10本目(1月21日鑑賞)FP14

 

「人間」を描いたスコセッシの名作誕生 

{4026E3D6-3D88-4613-A4AB-0C40502B7AA7}
沈黙 -サイレンス-
 
監督・脚本:マーティン・スコセッシ/脚本:ジェイ・コックス/原作:遠藤周作/音楽:キム・アレン・クルーゲ/キャスリン・クルーゲ
出演:アンドリュー・ガーフィールド/アダム・ドライヴァー/窪塚洋介/イッセー尾形/浅野忠信/笈田ヨシ/塚本晋也/加瀬亮/小松菜奈/青木崇高/片桐はいり/リーアム・ニーソン
 
17世紀、遠い日本で布教していた宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が棄教したとの知らせを受け、弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルべ(アダム・ドライヴァー)が真相を確かめに日本へ向かう。マカオで雇った案内人キチジロー(窪塚洋介)と共に二人がたどり着いた日本は鎖国のただ中で、キリシタンに対する弾圧が熾烈を極めていた。
 
image
 
凄い凄い、満足の2時間40分。
 
命をかけて未知の国へ布教に向かう。その情熱もモチベーションも信仰心のないhiroには理解できない。が、弾圧されても信仰を守ることは「自由」という言葉に置き換えるとわかりやすい。本作、全編を通して、信仰を守るか生きることを選ぶかの二択が突きつけられる。
 
ロドリゴ、ガルべ、フェレイラの三人の宣教師だけではない。村の隠れキリシタンの人々もそう。キーになるのがキチジロー。キリシタンでありながら、生きるために棄教し、懴悔してはまた裏切りを繰り返す。人間の弱さとしたたかさの象徴。その相反する両面は人間が人間らしいところである。
 
image
 
敵役の通詞にも意味がある。通詞も実はキリシタンで諸般の事情で棄教。「わしが捨てたものをお主は如何にして守ろうというのか」…ロドリゴに対する棄教の誘いは、自分が信じたものは何だったのかという問いかけ。
 
…これ、劇中の説明もなく、原作にある設定でもない。鑑賞後にパンフ掲載の浅野忠信インタビューで知ったこと。外国語が話せる時点でキリスト教との接点が推測できる。そこに浅野さん独自の肉付け。ロドリゴをいたぶりながら、僅かに愛情を感じさせる距離感が腑に落ちた。俳優ってすごい。
 
image
 
巨匠が描いた宣教師の受難。ロドリゴはイエスであり、キチジローはユダなのか。宗教的視野のないhiroは「宣教映画」だったらどうしようと戦々恐々。心配無用。信仰万歳でもなければ弾圧非難でもない。この時代、この地に生きた人々にあったであろう葛藤を静かに描く。
 
久々の2時間40分の長尺。説教じみてもないので重くもない。これが正、これが邪、という押し付けもない。生身の人間を突き詰める問いかけが、本作の骨子な気がした。長くは感じなかった。
 
image
 
長文になったのでキャストに触れる。スパイダーマンXスターウォーズなハリウッド・キャストに負けじと日本人キャストが素晴らしい。窪塚は作品の核と言ってよく、海外オファー増も期待できる出来。浅野さんは前述の通り。
 
欧州で活躍される笈田ヨシ、映画監督塚本晋也、海外作品に積極的な加瀬亮、新鋭小松菜奈らは体を張った熱演。長崎奉行イノウエを演じるイッセー尾形の怪演は物語を絞める。近年屈指の悪役らしい悪役ぶりで、こちらも海外オファーを期待。
 
image
 
日本人キャストが大半だがロケは台湾。セットにも日本人キャストやスタッフの意見を多く採用(パンフの監督インタビューより)。海外作品に見られるナンチャッテ日本がまったくなかったのが嬉しい。
 
遠藤周作の原作は世界中で読まれているのだそうだ。スコセッシが原作と出会い、映像化を企画してから30年近い年月を経た。信仰とは? 生きることとは? 壮大なテーマに挑んだスコセッシのマゾヒスティックな名作の誕生だ。
 

 
hiroでした。

 
 
脚本9 映像9 音響9 配役9 音楽9
45/50