フライパンを捨てよう | きよーびんぼー徒然日記❁娘と趣味に振り回される日々❁

きよーびんぼー徒然日記❁娘と趣味に振り回される日々❁

2012年1月生まれ&2014年9月生まれの姉妹ママ。
子育てや雑多な趣味について自由気ままに書き綴るユルユル日記です。
何事においても突出することの無い『器用貧乏』さを遺憾無く発揮する日々☆




おはようございます。
ひろぴろ*です。



今日は長文だし、面白みもない記事です。
お付き合いいただける方だけ・・・






人生には、まるで
神様が仕組んだのかな?と思わせるような
タイミングがあったりしませんか。


悪いことが起こっても
『理由があって
     このタイミングに起こったのかな?』
みたいな・・・。


私は、しばしば
そう感じるような出来事に遭遇します。




例えば・・・

独身時代、
私は一人暮らしをしていたのですが、
結婚する数ヶ月前に
空き巣に入られてしまいました。


そんな時、
まず助けに来てくれたのが
実家より近かった旦那。

色々助けてもらい、
結婚前にして、会う機会も少なかった
私の両親の中で、旦那の株は急上昇。

私の家族と旦那の距離が
これを機にグッと近くなりました。



幸い、たいした被害はなかったのですが、
その部屋にはもう居られない。
(居たくない)


結局、
結婚まで後少しだったこともあり、
新居が見つかるまでの間は
実家から通勤することになりました。


空き巣に入られたのは怖かったけど、
家族の旦那に対する信頼も得られたし、
高校卒業以来、一人暮らしをしていたので、
結婚前に家族で暮らす時間が持てて、
結果、良かったのかもしれないなぁ~と。






こういった事がちょこちょこあるのですが、
一番感じたのは花ちゃん出産前後。





私の母は
私が花ちゃんを出産する3年近く前から
闘病していて入退院を繰り返していました。



母は、孫が早く欲しいと言っていましたが、
私は自分の時間を楽しんでばかりで・・・。

母が病気をしてから考えるようになり、
本腰を入れてからも1年間は授からず・・・。



私がようやく妊娠した時には非常に喜んで、
会うたび大きくなっていくお腹をさすっては
お腹に話しかけてくれました。


しかし、
母の病気が悪くなり、
私が会社を退職する直前に
緊急入院してしまいました。


私が妊娠8ヶ月で退職した頃に
一時退院出来る事になったのですが、
1人で歩くのもままならないような状態。


弟も結婚して家を出ており、
実家には父1人しかいなかったので、
母が一時退院する時、父を手伝うために
私も出産の里帰りを前に一時帰省しました。


退職したら出産するまで
残り少ないマタニティライフ&自由時間を
楽しもうと思っていたけど、予定は崩れ・・・


でも。


この退職したタイミングだったからこそ、
私は長期帰省する事が出来たんだし。

だから母も父1人では無理だったところ
私が帰ることで一時退院出来たんだし。

今は同居してくれていますが
その時は別の家に住んでいた弟も
見舞いがてら、ちょこちょこ帰ってきては
一緒に夕飯を食べたりして、
こうして家族団欒の時間が持てたのも、
あのタイミングだったから。



そして、母がまた入院すると同時に
私も一旦大阪の自宅に戻り、
半月ほどして、出産に向けて里帰り。



里帰り前の、大阪での最後の検診で
赤ちゃんがおりてきてるから
なるべく安静にするように言われた私。

里帰り後、
出産する病院での初めての検診で、
そのまま『切迫早産』で入院することに。


10日後の12月7日から正産期なので、
それまでは24時間点滴で
トイレ以外は動かないように言われました。


私が出産する病院は総合病院。
母が入院しているのと同じところ。

しかも、
母は婦人科のお世話になっていたので、
この数年で産婦人科の医師や看護師さんに
顔が広く知れ渡っていて...

私が産科に入院しても、
母の人柄のおかげで、先生も看護師さんも
「〇〇さんの娘さんね~♪」と
フレンドリーにしてくれて
とても過ごしやすかったです。

本当は全然動いたらダメだったんだけど、
車椅子移動するなら、
別フロアの母の所に会いに行ってもいいよ、
と特別に許可を出してくれたりもしました。


切迫早産での入院は想定外だったけど...

里帰り前から安静を言い渡されていたので、
自宅安静なら会いに行けなかったところ、
逆に入院したことで
母のお見舞いにも毎日行けて良かったかも。



父も母の付き添いついでに
毎日、私にも会いに来てくれたし、
弟の勤めている病院だったので
仕事後に毎日顔を出してくれたし、
寂しさも感じずに過ごせました。




そして、5年前の12月7日。


早朝に先生がやって来て、
四六時中つけていた張りどめの点滴を外す。

こんな朝早くから?と思いつつも、
これでいつ産まれてもいいんだなぁと
感慨に耽っていたら・・・

点滴を外した先生は
私をそのまま婦人科に連れて行き・・・


「後少しで
   赤ちゃんに会わせてあげれたのにね」
と。


母が危篤状態になっていました。






そう。

今日は母の命日。





もう少しだったのに!!

どうして孫の顔を見ずに
逝ってしまったのか・・・!!!



でも。


ギリギリ私が入院中だったから、
私も母の臨終に立ち会うことが出来ました。


その日から退院だったので、
母のお通夜やお葬式にも
参列することが出来ました。



そして、何よりも・・・


母と大の仲良しだった私。

高校卒業後、一人暮らしをしてからも
しょっちゅう待ち合わせをしては
一緒にショッピングをしたり、
劇団四季を観に行ったり、
たまには歌舞伎やコンサートも行ったり...。

母が病気になってからは
毎日電話でお喋りもしていました。


母がこの世からいなくなったら
私も生きていけないんじゃないかとさえ
思ったこともあったけど。。。


でも、
母が亡くなり、1ヶ月せぬうちに出産。


初めての育児に必死で
悲しみに暮れている暇もありませんでした。

そうこうしているうちに
母を亡くした悲しみも乗り越えられました。


このタイミングじゃなきなきゃ
こんなに早く立ち直れなかったかも。


父も、産前産後の私の世話と初孫誕生で
悲しむ余裕もなかったはず。




赤ちゃんに会えなかった母を想うと
何故このタイミング?!と思いましたが、
残された家族にとっては
これが良かったのかも。。。




神様が取り計らったのか・・・。


もしくは。

最期の最期まで私の心配をしていた母が、
私が壊れてしまわないように
敢えて、このタイミングで逝ったのか・・・。

実際、このタイミングでなければ
私は母の死を長く引きずっていたでしょう。






自身の入院直前まで
カバンに詰めて用意してくれていた
私用の入院セット(出産用)を見ては、
こんなに楽しみにしていたのか...と
やりきれない気持ちになりもしましたが。


戸惑う事ばかりの初めての育児に
一番頼れるはずである母がいないことを
嘆いたことも多いですが。



それでも、
これが人生のタイミング。


赤ちゃんの顔を見せてあげれなかったけど、
孫が出来る喜びを
少しでも味合わせてあげられたし。


母を含めた家族にとって、
最良のタイミングであったと信じよう。






母が亡くなった あの日から5年。



母が嫁入り道具に買ってくれたフライパン。

使えなくなっても、
「せっかく用意してもらった物だから...」と
なかなか捨てられずに
ずっとしまいこんでいましたが、
これを機に捨てることにします。

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長い間、お供してくれてありがとう。


一緒に持たせてくれた圧力鍋と小鍋は
まだまだ現役で使わせてもらっています。


きっと今も空から見ているであろう母に
ありがとう。





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本日、窓から見えるは
雲一つない青空。











 
 
 
 

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