twitterにアクセスしているばかりのわたしですが,ここで重篤なお知らせを申し上げます.

本日03日14時台,かねて病気療養中でございましたわたしの父が,肺炎のためお亡くなりになられました.
1940年01月29日の出生から79歳と187日の日々を歩まれました.

出生当時,日本は太平洋戦争で米国を敵視していました.終戦を迎えたのは5歳のときでしたので,戦中について彼は何も知りませんでした.
やがて日本は米国の指導によって平和的・民主的国家へと大きく変貌します.彼も東京都内の定時制高校に通いながら臨床検査技師として,地方公務の病院で長年勤めてきました.
1964年05月に婚姻をとり,埼玉県所沢市の一軒家からなる市営住宅に移り住みます.
1979年03月,わたしたち一家は埼玉県所沢市から同じ県内の現在地の完全な一軒家へ実家を移動してきました.
2018年03月以降,現在わたしは,現在地と同一の丁目にある近隣のアパートに移り住んでいますが,週末や季節休暇には元に居た実家にも住んでいます.
本年02月,彼は隣市にある病院に入院しました.
そして,そういうなかの本日,実家に居候中のわたしを含めた3名の家族と親戚3名が病院に急行,6名の親族たちに囲まれながら息を引き取りました.

わたし自身,その時まで緊迫と恐れに気を落としていましたが,彼の亡くなった後は 心が落ち着きました.

人間の肉体と生命は,かなり はかないものです.
それは,わたしにとっては1985年の日航機墜落事故と2001年の米国同時多発テロ,さらに2011年の東日本大震災で被られた津波によって知りました.
いずれもテレビジョン放送という電波とメディアをつうじて知ったものです.

ですから,みなさまも,いま一度,父と母,それと家族や親族の存在を再確認してください.

すべての人びとが,より健康で長寿な生活環境と社会のなかで生きてゆけることを願って,

そして,神のご加護のもと,より輝かしい未来を創造することを願って.

わけあって,こちらのブログもスタートしました.

みなさま,ぜひご覧くださいませ.これから随時投稿してまいります.

もちろん,このページでもあわせて投稿いたします.

 

「おひろさまのあれこれ撮影紀」

http://fanblogs.jp/anhoshin/