宮城県沖で、我が国での観測史上最大というM8.8の巨大地震が発生いたしました。


私は、会社での勤務中に新宿で遭遇したのですが、いや~~、揺れの大きさもさることながら、とにかく長かったというのが感想です。


私は、群発地震の巣である伊豆地方の出身で、地震慣れしているつもりですが、こんな凄い地震に遭遇したのはもちろん初めての経験で、思わず机の下に潜り込みました。正直怖かったです。あせる しかも、同程度の余震が3回くらい続けざまに来ましたから尚更です。


家族の安否が気に掛かり、自宅と連絡を取ろうにも、携帯はまったく不通。メールは送信できましたが、返信が来ません。自宅が同地域にある同僚の一人が、辛うじて家と連絡が取れ、その情報によれば、家具が倒れるなど相当酷い状況のようです。


 これは我が家もヤバイかも。買ったばかりの40インチ液晶TVは果たして無事なのか?ガーン


会社は、急遽危機管理委員会が招集され、地震発生からおよそ1時間後に業務停止が決定され、帰宅可能な社員には帰宅許可が出されました。


しかし、交通網が完全にストップしており帰るにしても徒歩しか手段がありません。


 何というアンラッキ~~~ッ!ショック!


というのは、実は前日、私は大腸に出来たポリープを切除するため、会社近くの病院に入院しており、この日の朝退院でしたので、当然、この日も有給を申請して許可されていたのです。ですから、午前中に退院して、さっさと帰れば良かったのに、前日休んだ後ろめたさと、週末で仕事が溜まるのが嫌だったので、午後から出社したのが運の尽きでした。こういう所がジャパニーズサラリーマンの悲しい性です。しょぼん


しかし、こうなったら仕方ありません。勤務地である新宿から自宅まで、およそ40km。やってやれない距離ではありませんが、時速4kmとして10時間も歩き続けなければなりません。主治医からは、術後はしばらく運動は控えるようにきつく言われているのに、何時間も歩いて本当に大丈夫だろうか?


まあ、でも、数時間後には鉄道も運転を再開するでしょうから、その時ごった返すであろう都内を抜けておれば、少しは余裕を持って帰れるでしょう。


という、甘い期待を込めて、強行帰宅致しました。新宿駅周辺は、正月の初詣客かと見紛うような凄い数の人です。正確な道順が判らないので、とにかく、埼玉方面に向かっているのであろう一団について行きます。約2時間かけて新宿から池袋を抜け、その後は17号線をひたすら北上します。


道路は上り線も下り線も大渋滞。その脇を、数千人もの人々が黙々と歩き続ける様は、異様な光景ですが、停電が無いため、沿道の店は何事も無かったかのように営業しており、明かりが煌々と燈っているのは心強いです。特にコンビニの存在は本当にありがたいです。


途中、公衆電話で自宅と連絡が取れ、とりあえず我が家は家具が倒れることも無く、皆無事だと判り、ホッとしました。公衆電話といえば、こういう時は携帯より圧倒的につながり易いので、利用者が列を成しますが、テレカ専用機は比較的利用者が少なく、早く利用できます。今回、たまたま昔買ったテレカを持っていたのが幸いしました。


歩き始めて、5時間。やっと武蔵浦和の辺りに達しました。鉄道の運行状況を確認すべく、武蔵浦和駅に行きましたが、駅舎は無常にも閉鎖され、運行再開は無いとのことでした。


ビジネスシューズで5時間も歩きつめると、さすがに足がしびれるように痛み出し、歩くのが苦痛になってきました。自宅まではまだ15kmくらいあります。まだ4時間くらい歩き続けなければなりません。それはとても無理。


そこで、タクシーを利用することにしましたが、駅はタクシーがすべて出払っています。しかも、道路の渋滞は相変わらずで、歩いた方が速いくらいです。仕方なく、大宮までさらに8km程歩くことにしました。


出発してから7時間。午前零時を回る頃、大宮駅に到着しましたが、タクシー乗り場は長蛇の列。百人以上並んでます。しかも、タクシーはポツリポツリ来るだけで、どれだけ待たされるのだろうと考えると気が滅入りました。この状況では歩いた方が早そうですが、もう足がストライキを起こしている状態で、辛うじて立っている事は出来ても歩くのはもう駄目です。


結局、3時間半近く待たされて、ようやくタクシーに乗れました。帰宅時刻は午前4時近く。実に会社を出てから11時間後の事です。家に帰って本当にホッとさせられました。


そう考えると、地震で家を失った人達のご苦労がしのばれます。一日も早い復興をお祈りします。