世の中の流れを見るためには歴史を学べと言われます。
以下に示すことは医療崩壊の歴史です。
イギリス
サッチャー首相は「イギリスには社会主義者が設計した古い制度や国有化企業が多くあり、それがイギリスの活力を削いだ。それらの民営化を軸とする改革をすれば効率が高まり、活力が甦る」と自由主義的な改革を主張した。そして実際に国有鉄道、電気、ガス、電話、英国航空などを次々と民営化する一連の改革を1980年代に実施し効を奏した。そしてNHS(国民保健サービス)医療についても社会保険制度の導入や民間医療機関の拡大、一部民営化など多くの選択肢について検討された。しかしこれらの改革を強行すれば選挙に負けると危惧して断念した。「医療を受けるのにお金の心配が要らず、貧富の差もない素晴らしい医療制度」として世界で初めてつくられたNHSをイギリス国民が強く支持していたからである。
ではあるが1990年に「NHSコミュニティケア法」(1991年4月施行)によりNHS改革に至った。これは強引な言い方をすれば「民間企業のマネジメント手法と競争原理の積極的導入」である。医療の世界に市場原理を導入し低医療政策が始まったといったらいいかもしれない。
結果はイギリス医療は改善するどころか「第三世界並みの医療」と表現されるくらい荒廃した。
イギリスの医療は税金によってまかなわれる公的医療がほとんどで、一部に自費診療の金持ち相手の医療機関がある。イギリス国民とイギリスに長期滞在する外国人は、NHS に加入登録し、医療、保健、疾病予防などのサービスを受ける。
医療は、地域ごとに家庭医が配置され、家庭医一人当たり、地域住民何人という枠があり、住民は、その地域の複数の家庭医のなかから、空き枠があるところを選んで登録する。好きな家庭医に登録できない事が多い、制限のあるシステムである。医療へのアクセスは、まず家庭医への登録という入口から、制限がかかっている。
何か病気怪我をした場合、まず家庭医に連絡し、受診の要否を相談し、受診するなら予約が必要だ。すぐに受診というわけではない。ここでも制限がかかっている。めでたく家庭医の前に座れたとして、そこから、上記のリンクに紹介した医師の体験談のような悲劇が始まる。
家庭医は、年間、登録住民数あたりの予算が決まっている。高額な医療も、頻回の受診もできない仕組みである。まず軽症者は家で寝ていろとか、解熱鎮痛剤などの安い薬で様子を見るように指示されるだけで、検査も何もない。そこで治らない、重症化する患者を、手間と金はかけず、時間をかけて、選別するのだ。
重症化する患者は、病院に紹介されるが、すぐに専門医に診てもらえる事がない。予約して待たされ、病院へ行ってさらに待たされ、そこでもより重症化する患者とそうでない患者を、検査もせず、金も手間もかけず、時間で選別する。救急病院に駆け込んでも、数時間ないし一晩待たされる事が通常だ。
ブレア政権になって 2000年に「われわれは政権について以来、公約通りNHS改革を重視して取り組んできた。医療費を拡大することなく、医療の質を高めると同時に効率化を図る仕組み、無駄や成果を評価する仕掛けも作った。しかし、保守政権からこれまであまりにもNHSに掛ける費用を抑制しすぎてきた。その結果、お金の使い方や制度を改革するだけでは、もはやNHSはよくならない。世界に誇るNHSをよくするために医療費を拡大する時が来た」とNHS改革の方向の発表をした。医療費の拡大規模は5年間で1.5倍である。そして2005 年、イギリスは低医療費政策の転換に踏み切ったが、その目標の一つに、救急病院の外来待ち時間を最大 16 時間以内にする、というものがある
(救急なのに、16時間以上待つ事が当たり前だって事ですな。)
そこで重症化してしまって初めて専門医が検査と治療をはじめる。しかし、その治療が進むのにも時間がかかる。がんの患者の手術が半年待ちなのだ。
イギリスの低医療費政策で、医師の士気は低下し、役所の窓口職員のように働かない医師が多勢となった。医療費増額政策で、医師数や医療施設を整備しても、医師数が増え、しかも医師が士気を取り戻すのに、何十年もかかる。五年、十年では戻らないと考えられる。
イギリスの家庭医制度で、注目すべき事項がある。家庭医への登録は、住民側が家庭医を選ぶのと同時に、家庭医も登録する住民を拒否できるようになっている。登録人数枠、予算とともに、患者と信頼関係が結べないという理由も可、なのである。
(ちなみに日本の医師に、患者を断る自由はほとんど無い)
参考資料
ジョン・バトラー(中西範幸訳):イギリスの医療改革. 患者・政策・政治. 勁草書房, 1994
松渓憲雄:イギリスの医療保障-その展開過程. 光生館, 1998
カナダ
1990年代に連邦政府による医療費削減が行われた。これらの結果、医療予算に連邦政府からの補助金の占める割合がオタワ州の場合、1980年の30.6%から1996年には21.5%に低下した。より豊かな州においては、さらに大幅に低下したといわれている。
公的病院の急性期病床は27%減少し、オンタリオ州だけで40を超える病院が閉鎖あるいは合併再編を命じられた。過剰とされていた医師も10年足らずの間に医師不足と見なされるようになった。理由は受診までの待機期間が延長したからである。世論調査でもかつてはカナダの医療制度に満足している者が多かったが、その割合は急速に減少した。例えば「制度の一部改革でよい」としていた者が56%(1988年)から1998年には20%と3分の1に激減した。
これらの事態に対し、1996年以降、医学部の定員を22%拡大したり、海外からの医師や看護師の移民受け入れを増やしたりなどの対策をとったが人手不足は解消しなかった。2003年に発表された調査でも回答者の半数以上が、医療従事者とベッド不足が医療問題の主要な課題と指摘している。人口の15%(約450万人)が家庭医を見つけるのに苦労しているという報告もある。またある全国調査では18%が抜本改革が必要と答え、ある程度抜本改革が必要と回答した者は59%にも上っている。
そうした現実に対してカナダ政府は2002年11月に2003年に81億カナダドルであった公的医療費を2006年には150億カナダドルに拡大する政策を打ち出している。
参考資料
Detsky AS, et al: Canada's health care system-reform delayed. N Engl J Med 349 : 804-810, 2003
Toronto Star紙: 2002年11月29日
日本は?
2004年に新研修制度がスタートした。その後地方医療の崩壊、大学医局の機能不全、人手不足が見受けられる。福島大野病院事件、奈良県妊婦たらい回し事件、今年の墨東病院妊婦たらい回し事件に象徴するような産科崩壊。勤務医の逃散、駆け込み開業等々。
医療従事者の士気は低下していると言わざるを得ない。
イギリスの医療崩壊は1990年のNHS改革にスタートし、2000年に医療費増と転換に至っている。
カナダは1990年代に医療費削減を開始し、2002年に医療費増に転換している。
日本の医療崩壊のスタートを2004年に新研修制度施行の時期とすると、他国の医療崩壊の歴史からすると次の方針転換の時期は2014年頃ではないかと予測している。
それまでは医療崩壊を進むのではというのが自分の最悪シナリオと考えている。