I お久しぶりです!

25チーム主将を務めました、04のつぶです。

 

さとから紹介してもらえて大満足です^^

 

ジョーから始まった04の引退ブログ。

誰もが予想しなかった順番だったんじゃないでしょうか

まさかの入部した順番。私はちゃんと04の最後に入部したのでこの順番何気に上手くはまっています。始めていった新歓で、04が一気に入部を決めて、そんなノリで入るなんてとドン引きして、一旦女ラクから距離をおいたのを覚えています笑

 

 

 

1年間25チームを応援してくださりありがとうございました。

主将になってから、より一層様々な方からの応援支援があってこそのHLCだと肌で感じました。広大女ラクの歴史の重み、広大女ラクらしさを大切にしたいと1年間思い続けたのも、多方面から広大女ラクへの愛を感じた1年間だったからです。これからも広島大学女子ラクロス部への応援よろしくお願いします。

 

 

また、大会関係者、委員会の皆様ありがとうございました。

私が主将になって良かったと思っている理由の1つに皆さんの努力や存在に気づけたことがあります。きっと私が知っているのはほんの一角に過ぎないと思いますが、私たちがラクロスに打ち込める環境を作るためのみなさんのご尽力には頭が上がりません。25チームでは全学までお世話になりました。本当にいつもありがとうございます。

 

 

 

さて、引退ブログ。

ラクロスはこの先続けますが、広島大学女子ラクロス部からは卒業ということで。

何を書くか迷いましたが、反省ブログにはならないように、自分がしてきた事や思い出を書いてみました。大学生活4年間を捧げたラクロス。その過程で学んだこと、考えたことをいつか未来の私が振り返った時に力になるように。そして、これを読んでくれている誰かの契機になれたらいいなと思いながら書くことにしました。そんなにえらい内容ではありませんが、これが佐藤響乃という1人のラクロッサーの4年間です。

ではスタートします!

 

 

ちなみに、引退ブログの重い腰を上げたきっかけは、first loveを観て、いつ記憶喪失になっても引退ブログだけはビビにあげてもらえるようにしなきゃと思ったからです^^

結構長くなったので、ご容赦ください。

 

 

 

〇強い広大にするために

今年の目標は「中四国制覇」でした。

23チームで中四国制覇をしてから、同じ景色を04の代で成し遂げることへの強い憧れがありました。

そしてもう1つ、この目標にかけた思い。

それは、強い広大を作って繋げること。

今年は何がなんでも結果を出さないといけないと思っていました。踏ん張らないといけない年だと思っていました。23チームの中四国制覇から24チームでのfinal4敗退。結果だけ見ると、24チームの結果は23チームからの強い広大を繋げられなかった。25チームで中四国制覇できなかったら、finalにすら行けなかったら、23チームの中四国制覇が本当に奇跡になってしまう。一過性の強さだったんだて2年かけて証明するだけになる。そんなんじゃないじゃんって。

23チームで02さんが作った変化、残したものって1年限りだった?

24チームで03さんと繋げたもの、積み重ねてきたものってなかったの?

23-24で積み重ねてきた変化を今年25チームで中四国制覇という結果で残して、強い広大が繋がっていることを証明する。これが、HLCの一番上を任された代として、そしてなによりも02、03さんのチームを経験した者としてやらなきゃいけないと思っていました。

24チームの始動ミーティングで03さんが、強い広大を未来に繋げる年にしたいと言っていました。その考えを聞いてからは【広大の強さ】について考えるようになりました。その年のチームの目標達成しか考えた事なくて、自分が引退した未来の広大の強さなんて考えた事がなかったけど、この考え方は私のラクロスの新しい原動力になりました。

そんな考えを持ち始めてから始まった24チームのfinal4敗退は、何としてでも25チームでこれから先の広大の為に結果を残さないといけないという気持ちと、広大をこの25チームの代で強くしたいという気持ちをより一層大きくさせました。

 

中四国制覇が強い広大の証明になると信じていました。

その中四国制覇を通して、

「強い広大を未来に繋げること」、

これが私の中で最終的な目標でした。

だからこその「新時代」

これから先の広大が、finalに進むのは当たり前で中四国制覇の先を当たり前に目指せるチームであって欲しい。

この気持ちが大きかった。その礎に25チームがなりたかった。

そう思うくらい先輩たちが作ってきた広島大学女子ラクロス部が好きで、そして後輩たちが好きでした。

 


 

そしていきなりですが、

岡山男子の全学1回戦突破

感動しました。あの勝利を掴むために、どれだけのものを積み重ねてきたんでしょうか。全学初戦突破を、中四国が関西相手にするなんて夢物語じゃないんだ。歴史を変える瞬間を目の当たりにできたこと嬉しく思います。改めておめでとうございます。でも私達が1年間目指してきた「中四国制覇」が、全学初戦突破の「スタートライン」だなんて、少し嫉妬しました。私達が勝てると信じれないなか関学と試合したからこそ、全学初戦突破を掲げて勝った岡大男子を見て少し悔しかった。

けど、final4で負ける広大が、finalの舞台に史上2回しか立ったことがない広大が、中四国制覇すら掲げるのを躊躇うくらい高い目標だった広大が、

全学初戦突破を掲げて、勝って、喜ぶ姿をいつか見たいという思いを「新時代」に込めたことを思い出させてくれました。そんな姿をこれからの広大に期待しています。

いつか見せて下さい。中四国制覇のその先を。

05、06、07がその姿を見せてくれると信じています。なるべく早いと嬉しいです^^

 

 




―◆育成について

24チームでは育成リーダーを務めました。

広大を強くするためには、まず育成のレベルを上げる必要があると思っていました。

ラクロス初心者が多い中で、その子のラクロスの常識を作るのが育成だと思います。だから育成でどれだけ考える力と確かな基礎力を付けるかが、将来的な継続的な広大の強さに繋がると信じていました。

そんな育成を作るには、育成コーチはらいさんしかいないと思っていたから、らいさんがやるよ!と言ってくれた時は本当に嬉しくて、これから育成を作っていくことが楽しみで仕方ありませんでした。

かなり育成はこだわってやってきた自信があります。

なにせ引退ブログに書くほどですから。

留学先からスタートした24育成。時差の関係で深夜1時からのズームミーティングが続きました。直接話さないと物事を上手く進められない私は、こんなスタートで大丈夫かなと不安に思いながらも、あしゅジョーって頼りになるなぁと画面越しで会える同期に嬉しさを感じていました。いざ育成が始まると紆余曲折でした。

難しさの過程に楽しさがあるのですが、育成って本当に難しい。

育成のレベルを上げる為にはどうしたらいいのか考えました。私なりの答えは、曖昧な表現をなくして、感覚ではなくて理論で成長できるように意図を明確に伝えることでした。スポーツで上達するには、理論の上に感覚が乗っかることが大切だと思っています。自分の動作の意図を言葉で説明できる。特に初心者にとっては、言語化できるラクロスって大事だと思います。結局、自分の動きを言葉で説明できて初めて、自分のプレーを自認できるようになります。クレードルにしろ、クレードルという動作の次にどんな動きがあるのか、そもそもクレードルする理由はなんなのか。こういう考えて言語化できる育成を目指していました。じゃあ、そういう育成を作るためには何したらいいのか!

とにかく考えて、分析と解決策を出してを繰り返しました。去年の育成をなぞるような育成だけはしたくなかったから、06の成長に合わせた、今の育成をトライアンドエラーでやっていました。試行錯誤という言葉が似合う24育成でしたが、らいさんや頼りになる育成メンバーの力もあってより言語化されて目的を持った育成練に進化出来ているなと実感していました。

特に、06が偏りなく全員が上手だなと感じる度に育成のレベルアップを肯定できた気がしました。

そして、育成リーダーを経験して思った事。

とにかく育成練は上回が大切だということ。上回にこうしてって求め続けた24育成だったと思います。育成練は教える側の上回の認識や意識が大切だと信じています。これは、ある人の「下級生は上回生より上のレベルには大体なれない」という言葉が根底にあります。(本人の努力次第だと思うけど、“大体は“です)

特に育成練なんかそうだろうと思います。どうしても練習中に一回生が参考として見るのは上回生のプレーです。例え、上回のプレーが参考にならなくても(なるようにするのは大前提)、考えるきっかけだけは作り続けないと、一回生の成長はそこまでになってしまう。だからこそ、上回に求め続けたし、上回同士の共通認識を高める努力をしました。上回にちゃんとしろやて頭にきた回数は、06にちゃんとしよって少しきれた回数よりも遥かに多かったです^^(それゆえのビックボス?)

こだわっていたワンプレーワンFB。個人的にすごく好きな言葉。私の意識改革の1つ。FBされる側は、客観的なFBをすぐに貰えるから考えるきっかけが常にある。FBする側も、プレーを分析して言葉にする瞬発力が鍛えられる。考える種をまき続けるのもこだわっていました。

 

 

結果として【広大の】育成のレベルを上げれたかは分かんないけど、確かな育成の基礎を24育成で作ることはできたのかなって思います。結局育成が好きでいられるのは、育成を通して努力して成長した06、らいさん、育成メンバーのあしゅジョーぽむあぐ、皆の存在があったから好きなんだと思います。

 



(ぽがいないけど^^)


―◆OF幹部

とわも書いていましたが、冬の期間のプレーの言語化。これが25OFのターニングポイントだと思います。1年間OF幹部を担うからこそ、ワンだけじゃない広大のOFを作りたいと思っていたし、これからの広大のOFに強みを作るにはどうしたらいいのか考えていた時に出会った考え方。

とわと話している時には、

あ、これだ。こういうのが広大に足りなかったんだと思いました。

細かい共通認識、組織で攻める為の基礎を言葉で説明する。曖昧な表現の個所をとことん潰して、本人の感覚だったところを理論化する。これが今までの広大に欠けていたところ。個人の力じゃなくて、チームで攻める。それを補う基礎が出来た時にはこれからのOFが楽しみで仕方ありませんでした。

 

私が25チーム楽しかったなと思える理由の1つは間違いなくOFに携われたことです。そして何よりも、とわと一緒にOFを作るのが楽しかった、大好きでした。

すっごく頼りにいていたし、同じ目線で同じ思考で、一緒に頑張れたの本当に嬉しい。

一番感謝しているのは、私のプレーにFBくれたこと^^OFに関して言ってくれる人ほぼいなかったから、とわが居たからちゃんと自分のプレーに向き合えたと思う。



(とわのこういう所好きだった^^)

 


(私も大好きだよー)

 

全学を経て、作ってきたOFが中四国だけに通用するものではない、他地区にも通用するんだと思えました。

点を決めるにはあと何か強みが必要だったけど。

でもそんな成長した自分たちのプレーを実感できて、そういう広大OFを作るのに関われて嬉しいです。

 



強い広大にするために、なんておこがましいかも知れないけど、私が高い質を求め続けれる原動力でした。

全学を終えて、その礎に25チームはなれたのかなって少し思えました。

でもこれって、結局は主観なわけだから、後輩たちが更に広大を強くしてくれるのを、そしてその強さに25チームの1年があったよって証明してくれることを願っています。

 

 

 

◯私の4年間

各チームの振り返りをしてみます。どのチームも大好きでした。

―◆22チーム

ちゃらんぽらんな1年生だったなと思います。ただ単に04といる事が好きで、自分のラクロスしか考えてなかったです。

だからよく分からないまま過ぎていきました。リーグの形式も1試合の価値も分からないまま、final4でした。チームの一員という意識が皆無だった本当によくない1年生だったと思います。

でも1年生として、温かい22チームに入れたことは、女ラクは楽しい場所なんだて思える原点になっていると思います

 

―◆23チーム

2個も前のチームなのに、色々な場面が鮮明に思い返せるほど濃かったです。それほど自分のラクロス人生で存在が大きいチーム。それは中四国制覇したからだけではなく、チームの一員としてどうするべきかを考える機会が多かったからだと思います。

つま恋後の中四国制覇に対する学年ミーティング覚えています。中四国制覇、このままの目標でいいのか?て。覚悟が足りてないって話たよね。中四国制覇ていう目標にしたのは自分たちでもあったんだから、もっと当事者意識を持つべきだって。

あの時は何も思わなかったけど、キャプテンを経験した今、中四国制覇という目標に対してあのミーティングを開いた02さんは勇気と覚悟がすごかったんだて思います。

あと個人的にすっごくモチベーションに悩んだリーグ期でした。

Final4からいなくなる人間を抜きで練習したり、試合展開できたりする方が目標の為にはいいて分かってたから。きっとそれを02さんも思ってただろうし、他の04の成長に力入れた方が中四国制覇の為の確かな道だと思ってたと思います。そうひねくれた思いを持つくらい02さんの中四国制覇に対する思いを感じてました。自分の中途半端な立場が嫌で、でもそれが理由でセット入れないのも許せないくらい負けず嫌いで。

あの頃はけいさんとレンさんの存在に助けられてました。

けいさんには、新人賞とるんでしょ?て何回もケツ叩かれて、言い訳せずに向き合おうて頑張れました。きっとけいさんにケツ叩かれてなかったら、新人賞取れてなかったと思うし、夏頑張れなかったと思います。

レンさんには、こういう愚痴を聞いてもらったし、色々と02さんの考えとか話をしてくれました。自分の立ち振る舞いに悩んでたからこそ、レンさんのそういう話は自分にとって自分が23チームでラクロス頑張っていいんだな、て思えました。ホーム、ボトム、ミディ、この3ポジを2回生で経験できたのは自分の強みになったと思うし、自分を使い続けてくれたコーチさんや、信じてくれた02さんには感謝しています!

23チームが中四国制覇した時は嬉しかった。配信先から泣いてました。

よく中四国制覇した景色をっていうじゃないですか。私って実際その景色をチームのみんなと同じ目線で同じ熱量で見れてないんです。だから、いつか25チームで中四国制覇の景色をみんなと同じ場所から見たいなって思いました。

 

―◆24チーム

留学先からスタートしたチーム。

始動も何もかもオンラインで参加した為、新チームの温度感は全く分かりませんでした。私って23チームのfinal4から24チームの始動という大切な時期にいなかった。これがキャプテンになった時に、マイナスにも働いたし、逆にこれだと縛られないプラスにも働きました。でもこんな大切な時期に、チームにいてみんなと頑張りたかったな、思い出を共有したかったなて思います。

 

24チームでは自分に教えてくれる先輩が居なくなりました。(DFはバチボコに指導していただきました🍑)

プレーする度に自分へのFBは貰えなくなって、逆に自分がそれを他の人にしないといけない。半年もまともにラクロスしてないのは言い訳にならないから、チームの戦力になるように自分の調整をする上に、リーグに向けてOFも考える。24OFの方向性は好きだったし、それを成し遂げたいて思ったのと同時に、完成度の低さに焦っていました。特に03さんのミディ陣がいない日も続いて、03さん抜きでも勝てるミディにしてやると意気込んで、OFどうしたら上手くできるのかひたすら考えていました。でも結局それって、独りよがりでした。自分が自分が!て思い過ぎて、周りの人と一緒に考えることもまともにしてなかった。ラクロスは1人でしてるんじゃないのに。だから今となっては、もっと03さんに文句言えばよかったなて思ってます。結局3回生という立場に甘えて、03さんやチームと向き合うことをしていませんでした。もっとぶつかったり、話していたりしたらな、なんて思います。

なんだかんだ言っても、03さんの事が大好きだった24チーム。特にるとさんなんて、私のこと大好きでしたよね?^^

だからfinal4は今でも胸が痛くなります。私覚えているんです、4Qのラストでなるさんが目に涙浮かべながらランクリしてたの。なんで大好きな人にこんな顔させたんだろうて悔しかった。小中高とスポーツしてきましたが、あんなに泣いたの初めてでした。

03さんのこと大好きでした。24チーム大好きでした。この人達の為に頑張ろうて初めて思えました。でも好きだけじゃ勝てない、好きだけじゃ楽しい時間は続かない。そんな事を結果で突きつけられました。

 

 








〇25チーム

25チーム。響きに現実感なくて、何度も24チームと言い間違えていたの覚えています。予想だにしていなかった早い始動に準備も固まってなくて、何よりも心が追いついていませんでした。

 

ー始動時期

「始動初期がチームの当たり前を作る」

この言葉で気合い入ったり、苦しめられたり。体調を崩して寝込むくらい、ずっと頭が張り詰めていました。04をどうやって同じ方向同じ温度にもっていけるのか、チームの当たり前のレベルをどうやって上げれるのか。悩んでは思いついた案をやってみて。冬の期間、チームのあり方と中四国制覇するチームの基盤を作るのに必死でした。

 

ー春休み

うん、みんなしんどかったよね

葛藤する中で、部活を続ける選択肢を取ったこと。続ける一歩を踏み出してくれなければ、中四国制覇はありませんでした。

部活に来ていた人もしんどかったよね

怪我で見学してる人も、練習に参加できる人も、それぞれのつらさがあったよね。

みんなにはあの日の自分を誇らしく思って欲しいんです。25チーム、みんな逃げなかったじゃん。踏ん張ったじゃん。04から06の誰もがあの時期に逃げずに踏ん張ったから、今があると本気で思っています。

 

あと自分はここでロサ不在の大きさに気づきました。今年の副キャプテンに求める像が、一緒にチームを作る人でした。始動から春にかけてのチームを作る基盤の時期、私は色々な事をかすみに話しては頭の中で整理していました。私とかすみの関係値だから、私は心の底から安心して相談できていました。君が留学に行って、チーム作りについて、真っ先に相談できる人がいなくなって、急に孤独を感じました。それくらいかすみの存在は、キャプテンとしての自分にとって大きくて心の拠り所でした。ロサが留学から帰ってきた時安心感を抱いたのを覚えています。

悩む事、存在意義について考えることが多かった役割だと思います。でもチームについて考え続けた1年間は、26チームに繋がるかすみだけの大きな糧になってるよ。

1年間本当にありがとうね。

 

―リーグ前

サンライズ付近で25チーム全員が揃った時は、心の憑き物が晴れました。

春からは07も加わり、チームで薄れていたフレッシュさが急に強くなりました^^

この25チーム全員で中四国制覇するんだと目標への楽しみが強まりました。

色々とこの時期もありましたが、長くなりそうなので割愛します。

 


―開幕戦

みんなの開幕戦の印象はどんなものですか?私は少しみんなと印象が違うと思います。

かなり意気込んで臨んだ開幕戦。

試合は殴り合いのような得失点の繰り返しで、心臓が持ちませんでした。

楽しいよりも苦しいという言葉が似合う試合でした。失点が全部広大のミスからの速攻という防げたはずの失点。

中四国制覇するって意気込んでからの開幕戦がこれなのかと、終わってから不甲斐なくて泣きました。成長が見れたプレーがあったのも事実だけど、期待をかけてもらっていた分、もっといい試合できたのにという気持ちが強かったです。控え室に戻る時にあぐに不甲斐ないて泣いちゃって励ましてもらった記憶があります。

 

―予選最終戦

約2ヶ月も空いてからの岡大戦。

この2ヶ月間、岡大戦を想定してひたすら練習に打ち込みました。スカも皆の協力でたくさんの情報をゲットする事が出来ました。

この空きすぎた期間はコーチさんや外部の社会人の方の存在に本当に救われた期間でした。練習試合に参加してくださったり、練習にたくさん来てくださったり。

間違いなく広大がこの2ヶ月で成長できたのはみなさんのお力添えのおかげです。

この場を借りて改めてありがとうございますと伝えさせてください!

この岡大戦までの2ヶ月間、個人的にもチーム的にも濃すぎました。

個人的には院試が無事におわり、院試が終わった次の日の練習の心の軽さには驚きました。その時にそれまでは余裕がなかったんだと気づきました。色々な人を傷つけたと思うし、配慮の足りなかった所も多かったと反省しています。キャプテンなのに何やってたんだろうて結構凹みました。

 

岡大戦で勝ちたいんです、て言ってラクロスに打ち込む後輩を見て嬉しくなったり、

戦術での練習メニュー決めに2、3時間も費やしたり。

目標達成できるか、このままで良いのかという怖さが常にあったけど、それを覆すくらいの成長を確実に感じた2ヶ月間でした。みんなの中四国制覇への熱意を感じた期間でした。


全勝での中四国制覇

無敗の中四国制覇したい!と思っていたので、(特に松永さんとよく言っていた気がします)

予選の岡大戦で勝った時は本当に嬉しかった。

 この2ヶ月を正解にできた気がしました。



―final4

個人的にリーグで1番反省している試合。キャプテンとしても1プレーヤーとしても。試合を見る度にこんな無様な姿見てられないと自己嫌悪しました。この試合を通して、自分たちの課題を突きつけられて、finalに向けて気持ちや態度を引き締める事ができました。

Final4は、岡大と徳大の試合をみてから、そして何よりも自分たちの試合内容を受けてからか、みんなの雰囲気このままじゃやばいなと思いました。でも、全員が出場してfinalに勝ち進んだ事実もあるわけで。全員出場で無失点て誇れるものだと思ったから、その勢いは大切にしたかった。Final4からの1週間はそれを伝えて、finalに向けての士気を高めるのにこれまで以上に悩んだのを覚えています。

 


―final

楽しかった!本当に!

こんなにあっという間で楽しいて心の底から思える試合、他になかった。

ベンチに戻ると、みんなの目がキラキラしていたのを覚えています。いけるいけるて皆んなの目が輝いて楽しそうなのが伝わってきました。ファイールドもベンチも応援席も、場所なんて関係ないくらい、みんなが勝つ為に全力でした。だから楽しかった。

先制点取られたときも、すきがカード取ったのも全部想定内。

魔法の言葉「想定内」。この言葉に力を持たせるくらい、練習で想定を考えれた。

想定内って言って、信じれるくらいみんなが全力で正にみんなで勝ちに行ってた。

 

中四国制覇した瞬間に、この1年間の全てが報われた気がしました。1年間張り詰めていたものが急に解けたような心の軽さがありました。

1年間この60分で勝ちを掴む為に。

25チームみんなの1年間を形にできて良かった。

中四国制覇して、強い広大を証明できた。

 


中四国制覇した景色。

それは感動そのものでした。みんなとこんなにも嬉しいていう感情を共有できて、それも25チーム皆んなとだからで。

みんなで掴んだ中四国制覇という景色。

あの瞬間は何にも変えがたい、最高の思い出です。

来たよ、新時代って言えて本当に嬉しかった。

 








―全学

全学へのモチベーション、どういう結果を目指すのか、悩みました。

でも結局、「新時代」って言うからには、それなりの結果を出さないといけないというのが一番の気持ちでした。リーダー陣のグループで皆の気持ちを聞いてから、悩みは吹っ切れて、気持ちを固めることが出来ました。

あと、個人的にはどこまで広大が通用するのか楽しみでした。

1年かけて作った広大のOFはどこまで通用するのかな?って、OF幹部としても知りたかった。

試合中、皆の成長を感じたし、通用してるじゃんって思うこと結構あった。

全学のビデオまだ見れていません。絶対にビデミしてしまうから。広大としての次は自分には無いのに、こうしたいな、こういう練習したらいいんかなって考えてしまうから。

それくらい、もう一回準備して試合したいって思うくらい、広大の可能性を感じる試合でした。

まさに新時代だねって感じた最後でした。

 

 



4年間本当にたくさんの思い出でいっぱいですね



〇キャプテンとして

最近、キャプテンで1番しんどかった時っていつですか?て聞かれました。できる限り頭の中で反芻しましたが、しんどくない時期はなかったと思います。ただ、しんどいっていう言葉じゃ違うんだな。しんどかったという言葉よりは、キャプテンの責任を毎日背負っていたという言葉がしっくりきます。キャプテンとしての責任や重みが、苦悩・しんどさ・考えるきっかけも、そして楽しさも全部くれました。1年間このチームのキャプテンできて良かったって声を大にして言えます。

1年間25チームのキャプテンを任せてくれてありがとうございました。

もっとこうしておけばって後悔は尽きない1年間だったし、自分に嫌気がさす日も沢山ありました。でも、沢山の人に支えられて、自分が信じた道を突き進むことが出来ました。

 

「中四国制覇する為に」、

これしか考えずにこの1年間毎日毎日ラクロスに、25チームに向き合ってきました。必死でした。冒頭でも言ったみたいに、25チームは絶対に結果を出さないといけないと思っていたし、何よりも絶対に中四国制覇したいという気持ちが強かった。

自分だけは常にどんな事に対しても高め続ける声を出さないといけないし、自分の一言や態度全てがチームを左右すると分かっていたから、どんな時も自分よりも25チームを優先してきました。自分が折れちゃチームが折れるて言い聞かせて、自分の中にある不安なんか無視してきた。どんなにつらい状況でも中四国制覇する為にこれだけの為に前を見て走り続けた自信があります。きっと自分のその姿がチームを導くと信じていました。

 

 

どんな時でも前を見て走り続けた自信はありますが、後悔することや失速した時はあった訳で。

私はどんなキャプテンでしたか?

ビックボスと呼ばれるからには、まあ簡単に表すなら強いキャプテン、そんな感じでしょうか?

中四国制覇するチームを作るには、キャプテンとして求め続けることが大事だと思っていました。でも、それって結局、ラクロスだけになっていなかったかなって。

もっと、25チームのみんなが楽しいて思うチームを作ることを求めてたかなって。

これが私の一番の後悔。

楽しいチームを作るためのアクションをあまりとれていなかった事。

皆が楽しい、好きだなて思うチームを作ること、キャプテンになってしたかった事のはずなのに。その為に、みんな1人1人に気づけるキャプテンでありたかったのに。

どうしても、楽しいと中四国制覇する為の練習の両立の仕方が分からなかった。

みんながしんどい時悩んでいる時に、すぐに気づいて言葉をかけることができなかった。

楽しいを優先すると、練習が緩む気しかしなかった。きついけど中四国制覇する為の練習の中に楽しさがあると盲目的に信じてしまった。そうじゃない道は絶対にあったはずなのに。

みんなに声をかける時も、みんなの気持ちを決めつけているようで勇気が出なかった。小さな言動が支えになるって今まで自分もしてもらった側なのに。

 

 

きっとこれは私という人間の弱いところで、苦手なところだと思います。

でもそういう言い訳に逃げたくないくらい、キャプテンとしてもっと頑張りたかった所。

 

 

現役中もこういう思考に至っては、へこんで悩んで、結局寝て、起きて薄れて。

これが私個人の限界だと割り切っていた時もありました。

でも割り切るには惜しいくらい、キャプテンという立場には可能性が溢れていて。

 

 

みんなの意見や気持ちを聞いたりして、悩んでいる時は周りの人を頼れば良かったなて。

だから、05,04でチームビルディングした時も、下級生からこれしたいていう気持ちを聞いた時も、シュートパフォーマンス決めよて言ってくれた時も、嬉しかった。みんながチームで楽しく過ごすために、より良いチームにするために動いていることが眩しかった。

 

きっと私は強いキャプテンではあっても、いいキャプテンではなかったと思う。

でも中四国制覇して皆に胴上げしてもらった時、

つぶがキャプテンで良かったていう言葉をもらった時、

救われた気持ちになりました。キャプテンの自分を、今までを肯定できました。

それに私は、ビックボスと呼ばれるのはそこまで嫌いではありません。

 

 

―◆根底にあったこと

さて、ちゃんとキャプテンとして自分の根底にあったて思うのも書きます

①    自分がやりたい事を周りに発信すること

チームについて、練習内容について考えて、これやった方がいいこれが足りないていう思い付きは、とにかく発信して即行動に移す。この行動力は大切にしていました。分析•改善を楽しむがチーム像にあったけど、これは私のキャプテン像でもありました。

チームについて考えていたら必然と課題は見えてきます。それを改善するためのアクションは早めに取りたい。そのアクションを経て、次の段階の課題にいきつく。

その繰り返しでチームは良くなると思います。

キャプテンとかリーダーがこうしたいってビジョンを持って、それを発信するのはチームにとって大切だと思います。

だからみんなも、こうしたいってこれしたらいいじゃんっていう考えは発信するようにして欲しいです。だってさ、そういう考えに至るってことは、自分がチームについて考えている証拠だから。頭の中でチームの為に考えた事を、次は周りに発信していこう?考えていることは、頭の外に出さないと何にも成らないし、結果にも繋がりません。自信は持てなくてもいいから、とりあえず自分の中にある理想を言葉にしてみましょう。

 

 

②    周りを頼る事

私は、キャプテンだからと何でもやるのは好きではありませんでした。私のポリシーの1つ、「ふれる仕事は周りに任せる」。

これは単純に自分が仕事をしたくないからではありません^^

みんなそれぞれ役職持っていると思います。でも名前だけにはなって欲しくなくて、役職持ってるにはやってる実感を持って欲しかった。そして役職での仕事を通して、チームについて考えるきっかけにして欲しかったのが1番の目的でした。それに自分1人がするよりは、絶対にみんながやった方が色々な視点をチームに還元できるし、質はいいと思ってたから。これは私なりの、皆が25チームについて何か1つでも考える機会を作る、そんな工夫でした。

みんな予想以上の力を発揮してくれることが多かったから、遠慮なく頼れたし、そういう組織面でも私はみんなに支えられていました。

 


③    話すこと

コミュニケーション。この大切さを一番感じた1年でした。

人は他人への負の感情は固定されて、人を決めつけて見てしまうと思います。

私も結構ありました。でも結局、全て私の思い違いでした。

話してみれば、相手の行動や態度にはその人の考えや悩みが出ていて。

その人の今の感情や状況を、その人の性格そのものだと思ってみていたんだなって思うこと沢山ありました。

だから、他人に対して不満や負の感情を抱いた時、その人と話してほしいです。

みんなが少し元気なさそうなら声をかけて欲しいです。

きっと想像以上に相手は人なんだな、ってその人と改めて対等に同じ目線で話せます。

 



キャプテンの1年間は、みんなの事をより一層知れた1年間でした。

みんなの気づきや頑張りをたくさん知れました。

みんな想像以上の事を考えていたり、頑張ってたりしてた。

そんなみんなだったからこそ、キャプテンして良かったなて思います。

 

沢山のことを学んで、沢山の自分の一面を知れて。自分主体にしか生きてこなかったから、こんなにも誰かの為に、みんなの為にって頑張る自分は想像したことなかった。


未来の私へ。

この貴重な1年間の経験を、忘れずに自分の糧にしてね。私のこの1年間を繋げれるのは未来の自分しかいないからさ、広大女ラクでの経験を、25チームキャプテン"つぶ"を忘れないでよね。

 

 

〇メッセージ

―◆25チームのみんなへ

本当に大好きです!

25チームはみんなで作ってきたチームだと思っています。

それをキャプテンだからこそ、実感してきました。

誰もが欠けたらいけなかった。

皆1人1人の存在が、私が頑張れる理由だったよ

 





―◆後輩たちへ

このリーグ期間、特に楽しいだけじゃなかったよね。

25チームは、全員の成長もあって、今年はスタメン争い、フィールドに誰が出るのかが激しくなったチームだと思います。

モチベーション、チャンス、可能性。みんなへの期待。そしても目標に対する現実。これら全部をひっくるめて酷な選択を選んできたし、皆に突き付けてきました。ごめんね。

しんどい思いをした人、結果を出さないとって頑張って空回りした人もいたよね。プレッシャーに押しつぶされそうな人も、体の痛みを我慢してセットに入る人もいたね。試合に出ることを諦めてた人もいるんじゃないかな。

後輩たちには、そんな25チームの環境で得た悔しさやもどかしさを忘れずに、26チームで更にギアを上げてほしいです。結局、試合に出れるか出れないかは、全部積み重ねだと思うからです。全員が試合で活躍する姿を、本当に楽しみにしています。

 

・07へ

私がちゃらんぽらんな1年生をしてたからこそ、負けず嫌いを全面に出しながら、全体練で出来ることを全力でする、チームの一員の意識を持つ07が眩しかったです。

全体練で君たちの練習時間を確保できなかったこと、申し訳なく思っています。でも、全面クリライや試合想定した6on6は07の力なしには実現できませんでした。25チームの1回生が、04最後の後輩が君たちで本当に良かった。07の代まではちゃんと応援に行きます^^

 

・06へ

育成リーダーしてたからか、君たちとの付き合いは2年なのにとても長く濃く感じます。

リーグのブログで、06の多くが自分がいなくても勝てるとか書いてたの、結構ショックだったけど、このリーグを通して、気づいたら06がいないと勝てないて言えるくらいの実力をつけてました。06のラクロスへの熱意、努力、成長は、25チームの大きな追い風でした。

何度も06のそういう姿に頑張らなきゃなて感じさせられました。

2回生なのに、色々と背負ってくれてごめんねと何度も言いたかったけど、君たちはそういう風に言われても素直に受け取ってくれなさそうだから、あえて言ってきませんでした。でも、ちゃんと言いたいので言っておきます。06ありがとう。大好きだよ。

 

・05へ

1回生の時の中四国制覇と、3回生の時の中四国制覇。感じ方はどう違いましたか?

05は、04が持っていないけど憧れて入部した、女ラクのキラキラ感と明るさを持っている学年です。本当に04にとって可愛いて仕方ない後輩!そんな可愛い05だけど、ちゃんと6人全員が熱い気持ちを持っているの感じてました。05の力を、組織面でもプレー面でも感じる事多かったし、全員が上回として成長したと思います。特に、始動初期は05の存在に助けられる事が個人的に多かったです。あまり自信がなさそうだけど、学年のまとまりがある05は団結して6人で引っ張っていけると思うよ。最上級生って楽しいことも多いからさ、26チームの1年間楽しんでおいで!

 

―◆戦術リーダーズへ

この1年間君たち4人と頑張ってこれたことが一番の誇りです。

君たち4人がかけた時間が、思いが、中四国制覇する広大のプレーを作ってくれました。試行錯誤して作った新しいメニューも、めっちゃ時間かけてたメニュー決めも、どれも楽しい思い出です。

どんな時も君たち4人とは、ずっと中四国制覇に向けて同じ熱量で走ってこれたと思うし、それが私にとってなによりの支えでした。本当にありがとう!

 

ー◆マネズヘ

この1年間、沢山の事を求めて来ました。それは、佐々木も言っていたみたいに、マネズの存在や頑張りがチームを強くする一因だと信じていたからです。キャプテンとマネって練習を回すという同じ立場だと思います。だから、練習の質を上げることを求めてました。私のくそみたいな態度の要求にいつも答えてくれてありがとう。たくさん声出して練習の雰囲気を盛り上げてくれたことも、セット早くってプレーヤーをしめてくれたのも、急なメニュー変更や押してるFBに対応してくれたタイム管理も全部感謝してるよ。マネは練習の裏の支配者だと思うくらいには、マネの存在が大きいと実感していました。

思えば、このリーグ期間、ベンチとフィールドの温度差なんて感じた事なかった。マネズの声出しが間違いなくベンチを熱くさせてたと思う。ありがとう。

 


―◆らいさん

一年生からの長い付き合いですね^^

全学で挨拶し終わってから、らいさんと目が合った時に自然と涙が溢れてきました。なんでか分かんないけど、いろんな感情が一気に押し寄せてきたんです。

らいさんを見て涙が込み上げてきた、この事実が私のらいさんへの全てだと思います。

大好きです。

 



―◆レンさん

私がキャプテンとして忘れているものを誰よりも気づかせてくれたのがレンさんです。チームメイトへの気遣いや、同期との団結、そして何よりも礼儀。

反抗的な態度をとってしまうくらい図星でした。頭を抱えるくらい考えるきっかけにもなりました。後輩というやりづらい関係であったと思うし、それゆえの苦悩もあったと思います。それでも色々な面から25チームを支えて下さりありがとうございました。25チームはレンさん無しではなかったと思うくらい沢山支えて貰いました。

これからもレンさんの可愛い後輩でいさせてくださいね^^

 

―◆パルさん

Finalで手紙書くとか言ってしれっと書いてなかったのでここで成仏させてください^^

私の中でのキャプテンのイメージってパルさんなんですよね。

何度もパルさんってこうしてたなって思い返してました。私は性格上、誰かみたいなキャプテンになりたいとは思いたくなかったけど、自分の在り方に迷った時に思い浮かべるのはパルさんの背中でした。パルさんって、ついていきたくなる人だったなとか、プレーでも引っ張ってくれていたなって憧れもあったと思います。パルさんをワンワンに誘えなかったこと後悔してるので東京でお願いします^^

でもパルさんって、後輩とのワンワン苦手そうだから手始めに人数系から始めましょう笑

 


―◆けいさんへ

引退してもここまで気にかけてくれるとは思いませんでした。

けいさんには、戦術面でもとってもお世話になりました。

東京で離れていても、すぐ近くにいるような、そんな不思議な感覚だったし、けいさんが関わてくれることが心強かったです。

これからも仲良くしてください!


ー◆やっちゃんさん

やっぱり書きたくて書き加えました^^

審判を頑張りたいなって思った理由の1つがやっちゃんさんでした。あかつきを経てからは、より一層その気持ちが強くて。

中四国審判部のこと大好きです。

これからも関わらせて下さい。

2級目指したいなて思ってるのも、やっちゃんさんに褒めてもらいたいからです。



ー◆03さん

書くか迷ったけど、書きます。

私たちが中四国制覇した時にありがとうて言ってくれたの、とっても嬉しかったと同時にその表情を見て少し悲しかった。24チームが繋がってるよって、03さん自身に03さんの1年間を認めて欲しかった。

なんでか分かんないけど、どうしても大好きな先輩たち。ちゃんと03さん達の思いを繋げる事できたでしょうか?




―◆テラさん

去年のfinalの日に、テラさんからHCを引き受けると話を聞いた時、中四国制覇したい理由が1つ増えました。テラさんご本人はあまり思っていなさそうだけど、たっくさん頼らせてもらいました。果たして何回、テラさんって泣きついてラインを送ったでしょうか。25チームHCをしてくださって本当にありがとうございました。25チームのカラーは、テラさんがHCだったから出ている部分も強かったです。

最後にテラさんを胴上げ出来て嬉しかったです。

 


―◆たーさん

OF楽しかったです!きっとそう思えるのもたーさんのお陰です。特にこの1年間は、たーさんの力や熱量を凄く感じました。たーさんが来てくださる練習は特別楽しかったです。本当に大好きだし、永遠に憧れのラクロッサーです

私たち04を見捨てずにたくさん指導してくださってありがとうございました。

 

―◆しばさん

1年を通して、しばさんが25チームに関心を強めていることが伝わってきて嬉しかったです。しばさんからはDFもそうですが、練習中の姿勢やFBの仕方などラクロス以外で学ぶことも多かったです。1年間お忙しい中ありがとうございました。本当に大好きなお顔です!1月の飲みでは絶対に粗相しません。誓います。




 

―◆04へ

自分たちの良いところなんて本気でないて思っていた学年だったよね。

でも私、この1年で04の良いところって結局バランスが良いところだと思うんだ。人が多いからこそ、色々な考えが集まるとはこの学年のことで、多様な考えをチームに還元できていたと思います。

結局、全員が同じ熱量で同じ方向を向いて、毎日練習に参加できていたとは思いません。そのことに頭を抱えた日は限りなく多かったです^^

でも04に頼もしいなって思える瞬間が増えていたのも事実です。引退が寂しいと後輩から泣かれる学年になれたのは信じられないくらい嬉しいことだったね。

同期めっちゃ好き!とは素直には言わないけど、これから先の人生、04と楽しいことしたいな、飲みたいなて当たり前のように04と過ごす未来を描いています。

これからもよろしくね。




これが最後だからメッセージ

 

◯キコ

広報として広大の魅力をたくさん発信してくれてありがとう。私のやりたい事の1つに広報やOGさんとの繋がりの強化があったから、それを沢山してくれて感謝してる。なほみが広報で力を最大限発揮してくれるって思ってた。あと、私は色々な場面でなほみの優しさに救われているし、これからもそうだと思う。

 

◯える

主務リーダー、1年間お世話になりました。

たっくさん頼らせてもらいました。私の失敗のツケを色々な場面で払ってくれたのは感謝してもしきれません。頼りがいのあるしっかり者のえるの存在が、25チームにとっても、何よりもキャプテンの私にとって必要不可欠な存在でした。本当にありがとう。

 

◯さと

君の一貫性のある態度が、女ラクの秩序だったと思うし、マネズの姿勢や在り方を示していたと思います。それに佐々木のずげずげと行く性格に救われた後輩も多いと思う

佐々木のセット早くの声に、たくさんやべっと思った1年間でした。練習中の仕事の回し方や佐々木のマネに対する考え方は間違いなくマネリーダーでした。佐々木がマネリーダーとしてマネズを引っ張ってくれて本当に感謝しています。

 

◯ちぇる

ちぇる、いつも素敵な思い出を形にしてくれてありがとう。ちぇるが撮る写真みるの大好きだった。ちぇるが会う度に全肯定してくれるからさ、私その度に自分に自信持てたよ。ちぇるの他人は他人、自分は自分ていう性格に心が軽くなる事結構あった。

 

◯いお

後藤さんがDFについてFBする機会増えた事や、DF幹部がいない時にFB仕切ってたのとかGB王総なめしてたのとか色々と君の成長が見れた1年でした。自己肯定感が低い貴方だけど、ちゃんと自分が頑張ったことは確かにあるからさ、自分を認めてあげてね

 

◯くう

色々とフィジカルに口出してストレスを感じさせてしまっていたかもしれません笑

くうちゃんがこの1年間で1番成長した04だと思っています。くうちゃんが点を決める事が多くなる度に嬉しかったし、やっぱりくうちゃんて出来るじゃんて上手いじゃんて思ってた

 

◯まりあ

執行部として、広大の外で広大の顔として活躍してくれてありがとう。

まりあの執行部での活躍に気づけて良かったなって思うくらい、まりあ凄いね。

まりあが居たから情報戦を広大は勝ち抜けていたと思います^^

 

◯りと

君は、頼りになるなとかちゃんとしろよ!とか色々な感情を抱かせる人でした^^

でもDFに関しての知識は、人一倍で、きっとみんなが思ってる何倍もDFの事考えてたんだろうなて近くで思っていました。

りとが居ないとDF崩れるくらい、君の声出しは欠かせないものだったよ

 

◯あしゅ

あしゅにはこの4年間本当に支えられた。ミディの上回が2人ってよく考えたら心細いけど、そんな事感じないくらいあしゅの存在は大きかったし頼ってた。

あしゅの成長が中四国制覇に絶対に必要ていう私の思いを、ちゃんとプレーで示してくれてありがとう。いつも隣で一緒に頑張って支えてくれて本当にありがとう。

あしゅとミディをやりきれて本当に嬉しいよ

 

◯ジョー

ジョーが居ないと1年間キャプテン頑張れないて思うくらい、私にとって特別な存在でした。ジョーとはラクロスとかチームへの姿勢がずっと似ていたと思うからこそ、ジョーに負けてられないなて思ってました。

何回も言いすぎて、あまり伝わってなさそうだけど、ジョーが1番のゴーリーて思うくらい、ジョーの事信頼してた

ベストゴーリー、本当におめでとう!

 

◯とわ

OF幹部だけでじゃなくて、色々な面でとわには助けられた1年間でした

25チームにとわは必要不可欠な存在だった。

簡潔になっちゃったけど、言葉では表せないくらい、とわに助けられた。1番グラウンドで一緒に過ごす時間が長かったのはとわだよ^^

私ね、背番号が続いてるの何気に嬉しかったんだよ。とわとするOFが1番楽しかった。

絆ってことにしようね^^


 

最後に、

◯あぐへ

あぐはあぐの信じた道を進んでね。

あぐに対しては、24チームから04-05という関係以上の、一緒に頑張ってきた仲間だなという気持ちが大きいかな。

キャプテン、悩むことあると思うけど、あぐは最高のキャプテンをしてくれる、そんな風に思うくらいの姿を今まで見せてくれた。

私はいつでもあぐの味方だから、心細くなったらいつでも連絡してね

 

 

長くなりましたが、私の広大での4年間は最高のものになりました。

この4年間で得たものを胸に新たなラクロス人生を頑張ろうと思います。

とりあえず、やっちゃんさんに褒められるくらいには審判を頑張ります。

 

大学生活、全部ラクロスに捧げてよかった。

素敵な人たちに、最後の仲間に出会えた。

大好きだよ25チーム。

大好きだよHLC

 

#34 つぶ

 

 

みなさん、お久しぶりです。

04マネージャーのさとです🍎

 

まずはじめに平素より広島大学女子ラクロス部への温かいご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。今後とも変わらぬご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。


引退して暇になると思いきや、今まで部活を理由におサボりしていたツケがまわってきて、研究室で毎日研究に勤しむ毎日に様変わりしてしまいました。悲しい限りです。

 

去年までは先輩方の引退ブログを楽しみにしていた立場だったのに、今年は自分が書くなんて、時の流れを感じます。

 

私は引退ブログを読んでモチベーションを保っていたタイプだったので、おこがましいですがこのブログが誰かのためになればと思って書いてみたいと思います。

 

目次

・4年間を振り返って

・番外編 審判🦓

・伝えたいこと

・メッセージ

 

の4部構成で行きたいと思います。

 

ありえないくらい長くなってしまいました。

ご容赦ください。

 

4年間を振り返って

〇22チーム

入部理由は単純で友達が欲しかったからです。学部に女子が全然いなくて、こんなの思い描いた大学生活じゃない!と焦っていました。なんか適当にいい感じのサークルに入って、友達作ろうかなーとか思ったけど、自分自身今まで習い事とか部活とかいろいろと中途半端で終わってきて不完全燃焼だったので、大学では何かを4年間真剣にちゃんとやり切りたいという思いもあって、サークルというもの自体がしっくりこなくて悩んでいた時に緑の可愛いラクジャンを大学内で見つけました👀

 

そこからは女ラクについていろいろと調べて、雰囲気の良さにひかれてあれよあれよと入部しました。

 

いろんな人になんでマネージャーなの?と言われますが、単純にプレイヤーするのがしんどそうと思ったからです。普通にあんな距離走れないと思いました笑でもマネージャーとしてこのチームを支えたい!と思えるくらい雰囲気が最高でした。あとは新歓インスタのマネージャーのお仕事にあったアナライズという役職に興味を持ったっていうのもあります。

 

入部してからウィンターまではほぼ記憶がありません。サマーもコロナで出場できませんでした。部活もなにかモチベーションがあった訳ではなく同期や先輩とお話しに行くために部活に行っていました。お喋りしてボールケアしてドリンクして動画撮ってのルーティンをただただこなす日々でした。

 

〇23チーム

そんな日々を繰り返してウィンターではコイントスで負けてしまって同期はみんな悔しくて泣いていたけれど、多分自分はみんなと同じくらいのラクロスに対する熱量は無かったから泣くほど悔しいとは思えませんでした。

 

そんなとき同期のまねずがやめることになりました。正直私も辞めてやろうと思いました。23チームになって育成練から上回練に変わって週3から週4になった練習が辛かったし、寒い中、毎練習単調なルーティンの繰り返しでつまらなかったし、まねずの人数は飽和するくらいいたから私がいなくてもこんなん成り立つじゃんって思いました。

モチベーションがほぼ無かったから撮った練習動画をノートにアップロードしてなかったけど(本当に最低な行為です。まねずのみんな、ちゃんと練習動画はすぐにノートにあげるんだよ🥺)プレーヤーからは特に何も言われず、自分が撮ってる動画は無意味で、こんなに寒い中、携帯の充電を犠牲にして無意味に動画撮ってる自分がバカバカしくなって本気で辞めようと思いました。

 

結局、同期という存在を手放すことが出来ず辞めることはできませんでした。

 

しかしこの負の感情は結局春休みくらいまで続きます。春休みは部活以外の友達は春休みを満喫して沢山旅行に行ってるのに対して自分は行きたくもない部活に行き、ただただルーティンをこなす日々が辛かったです。結局新歓期に突入して新歓担当だった私は辞められなくなりました。

 

今となっての後悔としてはもっと冬から春の期間にラクロスに関する何らかの知識をつけておくべきでした。テーピングなり審判なり応急処置なりもっと色々出来ることはあったと思います。まねずの人数が飽和していて暇なんだったらプレーヤーのファールとかを見とけばよかったと後悔してます。暇なんだったら自分から新しい何かに挑戦しよう!くらいに気概があればよかったのですが、そんなモチベーションもないくらいあのときの自分は終わってました。

 

いつかの何かのブログで書きましたがこの時期はラクロスという競技が好きというより広島大学女子ラクロス部が好きでした。

 

春休み明けの時期のモチベーションは新歓でした。人と喋るのは得意なほうだったし、新歓期は結構部活が楽しかったです。

 

リーグ期はアナライズを本気でやりました。

戦術から欲しいアナライズが共有されて、スカウティングも含めてアナライズするのは大変だったけれど、アナライズを必要とされていることがとても嬉しかったです。

 

ここでラクロス人生で初めてマネージャーとしてのやりがいを感じました。

 

あれよあれよと時間は過ぎ中四国制覇しました。本当に嬉しかったです。中四国制覇って本当に出来るんだって思いました。あのブルーコートで見た景色は忘れられません。

02さんにアナライズがあったから中四国制覇できたと言われたときにマネージャーしていてよかったと本気で思いました。

 

このころから自分自身のマネージャーのやりがいや強みについて考えるようになりました。

マネージャーの主な仕事はタイム管理、ドリンク、ビデオ、テーピング、(試合の時はアナライズ)です。テーピングは手が不器用なので出来ないし、アナライズはするけど主に試合のときだけしかしないから、自分のマネージャーとしてのやりがいをアナライズにするには不十分だと感じて、そうなったら自分はマネージャーとして没個性だなと思いました。そんなときにふとルールを覚えればいいんじゃないかと思いました。もともと23チームの時からアナライズのためやラクロスに対する知識をつけるためにちょろっとだけルールは勉強してたし、自分含めてまねずでルールちゃんとわかってる人いないなーって思っていたからです。

 

〇24チーム

24チームはなんかあっという間に過ぎてました。まさかFinal4で負けるだなんて思っていませんでした。03さんともっとラクロス出来ると思っていました。24チームでは個人的にマネージャーがチームの勝因になるという当事者意識が凄く薄かったと反省しています。試合中のベンチでもベンチの盛り上げが足りなかった時に「まあ、自分はアナライズしてるから盛り上げられなくても仕方ないや」っていう気持ちだったし、練習中もプレーヤーの元気がなかった時も「プレーヤー元気ないねー」くらいにしか感じてませんでした。ここでマネージャーから声を出すっていう発想に至ることが出来なかったことが反省です。

 

アナライズもただただとっているだけでうまく戦術に活用できませんでした。

 

自分の強みにするはずだったルールに関しては審判で昇級しようとかは思わずなんかなあなあになってしまっていました。

 

なんかすべてが中途半端でおわってしまったシーズンだったと思います。

 

〇25チーム

25チームでは個人的に"暇な時間を作らない"ことを特に意識しました。当たり前だけどとても大事なことだと思います。

暇ならプレーをみたり、審判してみたり(このときは4級審判員でした)、ファールを資格をもってるプレーヤーに聞くようになりました。

 

どうせ部活に行くんだったらその練習をなんとしても有意義な時間にしたいという思いがありました。

 

あとは毎練習、適度な緊張感を持って部活に臨んでました。自分は練習が上手く回らないとイライラしちゃうし(The B型)、プレイヤーもまねずがグダってたらイライラするだろうから、絶対に上手く回してやろうと思ってました。(タイム管理いつもしてくれてたまねずのみんなありがとう)

 

25チームに代わって最初のほうは我がビックボスであるつぶにマネージャーのことで沢山言われました(ビデオを上げる時間とか笛を切るタイミングとか、セットの仕方とか、コミュ不足とか…)。

ほぼほぼ核心をついたことしか言われなかったので言い返せませんでした。正直、22チームから24チームまでマネージャーがプレイヤーに強く言われることとかなかったと思います。今までマネージャーはあまり指摘されませんでした。私はマネージャーは居てくれるだけで有難いから間違ってても何も言われない風潮にすごく違和感を感じていたので、ひびのに沢山言われてまねずもかなり意識改革されました。

 

ここで初めてマネージャーがプレイヤーと対等になった気がしました。

 

まねずとしてもチームとしても強くなるためにはこの過程は必要な過程だったと思ってます。

 

春になりました

 

普段は4年生は新歓担当にはなりませんが人数の関係で新歓担当になりました。3年連続新歓担当です。ですが今年がどの年よりもめちゃしんどかったです。SNS担当でしたがめちゃくちゃ大変で投げ出したくなりました。レンさんにたくさんのご指摘いただいて、泣きながらレンさんにLINEを返信していたことが懐かしいです。(あの時のレンさんのご指摘は至極真っ当で大変感謝しております🙇‍♀️)

 

今日練習中の雰囲気やばくね?ありえないほどピリついてる!って思ったこともあったし(25チームではそんな時こそマネージャーが声出し頑張れていたと思います)、ビックボスに理不尽に怒られたりもしましたが😉私は25チームの練習がとても楽しかったです。

 

毎練習を通して、チームが強くなっていくのを見ているのがすごくワクワクでした。

 

チーム始動したてのときは、スクエアも全然繋がってなかったのに、25チーム終盤では有り得ないくらい繋がっていたし、中へのパスも初期は繋がらなくてターンオーバーされてたのに、終盤では綺麗なカットでシュートにいってたし、クリアもロンパもめちゃくちゃ繋がるようになって感慨深いかったです。

 

リーグ期は毎回の試合で色んな学年が活躍してくれるのが凄く嬉しくてアナライズをとりながからワクワクしてました。

 

Finalのベンチは個人的に過去1番良い雰囲気だったんじゃないかと思います。ベンチ、フィールド、観客席の全員で盛り上げられた最高の試合でした。

 

夜遅くまで練習メニューや戦術を考えてくれた幹部、忙しい合間を縫って練習に来てくださったり、練習動画を通してFBを下さるコーチさん、いろんな角度からチームを支えてきてくれた04、25チームについてきてくれた後輩たち、観客席やライブ配信で応援してくださった保護者の皆様やOGの皆様

 

1年間この景色をみるために頑張ってきた25チームみんなの努力が報われて本当に嬉しかったです。

 

全学では負けてしまいましたが、関西相手に3点とれたことは大きな一歩ではないかと思ってます。

 

25チームで中四国制覇できたことが本当に誇りですし、自分がこのチームの一員で本当に良かったと思います。





 

​番外編 審判🦓

ここで一旦審判のお話をしようと思います。

 

実は私は4年生の夏に3級に昇級しました(遅すぎ^^)なんでこんなタイミングで?と思われる方もいらっしゃると思うのでお話します…

 

25チーム序盤から個人的に暇な時間をつくらないために練習中に審判していたせいか、審判派遣のない練習試合ではなんか勝手にまねずから審判として借り出されてたこともあったし、自分から審判したいと名乗り出たりしてました。審判としてプレーヤーと同じコートを走るのがとても新鮮で楽しかったですが審判していてファールと分かっていてもそれを全然笛に出来なくてとても悔しかったです。

 

ルールやファールはわかっていても笛にできなきゃ意味が無いのだと痛感しました。

 

ただし、この時点では正直3級審判員になるつもりも無かったですし、まあこれでもまねずの中だったらルール覚えてるほうだからいっかなーくらいのきもちでした。(全然自分の強みになってない!!)

 

正直審判3級になるつもりは1ミリもありませんでしたが、私が八方美人な性格で広大のACであり審判部でもあるレンさんに昇級するかのようなことを匂わせてしまい(私が練習中の審判に役立つかなっておもって併走したりしたのも悪かったです^^)レンさんから3級昇級の圧を受けるようになります🥺


まだここでは昇級する気はなくてのらりくらりと逃げ切ってやろうと思っていましたが、私がひとつ審判資格でやらかしてしまい審判部の方に大迷惑をかけてしまったあたりからもう絶対に3級にならないといけないという感じでした(やっちゃんさんを含む審判部の方々、あのときは多大なるご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした…)。


極めつけは鳥取にスカウティングのビデオを撮りにいったときに、その試合の審判をするやっちゃんさんに「私がビデオ撮るから併走しなよ!ここで併走しないならサマーの併走申し込みこの場で出して!」って言われた時にもう逃げられないと感じそこで覚悟を決めました^^その場でサマーの併走申し込みを出して、なんか昇級試験受けれそうだったのでサマーで昇級することを決意し、晴れてサマーで3級に昇級します🔰


 

今思うとサマーで昇級してなかったら多分後悔してたと思います。うだうだしていた私の背中を押してくださったやっちゃんさんやレンさんには大感謝です。

 

審判に関しては個人的に06の存在がすごく励みになりました。ちーには練習中に沢山審判のことを聞きましたが、怪我中でしんどかったはずなのに、嫌な顔ひとつせず答えてくれました。わたしが一発で昇級できたのは紛れもなくちーのおかげです。個人的にちーと6on6の審判できたのがすごく楽しかった!!!ちーありがとう😊

 

06全体として審判に前向きな姿勢で取り組んでいるのがすごく素敵で自分も頑張ろうと思えました。むたさんとりくとはサマーで一緒に昇級出来てよかったです(むたさん、一緒に落ちようとかいってごめんね^^)

 

他にもレンさんは練習に来てくださった時には審判について質問したら沢山教えてくださいました。

 

OGのけいさんは練習動画で私が疑問を抱いてる点にメンションしてくださって私の疑問を解決してくださいました。

 

やっちゃんさんはいつまでも昇級しない私のお尻を叩いてくださいました笑

 

沢山の方々のおかげで3級に昇級できました。

本当にありがとうございます!

 

なんで4年生になって昇級してるのと思われる方もいらっしゃいますがこれが事のすべてです。

 

なんか3級になってからは自信がついて練習中にファールを指摘することが増えたような気がします。審判の目線というのはすごく大切で練習中からファールをケアすることって試合にも活きてくると思います。特に育成練を通しては1年生がファールの癖がつく前に指摘してあげることってすごく大切なんだなーと感じました。ぜひマネージャーには審判の目線を持って欲しいです。

 

まねず全体としては暇なんだったら審判やってみようってなったけどまあ言い出しっぺの私がその当時は4級審判員なので上手くいきませんでした。あのときもっと早く3級になってたらまねずの審判やルールへの意識もなにか変わったのかなーとか思ったりもします。

話は戻りまして…


25チームでの個人目標として”やり切る!!!”を目標にしていました。

 

結果としてはこの個人目標を達成できたのではないかと考えています。審判3級に昇級することが出来たし(昇級できただけだと結果としては甘いかもしれませんが…)、マネージャーとしてのお仕事は割と完遂できたと思ってます。まねず全体としても意識改革した結果、声出しとかセットの仕方とか周りを見る力とかマネージャーとしての意識が芽生えたと思います。自分は仕事を1人で抱え込むくらいならみんなで分配したほうがいいと思うタイプだったので、練習中もみんなにあれやってこれやってってたくさん指示してしまったけどみんなお仕事を全うしてくれてありがとう。

 

八木田はアナライズもできるし手も器用だからテーピングも巻けちゃうし主務としてもチームをまとめてたし、まりあはTRのほかにも大会委員会の幹部として大活躍だったし、れいちぇるは部活に直接参加できる日は限られていたけれど、WBGTを毎日報告してくれたり、広報の活動を精力的にしていて、その原動力はどこから湧くんだろうって思うくらいに積極的に活動してて尊敬です!


ういは行動力とそれを実行する力があってそれを委員会とちゃんと両立していたし、ビビはこの1年でテーピングがぐんと上手になって今となってはTRとして必要不可欠な存在になったね!


えまはマネージャとして自分がやりたいことが明確になっていて素敵だし、りずはよく周りが見えていて、かつ積極性があって素敵!


みんな目標を持ってる素敵なまねずだったと思うし、自分も頑張ろう!って思えるそんなまねずでした!ありがとう!!





​伝えたいこと

主にマネージャーに向けてですが、私が4年間を通してこれって大事だなと思ったことを伝えてみようと思います。

 

1.強みをつくる

これが私がいちばん伝えたいことです。マネージャーは1歩間違うと没個性になってしまいがちです。プレイヤーは日々自分の成長を実感できると思いますが、マネージャーは同じことのルーティンの繰り返しで飽きてしまうかもしれません。そんなときこそ、自分にしかできない強みを見つけて欲しいと思います。強みを作るにはプレーヤーが自主練やビデミに時間を割くようにマネージャーもなんらかの強みを作るために努力をしないといけないし自分から行動を起こさないといけません。(部活がつまらなかった1年生のあの時の私は圧倒的にラクロスに関わる時間も少なかったし、努力もしてませんでした)。自分は審判を強みにしたけれども、運営的な面からチームを支えることも強みだし、テーピングや食トレを強みにすることだってできると思います。実際、八木田もまりあもれいちぇるもういも組織的な面からチームを支えていた姿に触発されて自分も強みをつくろうと思えました。

私は人に頼りにされると嬉しくなるタイプなので審判してほしーって言われたららマネージャーで審判できるの私しかいないから頑張ろう!って思えたし、私ってチームに必要な存在なんだって思えました。

是非〇〇のことなら私に任せろ!って胸を張って言えることをまねずのみんなには作って欲しいと思います。

 

何かを極めるってとても素敵です!

 

2.ラクロスを好きになること

マネージャー(プレイヤーもだけど)は人との繋がりが部活を続ける第一のモチベーションになりがちです。是非、人との繋がり以外にラクロス部を続ける強固な動機を作って欲しいと思います。(結局これも強みをつくるということに繋がるかも知れませんが…)

 

そのための第1歩として、是非ラクロスという競技自体を好きになって欲しいと思います。

 

最近、全学1回戦の男ラクの試合を生でみてラクロスってやっぱり面白いと実感しました。

 

私はラクロスライブで他地区の試合見るくらいにはラクロス好きだと思います^^

他大学の引退ブログも大好きです^^

 

引退ブログのどこかでも書きましたが広島大学女子ラクロス部だけでなくラクロスという競技自体を好きになって欲しいと思います。

 

3.最低限のルールを知ること

正直、これが広大まねずに足りないことかなと思います。広大はマネージャーが審判する風潮がないため、自分はMGで審判資格持ってるだけで割と強みにできましたが、他大学や他地区ではマネージャーで審判してる人なんて沢山居て、練習中からファールを沢山吹いてると思います。広大はマネージャーが審判をするという概念が存在しなかったためか、全然ルールについてマネージャーが学ぶ機会が無かったと思います。自分がもっと早く3級に昇級してルールについてみんなで勉強出来ればよかったのですがそれが出来なくて後悔です。

 

個人的に最低限のルールは覚えて欲しい!!

これが絶対にチームの勝因に繋がると思うからです。その延長線上で是非とも審判資格をとって欲しい!(強制はしませんが)

 

多分練習試合とかでマネージャーが笛をふく時がこれから先もあると思います。多分ひとつの試合でファールがひとつもないなんてことは絶対にないと思います。フリシューがない試合なんて多分ないです。練習試合でファールを見過ごされながらフリスペして守ってても公式試合では確実にフリシューになります。ここでマネージャーがルールを覚えてファールを笛にできるだけで、ひとつの練習試合の価値がとてつもなくあがると思いますし、より実戦形式に近い練習試合が出来ると思います。せめてチェイスやラインアウトは見て欲しいです。

 

自分も審判資格もってない時はファールを笛にすることが全然できなかったし、自信とか全然なかったけど是非頑張ってほしい!

 

どれもこれも3級に昇級したから引退ブログで書けます!レンさん、やっちゃんさんありがとうございます!

 

自分はルールを勉強して審判資格を持ってから

はマネージャーという目線以外でも審判という目線でラクロスをみるようになったからか、ラクロスという競技がもっと楽しくなりました。

 

26チームには審判資格を持っているプレイヤーが沢山いると思うので、ルールについていっぱい質問して欲しいと思います。

 

マネージャーで審判資格をとったいうことが広大女ラクにとっては大きな第1歩になったと思っているのでぜひ私と一緒に審判をするマネージャーを募集します^^ 

 

佐々木も審判3級🔰でまだまだひよっこなので一緒に頑張りましょう!

 

4.チームの一員としての当事者意識を持つ

マネージャーもチームの一員なんだよーって言いたいです。マネージャーもチームの勝因になれると思っています。

 

マネージャーのタイム管理、セットを促す声、雰囲気作り、笛を切るタイミング、テーピング、審判etc…

 

そのすべてがチームの勝利に繋がると自分は考えています。

 

グラボ混戦が終わるまでは笛を切らないだけでグラボの練習になるし、セット早くっていうだけで多分その日の練習で2回くらいはセットの本数を増やせるって信じてます。

 

こういう何気ないマネージャーの行動でもチームの勝因になれると思います。

 

だからこそマネージャーのお仕事全てに誇りを持って毎練習全力で取り組んで欲しいです。

 

5.武者に行くこと

これは完全に後悔してることですが武者に行けなかったことを後悔しています。

もっともっと他大学や他地区をから学べることがあったのに、行動に起こすのが億劫で出来ませんでした。

後輩まねずのみんなにはチームの目標が高くなったからこそ、他地区や他大学から良いところを吸収して、広大に還元して、もっともっと高みを目指してほしいと思います。

 

メッセージ

コーチさんへ

1年間ありがとうござました!

コーチさんが練習に来てくださった日にお喋りするのがとっても楽しかったです^^

素敵なコーチさん方と中四国制覇することが出来て本当に良かったです。

 

後輩のみんなへ

みんなガッツがあってチームに新しい風を吹かせてくれるそんな存在でした!!!!

人数がグッと減って組織的にも練習メニュー的にも大変なことが沢山あると思うけどめげずに頑張って欲しいです!

あと2年は広島にいるしちょくちょく審判しに行きたいと思っているので、沢山ラクロスおばさんしたいと思います!

 

後輩まねずへ

人数がぐっと減って大変だとは思うけど、それぞれが自分の強みを見つけて頑張ってほしい!応援しています!

 

04

個性が爆発してて、くせが強くて、勝手に何もいわずにサプライズお引越ししちゃう人もいるし、お酒の席でのお粗相も多いし、オーマイガーって感じだけど、ラクロスに関してはとんでもなく真面目でびっくりです。引退してもうすでにほんのちょっとだけさみしいです。おばあちゃんになっても絶対に仲良くしてください。





いろんな人によくマネージャーできるねって言われますが、自分は人の為でもあり自己の成長の為に部活をしていました。


何事も中途半端で終わっていた自分が初めてやり切ったといえたことがラクロス部での活動です。


人生最後の夏休みともいえる大学生活で部活動をするという選択ってとんでもない選択だと思うけれども、自分はこの選択をしたことは間違いではなかったと胸を張って言えます。これから先の人生でもこんなに熱中できることはそんなに多くはないと思います。


今までの人生で頑張ってきたことは何ですか?って言われてラクロス部での活動です!って言えるくらいには頑張りましたしやり切りました。

 

広島大学女子ラクロス部でよかったです!

ありがとうございました!

 

 

最後にブログを書いてくれのは我らのビックボスつぶです!!!

 

MBTI圧倒的Eを感じるとんでもない陽キャなつぶですが練習中は鬼軍曹になってプレーでチームを引っ張てくれました。

ビックボスと言われるのもうなずけます^^

何事もセンスが光るビックボスは服もオシャレで部屋もオシャレです。加えて運転スキルもピカイチです。ラクロスのプレーでもセンス抜群です。審判だって出来ちゃいます。

そんなひびのの弱点と言えばお酒の席での粗相の多さくらいですかね^^何回被害を被ってきたかは数えないでおきます^^

 

キャプテンとしてチームを引っ張て来てくれたつぶのブログをお楽しみに!!

 

#MG さと

 

 

 

 

こんにちは!04のりとです。

 

 

私の後にはもう二人しか残っていないんですね。

人生最後の公の場にさらす自分語り。

何も書きたくない気持ちが芽生えすぎちゃってるけど、引退ブログで書くとか今までのブログに書いちゃってるし、私が後輩の立場だったら何とも言えない引退ブログなんて書いてたらおいおいまじかと思っちゃうので、ちゃんと書こうと思います。

 

 

 

何から書けばいいのか分からないから書きたくないのかなと思ったので、書くことを順番に決めていきます。

〇4年間を振り返って

・22チーム

・23チーム

・24チーム

・25チーム

〇メッセージ

なんか目次がめっちゃ少ない気がします。ということは改行がとても大事になってきます。「りと改行しなきゃだめだよ」とみりさんに食トレのノートで言われたことがあるので意識して頑張ります。懐かしい!!!

未来の私です。改行できてない気がします!無念

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇4年間を振り返って

・22チーム

人見知りのくせに新しい環境に飛び込むことを求める私は広大にいくことをとても楽しみにしていました。

でも、なにも分からない広島(しかも東広島、しかも西条)で独りぼっちになってしまった私は寂しくて絶対にサークルか部活に入ろうと決めてしまいました。

入学式の日に、誰かは覚えてないけどバス降りて帰ろうとしてたら、わざわざ避けたのに追いかけられて怖かったのを覚えてます。実はあのときに「ラクロス部には何があっても入らない」と決めてました(^ ^)

 

後日、工学部の階段降りてるときにビラ配ってるるとさんとくらさんにつかまってまんまとline交換してまんまと新歓に行きました。そこからは自分でもちょろかったなと思います。

なんかとっても雰囲気がよくてそこでめちゃくちゃ惹かれてて、みんなも知ってる通り新歓試合ではくさんがシュート決めてるところ見て、かっこいい!と思って入部しました。その後のラクロス人生では、シュート決めるどころかシュートモーションに入ったこともないんですが

22チームの練習の記憶はほとんどありません。覚えてるのは、ひたすらグラウンドの隅でみんなでGBしてラインしてたことくらいです。練習がなくなってオンラインで一斉にナイキランを始めてたことも覚えてます。

あとは、04のことがとっても好きでした。みんながいたから1年生のとき、部活楽しい!って思えてた気がします。

 

 

 

 

 

 

 

〇23チーム

今見たらびっくりだけど22チームの時はFINAL4が9月末にあって、そこでチームが終わったので23チームって始まるのが早かったです。

新チームが始まって、中四国制覇が目標だと発表されました。

純粋に気持ちが高ぶったのは覚えています。まっさらなわくわくする気持ちだけが広がっていました。それに、他大学のことをよく知らなかったのもあったとは思うけど、02さんって中四国制覇できちゃうんだろうなって思いました。

さらにそのミーティングでびっくりしたことがあります。DF幹部になぜか私の名前がありました。え、なんで?っていう気持ちでした。つぶさんがにやにやしながらこっち見てたことを覚えてます。

 

 

23チーム始動ブログの私は、ネガティブな部分もあるけど、やる気に溢れていて読み返すのは難しかったです。まだあまり詳しく知らない中ではあったけど、DFの楽しさを感じてはいたのでたくさん知識をつけることができればいいなと前向きな気持ちでした。

しかし、始まってみると全く関係ない問題が私を襲ってきました。

幹部になるとミーティングやメニュー決めが入ってきて、事前に言われてはいたけど想像以上にラクロスに割く時間が多くなりました。

ちょっと前に書いてたみたいに、このときの私は04がいるからって理由でラクロスしてました。だから、04がみんなで何かしてる時に戦術の何かがあっていけなくなることが本当につらかったです。かなり精神的にきました。オンラインミーティングのとき、悲しすぎて見えないようにして何回も泣いてました。今となったらしょうもない理由でないてんなって感じですが、当時の私にとってみんなはそれくらい大きな存在でした。

私が04ひとりだから、02さんが気にかけてくれていたのも感じていたけど、自分の残念な部分が邪魔をして、その気遣いをうまく受け取れなくて本当に申し訳なかったなと思います。

 

 

そんな気持ちをもちながらDF幹部をしてたからかもしれないけど、02さんに何度もどうやったら意見言いやすくなる?とか積極的に返信と無理ならリアクションしてほしい!って言われました。意識してたつもりではあるけど、こんなこと言うの間違い?とかこれ会話の途中に私なんかが入ってもいいの?って思い続ける日々でした。自分が1番に既読つけて返信打って消して打って消してを繰り返してる間に他の人が返信して終わる、自分何もできなかったな、、、みたいなことの繰り返しでした。最上級生になって思うけど、本当に何でもかんでも言えばよかったし、聞けばよかったです。何でも言うなんて無理だよーって思ってたけど、本当に何でも言っていい!みんなに何かを投げかけたときにレスが来ないと悲しくなるし、自分が見落としてることにも気づけない、どうすれば下級生にとって分かりやすいものになるかが分かりません。4年生になって下級生の出してくれる意見の大きさを知りました。意見をいうことをもっと楽観的にできたらよかったなと思うし、これを読んでくれてる未来の戦術幹部の子たちがいるならば、本当に何も考えずに(伝え方は考えつつ^ ^)意見を上回生に伝えてあげてほしいです。下級生からの通知は本当にうれしいです。ありがたいとかじゃないです。うれしいです。幸せです。

話が脱線したような気がします。戻ります。

 

23チームはとにかく練習が多かったです。22チームの時に練習があんまりなかったっていうのもあるかもだけど、春休みなんて試合とかイベントもそんなにあったわけじゃなくてとにかく練習ばかりしていました。また練習っていうネガティブな気持ちも多かったし、特に長期休業中は学校がない分、ラクロスが自分の頭の中を支配していてなんかもう夢の中でもラクロスしていて(それは4年生でも続きましたが)、はやく学校始まれーと思ってました。でもこのとき、2回目くらいの「ラクロス楽しい!」が始まりました。春休み終わりくらいから6on6が始まりだしました。このときラクロス楽しいってめっちゃ思ってたことだけは覚えてます。昔も今も1番好きなメニューはスクエアです。ここに新たに6on6が追加された感じでした。23チームのリーグに向けでも書いた気がするけど、自分のせいで点が決まっちゃったっていう罪悪感を感じる練習ではあったけど、それでも楽しかったです。

 

23チームは、最初は温度感に違いがあったのかもしれないけれど、夏に向かっていくにつれてみんなが「02さんと中四国制覇したい!」という強い気持ちを持って、どんどん熱くなっていっていたように感じます。自分もそうだと思っていたし、このチームなら中四国制覇絶対できるなと思っていました。中四国制覇してるところを思い描けるというよりも、中四国制覇できない姿を思い浮かべられませんでした。

 

でも、FINAL4やFINALは自分がそこにいる感じがしなくて、どこか違うチームの中に自分が入っている感覚でした。

もちろん中四国制覇できたことはうれしかったし、02さんがチームにいてくれる期間が延びたことも嬉しかったです。

でもうれしい、よかったっていう気持ちよりも、よかったね中四国制覇できて!みんなが嬉しそうで本当によかった!幸せそうでよかった!って感じでした。自分たちのことで、自分のことなのに、びっくりするくらい客観的でした。

23チームでするラクロスは楽しかったけど、チームのためにっていう気持ちが弱かったのかなと思います。このときの私は、ラクロスしている中でこれ楽しいな、これしんどいなとかそういう気持ちでしかラクロスをしていなかったなと思います。今の自分は試合には出れないだろうなって、そう思いながらリーグ期を過ごしていました。それが、23チームが中四国制覇した時の、うれしいとうよりもおめでとうございます!の気持ちのほうが大きかった要因だと思います。今見ても、中四国制覇した瞬間のあの動画まぶしくてキラキラしていて、自分の「嬉しい」の気持ちがみんなと同じベクトルの嬉しいだったら、どんな感じだったんだろうかと思います。

 

だから、自分たちの代の目標は中四国制覇にしたいと思いました。

04みんなにもいろいろなポイントで中四国制覇を目標にしたいと思ったとおもいます。

私はここでした。

かなり自分本位な理由が始まりだなと思いますが、あんなにも嬉しそうなみんなの顔を見て、02さんの引退ブログのしばらく経っても冷めない感動や喜びの気持ちを読んで、忘れることのない感動や喜びを経験したいと思いました。

人生で1番嬉しかったこととか、1番悲しかったこととか、とにかく1番の感情を私はパッと言えません。物事の記憶力はあると思ってるけど、感情の記憶力は本当にないと思います。

冷めることのない強い感情を経験してみたくて中四国制覇をもう一度したいと思いました。あまりにも自分本位な始まりではあるけれど、これが中四国制覇を目指すきっかけになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

・24チーム

24チームが始まる前も始まった時も、とにかく不安の感情しかありませんでした。みんながどう感じていたのかは分からないけれど、私的に23チームは“02さんのチーム”って感じが本当に強かったです。もちろんいい意味で

 

だから02さんがいなくなって、チームがうまくやっていけるのか勝手に不安が大きかったです。でも結論から書くんですけど、24チームは大好きなチームになりました。本当に03さんの存在が大きかったです。

 

この年も私はDF幹部に入れていただきました。あまり前向きな気持ちではなかったけど、DFするの楽しいと思う気持ちはやっぱりあったし、戦術幹部の04も増えたから自分も頑張ろうと思えました。だし、戦術幹部の04がいたから、ミーティングとかメニュー決めへの鬱の気持ちが減ったと思います。このときから、戦術の04には感謝の気持ちしかないです。

この年、なるさんとDFについて話したり、考えを聞く機会が多かったです。なるさんが聞きやすい雰囲気だったのもあって、いろいろ聞きやすかったし、なるさんはそんなに口に出すタイプじゃなかったけど、みんなが思ってる以上(多分10倍以上)に、頭フル回転で考えながらラクロスをしてるんだなってそばにいてすごく感じました。だからこそ、私の知識とか考え方はこの年に、なるさんのおかげで本当に伸びたと思います。ありがとうございます。

 

 

24チームは、練習の記憶よりもリーグ期の記憶の方があります。

というよりも、9月って感じです。ずっと目を背けていたけど、03さんが引退してしまったら自分たちの代になって、自分たちがチームを引っ張らなきゃいけないというのを受け入れなければなりませんでした。でも全く受け入れられなかったし、考えたくもありませんでした。04との話し合いが嫌で嫌で仕方なかったです。04に会いたくないなんて私はこの時まで思ったこともありませんでした。

話し合い始まる時期が遅かったし、誰かが泣くとか、今まで先輩たちから聞いてたような話し合いの雰囲気ではなかったから、みんながあの期間を感じていたのかは分からないけど、私はあの期間がとにかく早く終わってほしかったです。話し合いする前は嫌すぎて泣いてたし、話し合い終わった後は嫌だったって思って泣いてました。自分のせいなんだろうなっていうのは分かってます。でも何が嫌で涙が出てくるのか全く分からなかったんです。

今までの人生で人に何かを相談したことがないし、したいと思ったこともありません。自分の心の奥底の気持ちを誰かに説明したことがなかったから、自分でも自分の感情をうまく説明できませんでした。しんどいことは分かるけど、何が原因でしんどいのかわかりませんでした。

 

今もなんでなのかはうまく説明できないけど、自分の感情を伝えるのが怖かったんだと思います。自分の意見をいうのはできるけど、自分の気持ちを伝えるのは苦手で、それがすごく出てしまった時期でした。私個人の問題でつらかったです。でも、だからといってこの期間に誰かに相談すればよかったなとも思いません。どうせ相談する勇気もないし、自分の悩みを吐露して誰かを暗い気持ちにさせるのも好きではないので。だからこそ、自分の気持ちをコントロールしてもっと明るく楽しくふるまえばよかったなと思います。

この期間はしんどかったけど、残り少ない24チームの時間でもあったから、しょうもないネガティブを背負ってラクロスしてたことが1番の後悔です。

 

 

03さんが最後だからって気持ちでこの期間を乗り越えられたし、そう思わせてくれたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

だから、03さんと一緒にブルーコートに行きたかった。

25チームを始めたくなかったっていう後ろ向きな理由もあったけど、

ただ03さんのことが好きであのチームが終わってほしくなかったです。

予選で徳大に逆転勝ちして、でもだからこそみんながFINAL4、特に3Qくらいからどこかふわふわしていたのかなと思います。勝てることを信じている大丈夫というよりも、大丈夫って言い聞かせてる感じ。どんどん徳大との点差が狭まっていて、それに対してものすごく焦っている感じ。3Qで同点になって、4Qが始まってそこからはあっという間でした。気づいたら24チームが終わってしまいました。

 

良くない言い方だけど、なんだか呆気なかったです。

泣いてる03さんを見たくなかったし、自分の想像とは違う試合展開で試合結果でした。

スポーツには勝敗がつきもので、そこまでの過程も大事かもしれないけど、やっぱり結果がすべて。

このチームで1番感じたことです。

03さんを引退させてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

・25チーム

予想もしていないところで24チームが終わりました。

たくさんの気持ちを抱えたまま、うまく消化しきれないまま、自分たちのチームの始まりです。

私のこのときの1番の不安は、DF幹部に誰も入ってくれないんじゃないかってことでした。枠を設けていたから誰かは入ってきてくれるって分かってたけど、誰も入ってくれなかったらどうしようって本気で思ってました。

だから、ぽむりくが入ってくれて本当に嬉しかったんだよ!

 

25チームは最近のことなのもあって割とたくさんのことを覚えているから書きたいことだけ。

 

私の1年間を占めたDFリーダーに関して。

とにかくDFリーダーをしたくないと、そう04にいいました。こんな人が適していると思うリーダー像が確実に自分ではなかったから。あとは、過去の経験もあって二度とリーダーはしないと決めていたから。でも2年間DF幹部をしてきたこともあって、伝えるっていうのには他の人よりは慣れてるっていうのもあったし、DFは好きだから幹部に入ってDFのことを考えたい気持ちはありました。

最終的にジョーと2人でDFリーダーをすることになりました。

時が経つにつれて、”2人だから”というのが私の中でよくない方向にいき始めたと思います。私の中の、言わなくてもいいかという気持ちでジョーに不信感を抱かせました。何か書こうと思っても、すべてが自分を擁護する言葉になりそうで書けないけれど、本当に最低でした。あまりにも自分の弱い部分が出たと思います。この4年間で私の1番の汚点だと思います。

 

自分がなりたいDFリーダーは何なのか、もう一度考えました。とにかく知識や考え方をみんなに布教することだと思いました。たくさんメンションしたし、その場で説明したりも、個人的にLINEしたりもしました。ありがたいこいことに、みんなは何か言ったら考えも伝えてくれるし、質問もたくさんしてくれるし、みんなにそうできる力があったから、私もたくさん学べました。

別に自分のおかげだなんて思ってないけど、客観的にみて考え方とか知識とかみんな本当に伸びたなって思うよ!特に、もう後半なんて私ライドのことしか考えてなかったけど、動きも理解できてる人が増えて、うまくいくシーンが多くなってるなって感じてました。

 

私が今までいたチームの中だったら、ライドは25チームが1番上手なんじゃないかなって思うよ!こう言われて、うまくいってないシーンをみんな思い浮かべてるんだろうなと思うけど、うまくいったシーンを思い浮かべてほしい!!本当に多いから

 

 

でも、1番はもっとプレーで貢献しなければいけなかったなと思います。

みんなもそれを思ってたはず。学年が下の時の方がもっと固くならずにこうしたらいいこうしたらいいっていうのを冷静に考えながらプレーしていたと思います。この1年、1番考えなきゃいけない自分のことを考えらてなかったし、個人目標に入れた自分を楽しませるという部分をもっと頑張らなきゃいけなかったです。

チームとしてうまくいってても、結局自分が自分のプレーに納得できなかったら、楽しい!!ってまっすぐな気持ちでは言えないと思います。それがチームスポーツ。

 

いつか書いたような気もするけど、人は自分のよくないところにばかり目を向けます。そして落ち込む、そうならないためには、ラクロスにおいて自分を楽しませるためには、自分が上達するしかないと思います。

この1年、最上級生でDFリーダーだったけど、私に一番欠けてた部分だと思います。たらればをいいたくはないけれど、楽しむための努力、自分が言うことに説得力を持たせるための努力が足りなかったと思います。

だから、個人目標の振り返りをするなら、酷評だと思います。

 

 

長々とネガティブなことを書いてしまったけど、別にDF時間が楽しくなかったわけではありません。みんなの声で素敵な連動ができたこともたくさんあったし、ターンオーバーもたくさんできたし、GはFL顔負けのナイDしてるし、自分がいいプレーできたときもみんなのいいプレーが増えてみんなの成長を感じるのもシンプルに嬉しかったです。

 

中四国制覇できた瞬間も、もちろん!当たり前に!嬉しかった瞬間の1つです

みんながたくさんシュートを決めてくれて、全部のシュートパフォーマンスをすることができてうれしかったです。

もうデスターシャできないんじゃない?ってときにあしゅがシュート決めてくれて嬉しかったよ

てらさんのこともひびののことも胴上げできて嬉しかったです

なんかいろいろめくれてひびのが気まずそうな顔してたのもいい思い出

 

みんながたくさん賞状取ってくれたのも、04で全部のチームのポーズして写真撮ったのも、25チームのみんなもコーチさんも観客席もみんなが幸せそうだったのもいい思い出で、本当に嬉しかったです

あの瞬間、あの場所には、すてきな景色が広がっていました

25チームが始まるときにブログに書いた答え合わせができました

忘れるまで忘れませんということに結局なってしまうけれど、25チームの中四国制覇は自分事として嬉しかったです

 

これがあるなら、4年間ラクロスをしてきてよかったなと思えました

 

 

 

全学はなんだかあっという間だった気もするけど、みんなのナイD、ナイキ―、ナイシューまで見ることができてうれしかったです。あと、この日、結構記憶に残ってることがあって、ベンチの声が本当に大きかったんです。みんなが大きい声出してて、プレイヤーもマネさんも本当に声大きくて、「え、なんかめっちゃ声大きいんですけど」って感じました。

声が足りないとかベンチからの盛り上げがまだまだとか言われたと思うけど、私はこの日ベンチも一体で試合してる感じが本当に大きかったです。

点差は大きくついて25チームは負けてしまったけど、最後の最後までコート内もベンチもコート外も一緒に戦って成長してる感じを味わうことができました。

 

 

 

 

 

↑今見ても意味が分からないお気に入りの写真

 

 

 

 

 

 

〇メッセージ

コーチさん方へ

25チームでコーチさんになることを引き受けてくださってありがとうございます。

練習にもたくさん来てくださったり、FBもたくさんくださって、コーチさんたちがしてくださったことが私たちを中四国制覇につれていってくださいました。

そして何よりも、高い技術をもつコーチさん方と練習するのは楽しかったです。

中四国制覇して、テラさんを胴上げできて、みんなで笑顔で写真が撮れて本当に良かったです。

1年間ありがとうございました。

 

 

 

先輩たちへ

たくさんのものをここまで繋げてきてくださってありがとうございます。

先輩たちが守ってきてくださった場所で素敵な人たちとたくさんの思い出を作ることができました。

 

・01さん

読んでくださっているのでしょうか?(^ ^)

01さんがつくった22チームがあまりにも素敵だったから、私のラクロス人生が幕を開けてしまいました。そんなつもりはなかったかもしれないけど、22チームで先輩と話した記憶は01さんしかないです。きらきらしていて憧れでした。

 

・02さん

たくさんのことを変化させて、たくさんのもの残してくださいました。02さんがすごいということは当時からわかっていたつもりでしたが、最上級生になってからのほうが偉大さに気づかされました。尊敬する部分が多すぎて、こんなにもすごい集団がいるんだなという感じです。あまりにもかっこよかったです。

 

・03さん

大好きでした!!!絶対伝わってないと思うけど!

ラクロス部に入って人前で泣いたのは記憶上2回だし、私の22年間でも人前で泣いたのはそれ以外だったら4回くらいです。つまり、人前で泣かない私が涙止められないくらいには好きでした。いなくなってほしくなかったです。勝手にたくさん支えてもらいました。

そらさん たくさん書いたけど本当にそらさんが支えでした。つらくなったら冗談抜きでそらさん見てました。

なるさん あまりにもチームのことを考えさせてしまったと思います。私が半分もらうべきでした。ごめんなさい。たくさん教えてくれたこともかけてくれた言葉も本当に嬉しかったです。

 

 

 

後輩のみんなへ

25チームはみんなのおかげで目標達成したんだよ!

04さんの夢をかなえてくれてありがとう、とっても自慢の後輩たち!

・07

まず、ラクロス部に入ってくれて04の最後の後輩になってくれてありがとう!

みんなの成長を育成練に行くたびに感じていて、すごく嬉しかったよ!もっと伝えればよかったね。私が1番好きな行事はサマーとウィンターです(^ ^)楽しみにしてる!大声で応援するからさ!

 

・06

25チームの追い風になってくれてありがとう!追い風なんて言葉じゃ足りないくらい!

伸び伸びとラクロスをさせてあげたかったなって気持ちが大きい(もしかして逆に伸び伸びしてた?)けど、みんなのおかげで中四国制覇にぐんと広大が近づいたよ

ひたむきに努力するみんなが、「2年生が強いチームは強い」っていう言葉を体現してくれたね、ありがとう

 

・05

特に今年、05の力を私はたくさん感じたよ。いろいろな場面でね

中四国制覇には6人みんなの力が必要不可欠だった!

控えめな部分が多いみんなだけど、今年はたくさん意見出してくれたり行動したりしてくれたね

私は26チームが楽しみだし、05に26チームを楽しんでほしいなって思ってる!考えなきゃいけないことが一気に増えて、最上級生になると忘れがちになると思うけど、自分のラクロスも楽しんでね。04さんを支えてくれてありがとう。

 

 

 

04へ

ここまでめっちゃ長かったね、お疲れ様

出会ってくれてありがとう

主観的にみても客観的にみても自分たちのことを素敵な集団って思うことはなかったけど、みんなと過ごす時間が楽しくておもしろくて、大好きだった

これからも会えると嬉しいし、共通の思い出がこれから先もたくさんあると嬉しい

もしみんなにこれから先会えなくなったとしても、みんなが幸せならなんでもいい!

でもできるなら年齢がセーフなうちは結婚式で余興をする機会がほしいです

卒業まではとりあえずいっぱい会ってね?

私みんなに会えるの楽しみなんだよ?!

本当は手紙書こうと思ったけど、手が疲れそうなのでここでいきます

そして他の人に事細かく知られたくないので短めにいきます

メッセージキャラじゃないことは分かってるけど、伝えなかったら思ってないのと一緒だと思ってるから

 

 

ジョー

喝入れさせて本当にごめん

私に対して、思ったけど言わなかったこともたくさんあったよね

この1年、1番ごめんなさいだし、1番ありがとうだよ

G嫌だって言ってたけど、今のナイDやったくない?とか自分のプレー楽しんでる姿見れたの嬉しかったし、今まであんまり感じたことなかったけど、このチームのDFは7人でセットしてる感じだった!本当に7人でDFしてたね

こうしたほうがいいかなとか話して考えが深まっていく感じが、同級生のDF幹部がいなくて今まで味わったことない感覚だったから、それが楽しかった1年だった

何回もタイミングはあったと思うけど最後一緒に終えられたことが私は嬉しかったよ、残ってくれてありがとう

 

ちぇる

こんなタイミングで言うことじゃないと思うんだけどさ、もっと仲良くなりたいんだ!

だってきっと趣味同じの多いと思うから!私はそうだと思っている

そして私はちぇるのことが好きだから!!

4年間ずっと女ラクのことを大切に思ってくれてありがとう

 

後藤さん

1年生の時ずっと一緒にいたのになんか離れたね、でも4年生でもっかいくっついた(?)と思ってるよ(^ ^) 私ね、後藤さん推しなんだ

同期唯一の同じポジションが後藤さんでよかった。どう感じてたかは分かんないけど最後の1年は「一緒」って感じが強かったと思ってる、近くにいてくれてありがとう

 

とわ

とわに出会ったから、私は自分のことをより深く知れたんだろうなって思ってるよ

とわはおもしろがってただけだと思うけどね

本当に愉快な人だったね、もうこんな人に出会わないと思う!!

今のところ世界で一番幸せになってほしい、元気でね

 

まりあ

ラクロス以外の話をしてる時間が1番長かったと思う、だから(?)友達って感じ

1番本音に近いことを話せたのはまりあだった!

なんでも聞いてくれてありがとう

まりあからたくさんの人への誉め言葉聞けて嬉しかったよ

 

なほみ

一緒にいて、楽しいってたくさん思わせてくれる存在!(なんか小学生みたいな誉め言葉になっちゃった)

みんなとラクロスできる時間が短かったとは思うけど、なほみが変わらず楽しそうにしている姿もたくさん見ることができてよかった

学年上がるにつれて仲良くなれた気がして嬉しかったんだ(^ ^)

 

くうちゃん

心の支えだった!ちゃんと言ったことない気がするから

いつもまっすぐな言葉を誰かに届けてくれてありがとう

そのままでいてね

特に重い話をすることもなく、単純に楽しい時間をたくさん過ごせてうれしかったよ

 

やぎた

学年が上がるにつれて1番変わった人って印象

もともとしっかりしてたけど、特に4年生になってからはすべては見えていなかったけれど、誰よりも頼もしさを感じていました(^ ^)

いい意味でしょうもないと思ってるからさ、これからもしょうもない話しようよ

 

あしゅ

私がなりたかった人柄そのまんま

あしゅは覚えてないと思うけど、いつか自主練してるときにこうゆう先輩になりたいねって話してたのを、あしゅは体現してて本当にすごいなって思ってた

先輩同期後輩、そして大人の皆さん、こんなにもたくさんの人に慕われて好かれてるのってすごいことなんだよ!!

 

ちさと

確実に私にはないコミュニケーション能力をもっててすごいなと思う

さとさんは割といろいろなことをぽろぽろしちゃってた印象だけど(^ ^)、とっつきやすい人柄があるからみんなもさとさんにぽろぽろしちゃうんだろうね

「こうしていきたいんだよね」ってちゃんと考えもってマネさんやってるところ、すごいなって思ってたよ。

 

ひびの

ひびのがそうゆうつもりだったかは置いておいて、

他の誰からの言葉や態度も4年間まっすぐには受け取れなかったけど、ひびののおかげで私ってこのチームに必要なのかもしれないって思えたよ、ありがとう

ひびのがいたから頑張りたいって思った人がたくさんいると思う

ずっと1番前を走ってくれてありがとう、眩しすぎだよビックボス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あと、これは25チームだったみんなに伝えたいことなんだけど、「誰か一人でもこのチームから欠けたらだめ」とか「一人一人みんながこのチームには必要」って言葉あるじゃないですか?

言われたことあると思うけど

これって本当なんです!!!いきなり何って感じだと思うけど

1番上の学年になって1番感じたことはこれでした。

今まで何度もこの言葉を聞いて、言われてきて、

「ん-、までも他の人はそうかもしれないけど私がいなかったとて」

ってずっと思ってました。

 

でもこの1年このチームのみんなにたくさん元気をもらったり、支えてもらったりしました。

5:10から始まるアップ。頭が働いてなくて脳死で一歩目踏み出した瞬間に「ファイト―!」の声が響き渡ります。私も声出さなきゃ!って思いました。

ラダーしてる最中に足動かないーって思います。「ないふぁいですっ!」って目を見て笑顔で言ってくれます。頑張らなきゃ!って思えました。

人数が少ない練習でみんなが疲れてきたとき、「みんな今日元気ないですよー!」って声が聞こえました。やばいやばい明るい雰囲気!って思えました。

これだけじゃなくて、同期も後輩も、みんながかけてくれた言葉やしてくれた行動があって、その大小にかかわらずたくさん助けてもらいました。

チームにとって必要って、何か大きなことをしなきゃいけないように感じるけれど、どんなことであっても、誰かの言動がその日の私や他の誰かのモチベを挙げてくれたり、これからも頑張ろうって思わせてくれたり、このチームにいたいと思わせてくれたと思います。だから、ほんとにほんとに欠けることなく、みんながこのチームに必要でした。

あなたがいたから頑張れた日があって、楽しかった瞬間があって、見れた景色があります。一緒の時間を過ごしてくれてありがとう、みんなね!!!ん-、うまく伝えられてない気がする!でもほんとにほんとにみんなに感謝の気持ちでいっぱい

 

だからあのときの私もチームに必要だったのかもしれません。

これは過去の私にも伝えたいですね。

伝えたとて、「えーそんなことないと思う」とかほざきそうだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に家族へ

まず、ずっと応援拒否してごめんね

なんでこの人 大学生で運動部に入ったんだろうって思ってたよね

私もそう思うから

いつも応援してくれてありがとう

別にラクロス関係ないんだけど、大学生になってさらに家族のありがたみに気付いたよ

絶対いつかハワイ行こうね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとまりのない文章になってしまって不安すぎます。

ですが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

今までも広大はあたらしい場所に行って、そのたびに新しい景色を見てきたと思います

そしてこれからも、見たことない景色を、26チームのみんなやこの先の後輩たちが見せてくれます

私たち04が、これからも続く広大女子ラクロス部が築く歴史の一部になって、未来につなげることができていたらとてもうれしいです

この場所がずっと素敵な思い出が作られる場所でありますように!

たくさんの人に出会えて、4年間をこの場所で過ごすことができて幸せでした

ありがとうございました

 

 

#47 りと

こんばんは!4回生のあしゅです。

 

まず始めに、平素より広島大学女子ラクロス部を応援してくださっている皆さん、いつも本当にありがとうございます。

25チームも、皆さんのおかげで走りきることができました。

26チームも温かいご声援をよろしくお願いします。

 

 

引退して15日が経ちました。

毎日のように会っていたみんなに会いたいと思うようになってきて、やっとちょっとだけ引退した実感が湧いてきています。

ついこの間までインフルエンザにかかっていて、今年は謎の病になったり、コロナになったり、全学前にはクロスが壊れたり熱が出たりとなんだか色々ついてないことが多かった1年でした😇

 

私の引退ブログは

①4年間を振り返って

②私が考えていたこと、伝えたいこと

③メッセージ

の構成で書かせていただいています。

書きたいことを書いていたら思ったより分量のあるものになってしまったのですが、温かい目で読んでいただけると嬉しいです。

 

 

①4年間を振り返って

22チーム

〇女ラク、04との出会い

何かサークルには入りたいなとは思っていたものの、どのサークルも部活も私の中でしっくりこなくて、そんな時に同じゼミだったジョーが女ラクを紹介していたのをきっかけに新歓に行きました。

女ラクの雰囲気に一目惚れして、この部活で4年間過ごしたいと思いました。そして新歓試合でラクロスのかっこよさに惚れて入部を決めました。

 

1回生の時はずーっと04の誰かと一緒にいたような気がします。バイトをするか部活に行くか04といるか、家で1人でいた時間を思い出せないくらいです。

 

 

○リーグ期

リーグの試合で04からベンチに入れるのは2,3人でした。その2,3人に絶対に選ばれたかった。ベンチをきっかけに、より一層頑張るようになりました。

 

とにかくラクロスが楽しくて、

何か一つできるようになるたびに嬉しくて、

夢中で壁打ちをして、練習動画を見返して、上回生の朝練を横目にクレードルの練習をして、、。

 

でも”楽しい”のと同じくらい、”悔しい”思いもたくさん経験しました。自主練で”やっとできるようになった!”って思っていたことが次の練習ではできなくて。壁打ちでも、何度動画を見返して考えてもできない理由がわからなくて。

 

それでも

「もっと頑張りたい」

と思えたのがラクロスでした。1回生の時はラクロスに費やす時間なんて苦しゅうないって感じでした。ただただラクロスが好きで、何かできるようになることが嬉しかった時期です。

 

 

23チーム

試合に出る責任

Final4前に「スタメン候補に入ってるから頑張りな」って言ってもらった言葉をきっかけに自分の中でスイッチが入りました。

Final4からスタメンとして試合に出させてもらえるようになって、”嬉しさ”と同時に”責任”もあって、

ー自分のせいで負けさせてはいけない

ー留学に行ってるつぶの思いも自分が背負わなきゃ

と思いながらいました。

 

 

○中四国制覇

23チームの中四国制覇は、私のラクロス人生の大きな転機でした。

 

02さんの覚悟や姿勢、中四国制覇への本気の思いを近くで感じるたびに

「自分のためにじゃなくて、02さんのために強くなりたい」

と思うようになりました。02さんが引退した時はもう頑張れないって思ったくらい、背中を追っていました。

 

試合が進むにつれてプレッシャーも大きくなったけど、コートに立ってプレーする時間はやっぱり楽しかったし、”絶対に勝つ”っていう気持ちだけは常にありました。

徳大戦でインターできたり、いつもはボールをもつのが怖くてすぐらびさんに返していたクリアもFinalでは自分で運べたり。なんでファールなのかわかっていなくて、何回も同じフリスぺをしたのはごめんなさい💦

 

上回生にたくさん助けてもらいながら、ブルーコートに連れて行ってもらって、中四国制覇の景色を見せてもらったこと、本当に感謝しています。

あの景色はずっと宝物です。

 

リーグ前に書いたFinalの目標

「スタメンになる」

無理だと思いながら書いたけど諦めたことはなくて、達成できたことは私にとってすごく大きかったです。

そしてラクロスを心から楽しいと思った瞬間を経験したのもこのチームです。その一瞬があったから、残りの2年間どれだけ苦しくてもあの瞬間のために頑張ろうって思えました。

 

 

○主務

23チームは主務として幹部に携わった年でもあります。技術では貢献できる自信がなかったけど、”支える側でなら自分も貢献できるかもしれない”そう思って立候補した主務でした。

チームでの自分の存在意義を見出そうとしていたのかもしれません。

実際何もできなかったけど、先輩たちの近くにいれた1年はとても大切な時間でした。

 

 

24チーム

Final4

あの試合のことはあまりよく覚えていません。

でも後悔の気持ちだけはずっと残っています。

帰りの車で涙が止まらなくなった時、初めて”後悔してる”と気づきました。

 

24チームからMFとして試合に出させてもらえるようになりました。できないことだらけだったのに、向き合うのが怖くてたくさん逃げた記憶があります。

10人の1人として、MFの1ポジとして試合に出ることの責任、03への思いを背負う覚悟が足りていませんでした。Final4の試合のことを思い出せないのがその証拠だと思います。

 

23チームで試合に出ることのありがたみ、コートに立つことへの責任は理解していたつもりなのに、どこか他人事で試合に出てしまっていたなと思います。

 

 

○基礎リーダー

基礎リーダーを頼まれて、「自分にできるんだろうか」という不安と、それ以上の「チームに貢献したい」という気持ちで引き受けました。

 

たくさんチームと向き合いました。自分にはお手本になれるような技術はないから、動画を集めて見たり、得た知識やコーチさんに教えてもらったことを言語化して伝えることくらいしかできなかったけど、チームのためなら頑張ろうという気持ちでずっと動いていました。

 

自分の形でやっていこうと意気込んだものの、正しいかわからないことを伝える怖さ、思うように成果が出ない焦り、目標に達していない事実に押しつぶされそうになった時期がありました。(あの時れんさんがいてくださらなかったら乗り越えられていなかったと思います。ありがとうございました。)

 

1回生の時は練習中に「ファイト」と言うのにもすごく勇気が必要だったのを思い出します。

それくらい人前で発することが苦手で、チームを引っ張るということが怖くて、前に立つのが嫌でした。

まずは自分が変わらなきゃって思ったけど、変われなかった。チームと向き合えば向き合うほど自分とも向き合わなきゃいけなくて、チームのためにと思って始めたのに、自分の弱さに負けました。

本当は変わりたかった。けど変われませんでした。

チームに貢献したい気持ちがあったのも、たくさん考えたことも事実です。でも覚悟が足りなかったです。

 

 

25チーム

25チームは

”今までで1番楽しい瞬間が多くて、辛い瞬間も多い”

1年でした。

そしてまず伝えたいこと。

とわ、つぶ、ジョー、りと、私ね、25チームのOFとDFが大好きだったんだ。

”みんなで攻めて、みんなで守る”

私のラクロスの1番好きなところです。この4人が実現させてくれました。ありがとう。

 

 

○開幕戦

このリーグで1番緊張した試合な気がします。

バイト先のポスターに載っている、23チームで中四国制覇した時の女ラクの写真。

そのポスターを見るたびに緊張して、「もう後戻りできない日々が来るんだ」とずっと考えていました。

 

同時に、そこに写る笑顔を25チームのみんなに置き換えて未来を想像してみたりしていました。中四国制覇した時のみんなの顔が楽しみでした。

 

 

○Final4

この試合は、色んな意味で4年間で一番後悔した試合です。

 

試合の1発目のドロー。

この1年で、ドローで試合の流れが変わることをすごく実感していたから、絶対に負けられない瞬間でした。ドローを取ることが自分の役目だと思っていました。

でも、取れなかった。自分が取らないといけないボールでした。

 

「まだ試合始まったばっかりだよ」て自分に言い聞かせても悔しさが抜けなくて、他のプレーにも影響しました。

結局4Q の最後の最後まで引きずりました。

 

ベンチから試合を見てる時、らもの活躍が目覚ましくて、ずっと一緒にやってきたかららもの活躍がすごく嬉しいはずなのに、心から喜べない自分もいました。応援できなかった。

Final4の舞台で、最上級生として、あるべき姿じゃなかったです。

 

試合にあまり出られなかったことも悔しかったけど、それ以上にあれだけ味方でいてくれた人を応援しきれなかった自分、最上級生としてあるべき姿じゃなかった自分が許せなくて、西条に帰った後北グラで3時間泣きながら考えました。ノートにいっぱい書きました。

逃げずに自分と向き合えたのはちょっと成長した部分かな。

その日からしばらく”ドローから”という言葉を聞くだけで胃が痛くなっていたのも今ではいい思い出です笑

 

 

〇中四国制覇
2年前の中四国制覇で「自分たちの代でも中四国制覇する」という私の夢が出来ました。その夢が25チームになって、25チームの目標になりました。

ずっと気になってたんです。2年前と25チームで見る中四国制覇の景色はどう違うんだろうって。
実際は想像していたものと違いました。"嬉しさ"より“安心”が大きかった気がします。

私はどれだけ苦しくても、逃げ出したくなっても、中四国制覇のために頑張ってきました。そしてみんなの頑張りを正解にしたかった。ちょっとでもみんなに自分のことを認めてあげて欲しかった。結果が全てじゃないけど、結果があるからその過程もより輝くと私は思っています。私は23チームでその経験をさせてもらったからこそ、25チームでは私が返したいと思っていました。

Finalの60分間。
“この60分のために1年やってきた”と思うと
怖さも緊張もあったけど、それより楽しみな気持ちが大きかったです。
25チームのこと信じてました。だから中四国制覇した瞬間"安心"が1番大きくきたのかなと思います。

スマホのホーム画面を2年前の写真からアップデートするっていう夢も叶えられて幸せです。

 


〇全学
全国の壁はやっぱり高かったです。
でも、通用する部分も確かにあって、"攻めれてる""守れてる"って実感できることろまで来れてました。

この試合あまりドロワーとして試合に出れなくて悔しい思いもちょっとはあったけど、すごく楽しかったです。BTからいつもよりいっぱいみんなのこと見れて、何より後輩がたくさん活躍してて、
“これからの広大も大丈夫だ”って思いました。

絶対泣くと思っていたんですけど、試合終了の笛が鳴っても不思議と涙は出なかったです。
“やりきった”
と心の底から思えました。
まだ出来たこともあったかもしれない、けど後悔はないです。

 

 

〇最上級生としての理想と現実のギャップ
最後の1年は最上級生としてチームを引っ張って、頼れる存在にならなきゃいけない。それが私の理想だったし、最上級生としてあるべき姿だと思っていました。
でもいざ25チームが始まってみると、理想と現実のギャップに目をそらせなかった。
ちょっとでも理想に近づけるように、まずは"自分が1番成長しなきゃいけない"、そう思うようになりました。
25チームが始まってからは、毎練習前に03さんにもらったノートにその練習の目標を書いて、練習が終わったらFBを書く、これを1年間続けました。
私は器用じゃないので、一回の練習でたくさんのことを意識するといっぱいいっぱいになってしまいます。
だから“今日書いたことだけ絶対やる”って決めて練習に行っていました。

でも頭では分かっているはずなのに、自分の動きにしっくり来ない日も多くて、指摘されても自分でもわかってるもん!って思ってた日も少なくありません。

課題なんて山ほどあって、それでも頑張り続けられたのは、"できた!"って思えた瞬間が何より楽しかったから。2年前に初めて感じた"これだ!"って感覚を求めて、壁を乗り越えれば楽しくラクロスできる日が来るって知ってたから頑張れました。
できた!を求めて、この1年自分の成長に向き合うことだけは大切にしていました。


MF・基礎リーダーとしてチームともたくさん向き合った1年でもあります。中四国制覇のためならできることは全部やると決めていました。新しいメニューを考案してみたりもしました。

基礎って楽しくないし、苦手が目に見えてわかるから、しんどい思いもたくさんしたと思います。サークル周りもいっぱい意見くれて、ちゃんとみんなが自分のポジションを全うしてくれました。
私はリーダーらしいリーダーではなかったと思います。私が出来てないこともいっぱい求めました。それでもここまでやってこれたのはみんなのおかげです。ありがとう。


「基礎力があったらラクロスはもっと楽しくなるし強くなる」というのが私の信念でした。

広大は基礎が弱いって言われるのがなぜかずっと悔しくて、もうそんなこと言わせたくなかった。
ちょっとは広大変わったかな。

 

 

〇私にとっての大きな存在
この夏は、特別しんどい時期がありました。

これまでの人生でできないことに対してこんなに人に求められることはありませんでした。周りの04は出来ていることなのに私は土台にも立てていなくて、自分のことで精一杯すぎて色々難しかったです。
“自分のペースで1歩ずつ”とかよくいうけど、
最上級生として、中四国制覇を目指す立場として甘えるべきにはいきませんでした。

私は言われた言葉を全部重く受け取ってしまうので、落ち込んでその日の練習の最後まで引きずった日もたくさんあります。けどこんなに見捨てずに言い続けてくれたことにはすごく感謝しています。何でこんなに言ってくれるのか、私なりに理解していたはずだから、すごく感謝しているし、もっと頑張ろうって思えました。


私には1回生の時から追いつきたくても追いつけない人の存在がありました。ずっと同じポジションで一緒に頑張ってきた仲間でもあり、ライバルでもあり、1番私のことを分かってくれてる人だと思っています。特に25チームは想像できないほどのものを背負っているのを知っていたから、私が支えたいと思っていました。でも支えられる側になっちゃって、たくさん助けてもらいました。ごめんね。
4年間、そして特にこの夏、この人の存在なしでは頑張れませんでした。私にとって特別な人です。ありがとう。

 


 

②私が考えていたこと、伝えたいこと
〇元気にラクロス
25チームは怪我にも悩まされた期間でした。

腰痛が再発して悪化して、思うように部活ができない日が続きました。このままやり切れずに引退するんだろうなって思ってました。
5月の中旬まで満足に練習ができず、練習試合にちゃんと出られるようになったのも6月。
腰のせいにしたくなくて、自分で決めたことだから最後まで頑張りたかった。

でも、見学することが多くなった期間は本当に苦しくて、外から見てるとみんなの成長がすごくよくわかるんです。
みんなの成長が嬉しいと思う一方で、置いていかれている気持ちと焦りがどんどん大きくなりました。
早く復帰したいのに、戻るのも怖いと思うようになりました。

そして練習に入っても痛みで立っているのもつらくなって、メニューを抜けたり入ったり。
この状況がチームのために良くないことは分かっていたし雰囲気を壊してる自分が嫌で、辞めたいんじゃなくて辞めるべきだと考えたこともあります。

でも、2年前からの夢、25チームの目標。ブルーコートにみんなと一緒に立ちたくて、、結局自分の中で続ける以外の選択肢はなかったんだと思います。

そんな時、とこさんがゴッドハンドを紹介してくださりました。
痛みに耐えることなく全メニューに入れるようになって、思いっきり動けることがすごく幸せでした。

とこさん、ゴッドハンド先生、本当にありがとうございました。
そして浅野さん、1年生の頃からたくさんお世話になりました。
そして🍀先生。引退するまで最高の状態で試合に送り出してくださってありがとうございました。


練習が出来なくなるのって本当に辛いです。それにすごく焦る。

でも、その期間をどう過ごすかで、苦しい時間に意味が生まれると思っています。

そして、自分の目標を諦めないでほしい。
簡単にこんなこと言ったらいけないことは分かってるけど、それでも怪我を理由に目標を手放してほしくないなと私は思います。
“逃げ”で終わらせてほしくないです。

みんな、元気にラクロスができることは幸せなことなんだよ!

 

 

〇頑張る理由
みんなが部活を頑張る理由ってなんですか?

私はこの4年間、「なんでこんなに頑張ってるんだろう」って思う瞬間が何度かありました。
振り返ると、
-04が好きだったから
-02さんの背中を追いかけたかったから
-中四国制覇を本気で叶えたかったから
バラバラです。

チームとして同じ方向を向いていることは大事です。
でも自分のために頑張る理由も見つけてあげて欲しいなと思います。

大きな目標って遠すぎて、そこに向かって頑張るのきつくないですか?だからこそ、私は小さい目標を大切にしていました。
左手パスキャ連続で30回出来るようになる、今日はファイトの声ワントーン上げてみよう。これも立派な目標です。
小さな達成を大切にして、自分を認めてあげる瞬間を増やせると素敵だねと思います。
私は自分を認めることが苦手だったので、小さい目標の達成っていうのを大切にしていました。それで自分をちょっとだけほめてあげる瞬間をつくってました。


あともうひとつ、"変わるきっかけ”を大切にして欲しいなと思います。
周りを見ると、練習前早く来て自主練してる人、さりげなく声をかけてくれる人、最後まで片付けをしてくれてる人、小さなきっかけを誰かが必ずつくってくれてます。そのきっかけを自分のものにして欲しい。一歩踏み出してみることで、自分の中で何かが変わるかもしれません。
指をさしだすだけで、手を差し伸べてくれる人は必ずいます。

 

 

〇審判
正直私なんかが審判ついて語っていいのかなって思ったけど、少しだけ語らせてもらおうと思います。
2回生のサンライズで3級をとったものの、審判は =緊張・怖いってずっと思ってました。
それが変わったのが4回生で参加したあかつきで、初めて“楽しい”と思えました。
審判をするのが楽しいのはもちろん、人との繋がりが広がったことも実感しました。他地区にはこんなにもすごい子たちがいるんだって知れて、すごく刺激を受けました。このリーグ期には連絡をくれた子や、試合会場で再会できた方もいて、審判をしていなかったら出会えなかった人との繋がりができて、私が審判が好きな理由の一つだなと思います。

人と話すのが得意じゃない私でも、審判をしているとたくさんの人との出会いがありました。
審判をしてると世界が広がります。
審判を続けていて良かったです。
だからみんな一緒に審判やろ!

 

 

③メッセージ
〇コーチさん
1年間ありがとうございました。コーチさん方なしでは中四国制覇は絶対達成できませんでした。一緒にたくさん練習出来てすごく楽しかったです!たくさん背中を見せてくださりありがとうございました。

〇05.06.07
中四国制覇できたのはみんなのおかげです。たくさん頑張ってくれてありがとう、たくさん背負わせちゃってごめんね。みんなが頑張っているところを見て私も頑張ろうって思えました。
25チームはみんなにとっては通過点です。まだまだこれからだよ!26チームすごく楽しみです!来年の試合楽しみにしてるね。
君たちは本当に可愛くて大好きな後輩です。

〇04
本当にまとまりがない学年だったね笑
何してるの?何言ってるの?って言いたくなることも多くて、個性が本当に強いけど、そんな04とのたわいもない会話が楽しかった。会えなくなると寂しくなるもんだね。
04がいたから頑張れた!4年間ありがとう!



〇らも
らもがいなかったらこんなにドロー頑張れてなかったし、らもが私を強くしてくれたと思ってる。この夏いっぱい一緒に自主練したね、いっぱいドローのこと考えたね。「練習では毎回敵だけど、明日の試合は味方だね」とか言ってたのが懐かしいね。一緒に話をしてると同じこと考えてたり、一緒にドローのことを考える時間はすごく楽しかった。
2人で最強のドロワー目指せて良かった!
全学の時に思ったこと、大切にしてね。私はあの言葉を聞けてすごく嬉しかったよ。

〇すき
あしゅという存在を認めてくれた人です。すきのおかげでここにいていいんだって思えたよ。
こんなこと思う人じゃなかったのにって話してくれたこと、私はすごく嬉しかった。そんなチームになれて良かったってすごく思えた。ありがとう。
書くか迷ったけど、とても感謝してるので残しておくね^^

〇家族
25チームはほぼ毎試合練習に来てくれたね。「次の試合はあんまり出れないかもしれない」って言った時も、「広大を応援したいから」って応援に来てくれたことすごく嬉しかったです。たくさん心配かけたけど、私の第一の応援者でいてくれて、最後まで応援してくれてありがとう。



バイトに行っても、プライベートで遊びに行っても、気づけばいつも女ラクの話ばかりしていました。
それだけ女ラクは私の全てでした。

女ラクに入って、自分の弱い部分とたくさん向き合いました。
そして弱い自分が、私を強くしてくれました。

あの日、女ラクを選んだことは間違いじゃなかったです。
4年間一筋縄にはいかなかったけど、すごく濃い時間でした。

広大の「新時代」は、幕を開けました。
あとは、後輩に託します。

4年間最高の青春でした。ありがとうございました。

#55 あしゅ

 

こんにちは!04のえるです。



まず初めに25チームを応援してくださった皆様に感謝申し上げます。
いつも試合の時にはたくさんの応援と差し入れを頂き、その力があったからこそ、目標としていた中四国制覇を達成することができました。
今後も引き続き応援よろしくお願いします。


引退してちょうど2週間が過ぎました。
土曜日に早起きしなくていいっていうのが新鮮で、徐々に引退したという実感が湧いてきています。
4年間ほぼ毎日会っていた04とちゃんと遊ぶ約束を立てないと会えないっていうのがすごい不思議な感覚です^^
いつの間にか引越してる人もいるけど卒業までいっぱい集まろうね🃏



22チーム

私が最初に女ラクの存在を知ったのは入学式。
ご飯会があるということで、持ち前の乞食精神から軽い気持ちで行きました^^;
その時、たまたま同じ席になったのが同じ学科の先輩で、まだ学科の誰とも会えていなかったから、それがすごく嬉しかったのを覚えてます。
体験会の雰囲気もいいし、インスタ見て先輩たちみんな可愛くてキラキラしてるなー、ここなら楽しい大学生活送れそうだなーって思って入部を決めました。

22チームのときは部活自体週3で少なかったし、ただ楽しかった記憶です。気楽に遊べる友達が出来て、授業・部活・車校と適度に忙しくして、充実してるじゃん!って感じだったと思います。
04にMGが4人もいたから、トレーナーとアナライズを分けることになり、自分はアナライズ班に入りました。

アナライズはチームでも始まったばかりで手探り状態で、当時アナライズを率いていたるなさんを中心に、必死に試合のデータを取ってました。1,2年のときは特に役職もなかったので、自分はアナライズをモチベーションにして部活に行ってました。


23チーム

23チームからはスカウティングも始まり、アナライズの幅が広がりました。
finalの時、徹夜で試行錯誤しながらまとめたスカが中四国制覇の勝因になったって02さんに言ってもらえて、ずっと手探りで何が正解か分かんないし、役に立ってるのかも分からないままやってきたけど、チームの一員として貢献できたんだなって思って嬉しかったのを覚えてます。
自分の中で23チームの中四国制覇は部活への意識が変わった大きな出来事で、この後の2年間部活を続けるモチベーションになりました。そして自分達の代でも中四国制覇したいと思いました。

あと23チームではアナライズの傍ら、テーピングもたくさんしました。手先が器用な自負があったので、結構テーピングは好きで、進んでやってました。足首のテーピングのバリエーションも増やしたし、足首以外のテーピングもできるようになりました。

私は審判が出来るわけじゃないし、何かが飛び抜けて出来るわけではないけど、テーピングもアナライズも満遍なくできるMGにはなれたのかなと思ってます。


24チーム

春休みにつま恋でアナライズの座談会に参加して、試合のアナライズのレベルが格段に上がりました。今までデータを取るだけとって共有するのが課題だったのを、ちゃんとやり方を確立してチームに還元できるようになったのがこの年だったと思います。

final4で負けた時は悔しくて、現実をすぐには受け入れられませんでした。
絶対勝てると思ってたし、勝てる実力も確実にあった。でも実力があっても勝ち切る力や勝負強さがないと、負けたら終わりの試合では意味がないんだと、この時知りました。

だから25チームの組織目標を決める時、「中四国制覇を常に意識し、分析・改善を楽しめるチーム」に決まりかけてたけど、自分は「勝ち切れる」っていうワードを入れたいと発言したんだと思います。


25チーム

想定したよりも早く始まってしまった25チーム。あの早起きして体育館で話し合いしていた日々から、もう1年以上経ったんですね。

この1年は声を出すことを意識していました。
周りには届いてなかったかもしれないし、このチームで1番出てたとは思わないけど、自分の中では4年間で1番意識してました。
MGは試合中にプレーで貢献することは出来ない。だから声を出してチームに流れを作ることが、試合中にできる唯一の貢献だと思ってました。「勝ち切れるチーム」になるために自分が出来ることとして意識してました。

finalの試合は、4年間で1番声を出せてたと思います。たくさん叫ばせてくれてありがとう。本当にこのチームで中四国制覇できて良かったし、あの景色は一生忘れません。
私が23チームで中四国制覇した時に部活を続けるモチベーションになったように、後輩たちにとっても今後の部活の糧になっていたら嬉しいです。




これからはOGとして広大女ラクを心から応援します!まだ西条にいるので、来年再来年も全部試合見に行きます^^
25チームは本当に後輩たちの活躍に支えられたチームだったから、もっともっと強くなるはず!
人数が減って大変なことも多いと思うけど、新時代を作ってくれることを期待しています。


長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。