埼玉県にいた頃、行田市にある「さきたま風土記の丘」へ行きました。

古墳群が整備されていて観光地としても一度訪れてみてはいかがですか?












http://www.geocities.jp/jw_mura/kofunn/kofun01.htm


http://www.bell.jp/pancho/travel/saitama/sakitama%20kofungun.htm


埼玉の古代を知りたければ、県名発祥の地、行田市大字埼玉(さきたま)に行けばよい。ここには、国の史跡に指定された「埼玉(さきたま)古墳群」がある。8基の前方後円墳と1基の円墳が残っており、全国有数の大型古墳群である。この古墳群は、関東平野の中のなだらかな微高地の先端に位置し、周辺には利根川と荒川に挟まれた肥沃な水田地帯が広がる。埼玉県は、新たに発見された小型円墳跡も含めてこの地域約30万平米を古墳公園「さきたま風土記の丘」として整備し管理している。

 古墳時代、このあたりは、すぐ東が東京湾につながる埼玉沼という大きな湖に突き出た半島だった。湖に面した半島の先端は、北武蔵に盤踞した氏族にとっては格好の奥津城だったのだろう。5世紀の終わりから7世紀の始めにかけて、族長クラスの大型古墳がこの地で次々と築かれた。現在9基の大型古墳が東西600m、南北900mの狭い範囲に、旧状をよくとどめながら隣接して群れをなしている。

 この古墳群のうち、丸墓山(まるはかやま)古墳は日本最大の円墳であり、二子山(ふたごやま)古墳は武蔵野国(現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部)で最大規模を誇る前方後円墳である。さらに、稲荷山(いなりやま)古墳は、昭和43年(1968)の発掘調査によって、国宝の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」を出土したことで全国的に知られている。丸墓山古墳以外はすべて前方後円墳であり、不思議なことに、いずれも後円部をほぼ北に向け築かれている。

 その他にも、埼玉古墳群には幾つかの謎というか、特徴がある。5世紀末から6世紀末の100年間にわたって、狭い地域に大型古墳が周濠を接するような近さで、一貫した計画性をもって次々と築造されたのはなぜか。大和地方の天皇陵クラスの大古墳にしか見られない二重周濠が、一地方の古墳にすぎない前方後円墳のほとんどに巡らされているのはなぜか、中堤(ちゅうてい)に造出し(つくりだし)を持つ古墳が多いのはなぜか。etc.etc.

 「さきたま風土記の丘」には、昭和44年(1969)に設立された「埼玉県立さきたま資料館」がある。埼玉古墳群からの出土品や北武蔵の民俗資料を展示することを目的として、建てられた資料館である。資料館の考古展示室には、古墳から出土した埴輪や金錯銘鉄剣が展示してある。古墳見物の前に「県立さきたま資料館」に寄って古墳の配置や概要をあらかじめ頭に入れておくことを勧める。


さきたま風土記の丘 データ】

住所
埼玉県行田市埼玉4834
TEL
048-559-1111 (埼玉県立さきたま史跡の博物館)
公共交通
JR吹上駅→朝日バス佐間経由行田折返し場・総合教育センター・工業団地行きで10分、バス停:産業道路下車、徒歩15分
東北道羽生ICから国道125号経由15km20分
駐車場
あり
料金
入園自由
文化財
史跡