このブログは母が膵臓がんとわかった時に、治療の記録としてはじめました

 

遠く離れて暮らす母のために得た情報などもシェアできたら良いなと思っていましたが、闘病は約8ヶ月で終わってしまいました・・・

 


がんが進行して母の体調がどんどん悪くなって、一時はブログを書くのが辛い作業となり筆が(指だけど)止まってしまったことも

母が亡くなって気持ちの整理をするために、毎日泣きながら書いていました

 

「あの時ああすれば良かった」という思いが、たくさん下書きのまま

でも、やはりこれで良かったのだと自分を納得させています

 


母がわたし達の住む埼玉ではなく、関西で一人で治療することを希望したときに

「従姉妹に迷惑をかけないこと」という約束をしました

子どもとしては従姉妹のサポートありきでの治療はさせられない

 

でも、やはり一人では無理でした

福祉のサポートも受けられるように手続きはしたけれど、イザという時に頼りになるのは従姉妹をはじめご近所のお友達でした・・・

 


・従姉妹とそのご家族

・ご近所で唯一病気のことをご存じのお友達

・民生委員の方

・黄疸がでたときに「家に帰らずそのまま総合病院へいくように」ときつく仰ってくれたかかりつけ医

・大学病院へ一刻も早く転院できるように迅速な処置をしてくださった総合病院の医師

・「烏森神社」でご祈祷してお守りを母に送ってくれるなど親身に応援してくれた、わたしの友人

・がん治療が早く始められるように、むりくりねじ込んでくださった、母が絶大な信頼を寄せていた大学病院の教授

・手術してくださった教授のオペチーム

・手術後に担当してくださった母が大好きな主治医

・優秀な看護師さん達

・包括支援センターのNさん

・ケアマネージャーさん

・通所リハビリ施設の方達

・介護認定調査員のNさん

・処方された「イノラス」が重たくて待てず、コンビニから送ろうと思ったときにバス停からコンビニまで運んでくれた通りすがりの方

・電車の席を譲ってくれたギャルなお姉さん

・杖をついて急ぐ母が乗るまで電車の出発を待ってくれた車掌さん

・スーパーまで歩いているわたし達を車で拾ってくれたご近所さん

・「訪問診療するよ」と来て下った歯医者さん

 

・・・母の病気のことをお伝えしていたのはごく僅かでしたが、ここに挙げた以外にもわたしの知らないところでたくさんの方に助けて頂いていたと思います

ありがとうございました

 


・弟 さすが長男 ここぞという時に頼りになるのはやはり弟

・息子達 最期つらい面会をさせてしまったけれど・・・関西まできてくれて臨終後はテキパキと動いて母は喜んでいると思う

・義母 わたしが留守の間ずっとお店にでてくれて、時には夫の食事のお世話も・・・そのおかげで長期留守にすることができました

 


・そして夫

わたしが悔いを残さないように、できる限りのことをしてくれました

「予定より2日早く行け」と言ってくれなかったら、話ができないままのお別れになっていました・・・


家族に感謝の気持ちでいっぱいです

 

 

夫の気持ちに応えたくて

でも一人の時にこっそり泣いていました

(自営業で24時間一緒だからバレバレの時もあったと思う)

 

母の自宅のお片付けが終わった後、身体がだるくてやる気がおきず

でもブログは取り憑かれたように書いていました

 


メソメソするのは母の月命日の12日まで・・・

から

やっぱり29日の四十九日にしようかな(無宗教だけど笑)なんて思っていましたが

 

ブログを書き終えて、前に進もうという気持ちになりました

ブログを書いて良かった!

 


ずっとブログを読んでくださった方

アドバイスやお悔やみのコメントをくださったり

「いいね」をしてくださった方

「アメトピ」に何度か掲載していただけたのも嬉しかったです

 

ありがとうございました

 

 

そして母へ

たくさんの愛情をありがとう




母がたくさんのきれいな瓶にポトスを挿していたのを持って帰って来ました🌿

遺影は泣いちゃうので、母の家にずっと飾っていた孫との写真を飾って手をあわせています