33本目(4月28日鑑賞)

ただの感動話ではなかったです
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あの日の声を探して

監督・脚本:ミシェル・アザナヴィシウス/撮影:ギョーム・シフマン
出演:ベレニス・ベジョ/アネット・ベニング/マキシム・エメリヤノフ/アブドゥル・カリム・ママツイエフ/ズクラ・ドゥイシュビリ

1999年、ロシアは対テロ作戦の名目でチェチェンに軍を派遣した。世に言う第二次チェチェン戦争である。

…とある村でロシア兵士に両親が殺されるのを隠れ場所から見ていた9歳のハジ(アブドゥル・カリム・ママツイエフ)は、兵がいなくなったのを見届け、小さい弟を抱いて村を出る。生きながらえて家に戻った姉ライッサ(ズクラ・ドゥイシュベリ)は、二人を探す旅に出る。

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…難民キャンプにEUから派遣されたキャロル(ベレニス・ベジョ)は、ロシア兵の非人道的行為が世界に伝わらず焦りを感じていた。キャンプ責任者のヘレン(アネット・ベニング)も日々の煩雑な仕事に追われていた。キャロルは失語症の少年に出会って彼の面倒をみるようになり、ヘレンも弟を探しているという少女に出会う。

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…チェチェンから遠く離れた平和な街で暮らしていたコーリャ(マキシム・エメリヤノフ)は、麻薬所持がみつかり、軍に強制入隊させられる。隊内では虐待の日々が続き、彼の中で何かが壊れていく。

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両親を殺され言葉を失った少年と彼をサポートするフランス人女性の心温まる交流…かと思ってました。もっと深く、もっともっと壮絶な作品。ほんの15年前です、ロシアのチェチェン侵攻があったのは。日本で受け取れる情報量の少なさに愕然。上映終了後、明るくなってから席を立つまで、少し時間が必要でした。

第二次大戦中の失語症のユダヤ人とアメリカ兵の交流を描いた「山河遥かなり」(1947年・フレッド・ジンネマン監督)を原案に「アーティスト 」のアザナヴィシウス監督がチェチェン戦争を舞台に替えて作品化。「アーティスト」のヒロインで、監督のパートナーでもあるベジョが主演。

冒頭から「これが戦争」と言わんばかりの嫌~な展開。命が軽いのです。いきなりズシンときます。

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お察しのとおり、孤児になったハジと失語症の少年、ライッサと弟を探す少女は同一人物です。この大きな柱と並行して、無理やり兵士にさせられたコーリャの話が進行します。普通の青年が狂気に呑み込まれ変貌していく。やがて、人権も尊厳も無感覚となり、ひとつの家族、一人の少年の人生をも無茶苦茶にする悲劇を生む。コーリャの存在が「戦争」そのものであり、戦争ができるまでを見事に描いています。

上映開始からいつまでたってもハジやキャロルらと何ら接点をもたないコーリャ。彼もまた戦争の被害者として、対比として描かれているだけなのか。どう心構えればいいのかわからないまま終盤に突入します。そして最後にふたつの物語、5人の戦争体験がつながります。この二重構造が、失語症の少年とのハートウォーミングストーリーを骨太な人間ドラマにしているのだと思います。

「アーティスト」でハッとする演出を魅せたアザナヴィシウス監督。本作でもラストのそれがそうした趣向か。一瞬、茶化しているように思えた。よろしくないのでは、と。でも、コーリャの立ち位置を考えれば考えるほど、その演出効果が生きてくる。茶化しているどころか、チェチェンも、その後の中東も、あらゆる戦争に正面から向き合った覚悟さえ感じました。

ギターを背負っているだけで一度も音楽を奏でなかったコーリャと、不幸に見舞われながらも音楽が大好きなハジとの対比を指摘された映画時光 さんの記事は虚を突かれました。なるほど、ハジ、上手でしたからね、ダンス。

ベジョは美しい。「アーティスト」ではそれほど惹かれませんでしたが、本作、予告から惹かれて鑑賞を決意。美人見たさに映画館に足を運び、予想以上の映画体験をさせていただき、もう感謝に絶えません。

しつこいようですが、15年前の話なんですよね。ショックです。そして、思うんです。きっと今も世界のどこかで…。




hiroでした。




脚本9 映像8 音響7 配役8 他(音楽)8

40/50