日付は変わってしまいましたが、昨日の日曜日は、とんでもない雨でしたねー
そして、そんな中でも、大きな駅伝は行われるのです。 ええ、選手ももちろん大変なんですが、それ以上に大変なのは、大会役員だとかボランティアだとか、いわゆる「運営」のみなさん たくさんのみなさんに支えられて、伝統の駅伝大会は今年も行われました。
実は、うちのチーム・・・
この大会の「郡市の部」という部門での出場は、今回で最後になるんですよね
この大会に限らず、選手起用の関係で問題が起きたり、そして、そのたびに『走る』という共通の趣味を持つ仲間同士が監督会議で意見が対立したり・・・
それになんと言っても、平成の市町村合併で、今はない地名なんですもの
そんなわけで、この2日目は、地元を通りすぎるということもあり、意地でも住民にいいところを見せてあげたいという気持ちもありました・・・・
せめて、地元を通っている間は・・・・
そんな黄色のユニフォームは
スタートした倉吉市内でも・・・・
湯梨浜町に入っても・・・・
そして、青谷に入っても・・・・
白バイの後ろを追いかけていたのです で・・・・できすぎだろ
ラジオからの速報が入るたびに、なんだか慌ただしいボクの待つ中継所
そしてそのうちに、中継所のボランティアとして働いていた、中学の時の同級生が、テレビカメラを持ったスタッフを連れてくる・・・
どうやら、うちのチームの選手を探してたみたいですね アップは早めにしていたもので。
倉吉市内を走っていた弟が、全体のトップでタスキを渡したこともあり、兄貴の方にもカメラが貼りついて、一挙手一投足がカメラに撮られる インタビューまで・・・・
なんだこれは・・・・ さも走れる選手のようではないか ヲレ、いわゆる「キロ4ランナー」なんですけど・・・
化けの皮がはがれるのは、走り出すまで。 くれぐれも走り出してからはマイペースで。
そう心に言い聞かせて、総合4番手でやってきた、前の走者からタスキをもらいます。
最初の500メートルは住宅街を走る下り坂。 ボクの住むところとは谷が違うとはいえ、同じ中学校の区域 チーム名で応援していた沿道のみなさんも、「あれ?? ◎◎さんだがー
」 個人名で応援される
やっぱり名前を呼んでもらえてさらには応援してもらえるって、嬉しいものですね。 アイドルの気持ちもちょっとだけわかります。
そして、あのラブホテルやらゴルフ場やらある、強烈なアップダウンに向かっていくのです。 正直、最初の1500メートル続く登りはしんどかったです。 降りしきる雨が、道路を流れてきて川のようになってましたから。
「抜かれるのは計算のうち」
ここで意地になってくらいつこうものなら、最後まで持たないのは目に見えてますから 遅いペースに、そして順位を落とすことに、後ろで伴走しながら大声で檄をとばしてくれている監督車のみなさんにも、車を止めれるスポットがあるたびに車を止めて応援してくれる、チームメイトにも、申し訳ないとも思いました
吉岡温泉の交差点からは、狭い道になるために、監督車の伴走は離れるルール 湖山池沿いを走る残りの5kmは、孤独な戦いが続くのです・・・・
ただ、ボクは見つけてしまったのです。 コース場にいた、あるアイドルの存在を 向こうは気づいてなかったみたいに見えたので、もしかしたら別の用事だったのかも知れないのですが、一番さびしいポイントだっただけに、嬉しかったですよ
いてくれて本当にありがとう
終盤になって、それでも少しはペースを上げようと、アスファルトを蹴る足に力を入れてみるのですが、ちょっとでも違う動きをすると、すぐに両足ともふくらはぎが肉離れになりそうなほど、足がしびれる・・・
最後の最後に、郡市のチームに抜かれてしまい、なんとかもう一度抜き返そうにも足がいうこと聞かず
中継地点に、日本海新聞の女性記者がカメラを構えて待っていたのも見えていたのですが、ラストスパートも、タスキを渡す時のポーズもセリフも考えられないくらい力を使い果たし、なんとか完走
区間順位はボロボロでしたが、このコンディションできちんと「キロ4」をキープできたのは、目標通り。 来年はちゃんと休みをとって、1日目の区間を狙います。 当然、練習も積んで
会社のみなさん、無理言って出場させてくれて、ありがとうございました。
チームのみなさん、今まで走った駅伝の中で、一番苦しいものでもありましたが、一番思い出に残るものでもありました。 また来年も、今度は一般の部でタスキをつなぎましょう。
ちょっとでも応援してくれたみなさん、気にかけていただいたみなさん、決してカッコいいタイムでも順位でもありませんでしたが、力の限り走ることだけはできました。 ありがとうございました。