13本目(1月27日鑑賞)FP17
 
男目線で観てみた
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未来を花束にして
 
監督:サラ・ガヴロン/脚本:アビ・モーガン/音楽:アレクサンドル・デスプラ/美術:アリス・ノーミントン/衣裳:ジェーン・ペトリ
出演:キャリー・マリガン/ヘレナ・ボナム=カーター/アンヌ=マリー・ダフ/ナタリー・プレス/ブレンダン・グリーソン/ベン・ウィショー/フィンバー・リンチ/ジェフ・ベル/メリル・ストリープ
 
1912年、ロンドン。洗濯工場に勤めるモード(キャリー・マリガン)は配達の途中で女性参政権運動の抗議行動に巻き込まれる。運動に参加している同僚のバイオレット(アンヌ=マリー・ダフ)に団体の集会に誘われたモードは、愛する夫(ベン・ウィショー)と一人息子との幸せな暮らしに何の疑問を持つことがなかった心の中に、何かが芽生えていくのを感じた。
 
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女性監督が描く女性参政権運動のドラマ。男は座り心地の悪い映画なのかと腹をくくって鑑賞。いやぁ、この監督やるね。
 
このレビューは長くなる(笑)。その前に背景を軽く。劣悪な労働条件で働かされる女性は男性に付属する者という認識。当然参政権もない。早くからその訴えはあったが議論ばかりで一向に進展しない。行動派エメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)は市内各所で実力行使を号令する。それまで男も女も「最初からない」と意識もされなかった女性参政権。その運動が拡大していた時代。
 
エメリンとエミリー・ワイルディング・デイビソン(ナタリー・プレス)は実在。あえて架空の人物モードを主人公に添えたのが本作のツボ。
 
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そのモード。公聴会での発言まで女性参政権は「最初からない」と思っている。生まれた時からそうなのだから。運動に巻き込まれ、徐々に疑問を抱き、運動家と交わり、行動するたびに目覚めていく過程。それを追体験できる作りでわかりやすい。
 
「男の傲慢」だけ並べていたら、開映早々男性客を締め出してしまう。重要なのが二人の男性キャラ。彼女らを追い込む刑事(ブレンダン・グリーソン)は、彼女らの行動原理を知っている。でも、そういう時代。どうすることもできない彼は行動規範を「法の遵守」に置く。一方、モードの夫サニーはヘタレに描かれている。彼は妻を愛していないのか。否だと思う。が、彼もまた何もしてあげられない。強くない彼は行動規範を「社会通念」に置く。「最初からない」権利を理解するのはそれほど難しい。
 
*末尾にモードとサニーの関係についての考察を付記。興味のある方はどうぞ。
 
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キャリーにハズレなし。どんな役を演じても不満がない。ヘレナ・ボナム=カーターはハマリ役。メインキャストに名を連ねているメリル。トータルで5分程の出演ながら、ずっと出ていた印象。
 
目を引いたのはバイオレット役のアンヌ。隣で働いている知人が大きな潮流に飲み込まれるきっかけに。本作のキーだ。男性陣は前述二人が抜群の存在感。
 
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議論よりも行動を求めたエメリン。行動しなければ偏見を偏見と気づかせることはできない。が、人に危害を加えないという約束も、効果がなければ行き着く先はテロリズム。共感するかしないか、ではない。結末だけが時代の意思である、と判断するしかない。エンドテロップで彼女たちの戦いはまだ終わっていないことを知らされる。
 
女性の権利を叫ぶシュプレヒコール映画ではない。背景も描ききり、反対立場の人物も掘り下げた、俯瞰から問題を捉えた良作。女性だけでなく男性にも観ていただきたい。
 


hiroでした。
 
 
 
脚本9 映像8 音響7 配役8 音楽7
39/50
 
 
以下ネタバレ含みますのでご注意ください。
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*以下は説明がないので色々なセリフから推測。
モードは父を知らない。もしかしたら母親が工場長と関係を強要され、モードが生まれたのかもしれない。工場ではその体質は今も続いている。7歳から工場に勤めたモードも成長して工場長の手にかかる。その後サニーと結婚して若くして子をなす。サニーは工場長とのことを知っていたのではないか。「俺の子か?」という疑問もあったのではないか。それでも理解しようとしたサニーにモードへの愛を感じるのです。それでも強くないサニーは背負いきれなくなる。夫婦の問題を透かして、社会の女性に対する扱いを見せているのかな、と感じました。私見ですが。