高城 剛 -Takashiro Tsuyoshi-
この人を知っていますか。
よく「ハイパーメディアクリエーター」と呼ばれたり
沢尻エリカさんの元夫ということでテレビで見かけたことがあると思います。
テレビでは変わった人扱いですが、それは報道が情報操作した事で
視聴者に極端に悪い印象をつけました。
実際は経済やメディアに非常に詳しく、説得力のある人で
とても先見の明があるように感じます。
音楽が好きで写真も上手い。世界各地で遊んでいるようで仕事をしている素敵な人です。
日本は島国で外国人も少なく、ほとんどの人が日本語しか理解できません。
そのためマスコミの報道次第で世界情勢や日本の行く末など
どのような印象もつける事が可能な状況です。
そのような状況下で行われるマスコミやメディアの
くだらない報道に危機感を感じ「正しい情報は自分で得ていく時代」と警鐘を鳴らしています。
そんな高城 剛さんのブログは世界の各地から世界の状況と日本の現状を
面白く、興味深い意見を交えて更新されています。
よかったら見てみてください。今回はappleの創始者であるスティーブ・ジョブズについて
感心、共感する記事があったので紹介します。
便利さではなく、楽しさを!
※ブログから引用
スティーブ・ジョブズについて
いまから二十年近く前、コンピュータの仕事をはじめたばかりの僕は、
カリフォルニアのハーフムーンベイでいつも瞑想をしている人と話す機会を得ました。
同行した友人が「いまの裸足の人が、アップルコンピュータを作った人だよ」と、僕に教えてくれ、少しばかり驚きましたが、
「あの人のメンターは、君と同じコーブン(弘文)という日本人なんだよ」と言われ二度驚いた事をよく覚えています。
互いの瞑想法や「空」について、その瞑想の人としばらく話していたのは、もう二十年近く前のことです。
1995年、全米計算機学会分科会SIGGRAPHで、
その瞑想の人は壇上にあがって、PIXARの新作映画の話して大きな話題となって、そのあと少しばり個人的な話しをしました。
この日のスピーチが、彼にとって運命の日になりました。
その直後、PIXARは映画「トイストーリー」をヒットさせ、株式公開を果たしました。
多くの人は、スティーブ・ジョブズのことをアップルの人=マックやiPhoneを作った人だと思っていますが、それは業績の一部分でしかありません。
スティーブ・ジョブズは、コンピュータによって、誰よりも社会をより楽しく、そして素晴らしくしようとした人に他なりません。
かつて、誰もが虜になっていたエクセルやパワーポイントは便利なだけで楽しいもんじゃない、社会は変わらないということを、直感でわかっていました。
だから、コンピュータによって便利さを追求するのではなく、コンピュータによって楽しさや素晴らしさを追求しつづけたのです。
その真髄は、アップルコンピュータを一度追い出されて、PIXARに自分の人生を集中する事によって、自他ともに明確になりました。
それは、瞑想によって導かれた「初心」の気持ちや死生観だと言われています。
その後、ハリウッドがいくらでもいいから欲しがったPIXARがあったからこそ、結果としてコンテンツ配信事業が前提なiPodの成功があり、
PIXARがなければ、コンテンツを握るハリウッドはさほど協力せず、iPhoneの成功はここまでなかったことでしょう。
また、スティーブ・ジョブズの有名な言葉に、Stay hungry,Stay foolishというのがあります。
これは、スティーブ・ジョブスの言葉ではなく、
カウンターカルチャー世代の雑誌「ホールアースカタログ」最終号の見出しです。
どこにでもある旅立ちの風景の写真とともに、その別れの言葉は書かれていました。
当時スティーブが出入りしていた「ホールアースカタログ」は、彼にとって永遠のアイコンです。
iPhoneの待ち受け画面が、「ホールアースカタログ」と同じだった地球の写真だったことは言うに及ばす、
iPhoneそのものを、現代の「ホールアースカタログ」として、スティーブは考えていました。
それは、「世の中を変える素晴らしい事を伝える術」を、どんな時も目指し、
便利さや欲望では、社会は大きく動かないことを、60-70年代のカウンターカルチャーを通じてよく知っていたのです。
だから、ニューヨークタイムズもBBCなどの世界中の報道機関がスティーブジョブズのことを「ビジョンを作る人」とするのに対し、
日本の多くの新聞社が、スティーブ・ジョブズを、「元アップルのCEO(最高経営責任者)」と書くのに僕は違和感を感じます。
スティーブ・ジョブズは、経営者でもアントレプレナーでもなく、常に、ビジョンを作る人を目指し、
どんな時も、コンピュータを通じて社会を素晴らしく変える事だけを目指していた人だと思います。
音楽で社会が変わる事を教えてくれたジョン・レノンがなくなった日、
もう音楽は、ただの産業になってしまうんじゃないか、と多くの人は感じたと思います。
コンピュータで社会が変わる事を教えてくれたスティーブ・ジョブズがなくなった日、
もうコンピュータは、ただの産業になってしまうんじゃないか、と僕は感じます。
スティーブ・ジョブズの死は、たぶんコンピュータが終わった日の知らせであり、
残った僕たちは、また次の地平を目指さなければなりません。
その道は、自分の心と直感によって導かれると、何度もスティーブ・ジョブズは言って、ありふれた光景から旅立ちました。
Tarou Okamoto
今日は岡本太郎先生の話を紹介します。
10年フランスで修業し
日本でも沖縄や東北の土器を再評価したりして 活躍し始めていた太郎が
一気に世に名を知らしめたのが 「大阪万博」。 (1970年/昭和45年)
世界へ日本の文明、芸術、最先端技術を知らしめる絶好のチャンス。
先日中国でも上海万博がありました。
その際シンボルタワーの作成の依頼を受けた太郎は
万博の目玉であった近未来的な建物を前にしてこう言いました
「 この大屋根に穴をあけろ 」
周囲の猛烈な反対を押し切り建築したのが
かの有名な 「太陽の塔」
高度成長期でお祭り騒ぎの日本の万博を
まるで見下ろし睨みつけるかのような
近代主義、先進国優位、国力、産業を知らしめる為に進められた万博
これに反対だった太郎は
わざと近代未来の建物の真ん中ににまるで土偶のようなタワーを建て
日本の歴史、文化を古代よりの形で表現した。
文明の進歩と反比例して人間の心が貧しくなっていないか?
忘れてはいないか?と。
また主催者側はタワーの内部に歴史上の偉人の写真を並べる予定だったが
太郎はこれを拒否して
「世界を支えているのは無名の人たちである」 とし
タワーの内部に無名の人々の写真や民具を並べた。
万博中止を訴え太陽の塔が占領された事件ではマスコミの取材に対し
「イカスねぇ ダンスでも踊ったらよかろうに。自分の作品がこういう形で汚されてもかまわない。聖なるものは、常に汚されるという前提をもっているからね」
と言った。
「牛乳瓶のお化け」 「日本の恥」
と痛烈に批判を受けた太郎であったが
万博後40年以上たった今
皮肉にも最先端であった建物は壊され
残っていたのは
40年たった今でも尚、千里の丘陵に一人で、大空に向かって堂々としている。
当時評論家やジャーナリストの批判の的になるのは分かり切っていた事。
それより何より、進歩主義に沸き上がる万国博に自分の哲学と思想の全てを賭けて
万国博に挑んだ。
この塔は、どんな状況下にあっても、敢えて自分を貫いた岡本太郎自身の塔。
芸術とは何か。美か。人か。思想か。歴史か。
「芸術は爆発だ!」 太郎は言った。
「用心深く、いや臆病に
今までの使い古されたパターンをなぞってなんになるか 」
「相手に伝わらなくても良いんだと思って純粋さを貫けば
逆にその純粋さは伝わる」
岡本 太郎
夏の思い出
おひさの更新。
夏に山口県の角島にキャンプしに行きました
片道 3 時間だけど 海ならそれも楽しいドライブ
田舎の風景に深呼吸しながら
風と蝉音と音楽が流れていきます
海についたらテントと席を組んで
とりあえず乾杯ー
今日は海水浴じゃないから ゆっくり贅沢にすごします
一緒にいった子供と遊んでお腹をすかします
にーちゃんとケンカ 笑
BBQがはじまりお酒もすすみます
てか毎回BBQなんで 次は少し上のレベルに挑戦します
道具も少しづつ揃えたいなー
日も暮れてきて
ビーチに繰り出します
砂浜にイスを並べてまったりすると
風が気持ちいい
その時 音楽もテレビも電話もいらなくて
生まれてきた事に感謝をするような
ただの一日の終わりが こんなにも素敵だと気づく
なんで街中で生きてるのか
それは本当に正しいのか楽しいのか
よくわからなくなるほど
それは綺麗で
かけがえのない瞬間
田舎や海外に住むなんて事はすぐには出来ないけど
とりあえずキャンプ道具をそろえていこう
旅行出来るように仕事していこう
友達と家族とこんな瞬間を沢山すごしたい
夜は大人の時間なので子供は寝かしつけ
語らい半分に賭けトランプ。それはもうたくさん飲んで
酔っ払いは 肉8:麺2 の焼きそば を作っていました
好評を受け作成した第二弾は ソースラーメンなるものでした。 まずっ
夜も更け 就寝。
朝は波の音で6:30には目が覚めました
砂浜に降りていくと
朝の気持ちいい風が抜けていきます
10時には角島を出て
帰りは玖珂にある山賊によって帰りました。
夕方からは台風の影響で
雲は速く でも夕焼けが綺麗でした
次は連れてってよ
と りんちゃん が言ってる?感じがしたので
散歩しました
おわり






















