標準偏差外のWell-Being
今まで「普通」とか「こうあるべき」というのは、標準偏差的に偏差値50±15くらいまでの領域を普通として、その方々が生きやすいように社会が設計されてきていると思う。例えば小学校は毎日行くのが普通、みんなで勉強をする、とか。会社に入って一生懸命働くとか。不登校は好ましくない、ちゃんと出勤しないと!等、たまたま今の世の中で標準とされている尺度、例えば、勉強の出来不出来ではなくて、友達と遊ぶ領域とか会社にしっかり行く等の特定の領域での偏差値35以下とか65以上の人たちって、すごく生きずらい世の中を強制されているのかも。資本主義なのでその特定の競争領域で生き残ることが社会全体の全体最適になるという前提だけと、あまりにも特定領域が狭すぎて、もしくは、少なすぎて、今の評価の物差しで幸せになれない方は力を発揮しないまま不遇になっているのではないか。もしかしたら筋肉マンだったら原始時代では超優等生だったのかもしれないし。LGBTQも然り、発達障害も然り、身体障害であり、思想の違いであり、やっと社会が特定集団の幸福ではなく、個全体のwell-beingに向けて動き出していることもあり、今まで領域の端っこにいた集団で楽しく切磋琢磨し価値を生み出し社会課題を解決していく営みがあれば生み出す価値も増えてみんながより幸せになるのではないかと思う