきます。
自分をわずらわすようなことから遠ざかり、
自分を安らがせ、豊かにするようなことばかりを選択していく。
その当たり前のわかりやすいことをしていくだけで
人はしあわせになれます
ただ、ほとんどのひとは
そうはいっても現実的に無理だろう?
とか
そんな事言ったって明日の飯はどうするんだ?
などといって
今日のしあわせや
今日の安らぎ
今日のよろこびを後回しにしてしまいます。
そうやって小さな小さな選択が積み重なって
いつしか心から
しあわせだなぁ
ということが感じられないところまで行ってしまうのです。
これは私がそうだったので
非常によくわかるんです。
しあわせは「努力」してなるもんじゃない
しあわせというのがおもしろいのは、
しあわせだという人は疑いなく幸せなんだということです。
それは自分にしかわからないことですし、
どんなにいい地位にいたり、
どんなに素晴らしい業績をあげていても
自分が感じれるか感じれないかなのです。
そして、これがまた面白いのですが、
しあわせだなぁ
というのは
どれだけ努力してもそう思えるたぐいのものではないということです。
つまり自分の精神を統一してしあわせだ!
とか思うのは、当たり前ですが見せかけのしあわせであるし
100冊本を読んでしあわせだなぁと思えるようになった!
というようなものでもないのです。
ただ、自然に、自分の心のなかから、
しあわせだなぁ
という想いが沸き起こってくるんです。
こんな当たり前のことなんですが、
実際しあわせになろうと「努力」している人はたくさんいます。
私は20年努力しました(笑)
しかし、ほんとうに必要なことは、
力を抜いて
ただ、毎日を、しあわせに生きようと決意して、
しあわせそうな方向にいくだけでいいのです。
自分の「こころ」を信じて挙げてください
重要なのは
あなたは自分がしあわせを感じる権利があると知ることで
ただ、自然な状態で生きていくだけでしあわせになるということを体験として知ることです。
ただ、川に流されていくように、流れに従っていくだけで、人はしあわせになれます。
その川とは自分のこころが自然に欲していること、
自然にやりたいと思っていることや
やりたくないと思っていること
に従って行く事
そういう自分の「こころ」の動きを信頼すること
それだけなんです。
そしてそっちに行けばそっちに行くほど、結局は早く成功します。
どどーんとすごい規模の成功は大抵の場合はしません。
何故なら、大抵の人のしあわせはそんなところにないからです。
しかし、自分がしあわせだなぁということを感じながら、物質的にも社会的にも成功するということはすべての人に確実に存在する道です。
ただ許せばいいのです。
さあ、今日あなたが感じる
しあわせだなぁ
はどこにありますか?
今すぐ自分を信じて従ってみてください
