以前、「叱る、よりも怒る、の方が私は好き」という話を書きました。
私の個人的で直感的な意見で書きましたが、
著名な方で同じことを書かれている方が!
小児科医で育児書もたくさん出版されている毛利子来さん(先生)が、
コラムで語っていました。
実はお名前や著作名は有名なので存じ上げていたものの、
読んだことはなかった私…
激しく共感して、心強かったので、いつか拝読しようと思います。
私が以前書いたのは
「叱る、って、何か正当化されている感が嫌」
というものでした。
怒っちゃった、と反省するお母さんはいても、
叱っちゃった、と反省するお母さんはあまりいないと思います。
しつけの名の下、親の理屈で何でもかんでもコントロールしようとしたり、
ドヤ顔で叱ったりするのとか、勘弁してよ~、
と私のなかの子ども脳が思います。
毛利先生のコラムでは、シンプルに
「叱る、って胡散臭いじゃない」と書いてありました。
それだー!
叱るよりも怒るほうがいい、という、私個人の感覚と重なる話でした。
怒られた後って、自分が悪かった、と感じるのが100%ではなくて、
相手の機嫌が悪かった、とか、タイミングが悪かったかな とか
自分以外の理由も考えませんか?
叱る派の意見では、それが良くない、
悪かった点がぼやける、という考え方もあるようですが
それはそれで、こどもの逃げ道になっていい気がします。
この間は平気だったのに、今日は何で怒られたのかな、と考えたり
今日は機嫌が悪いから、大人しく従おう、と思ったり
相手の気持ちを考えることって、大事な経験だと思います。
例えば、イライラした顔と口調で「お母さんは悲しいなあ」って言っても、
怒ってるやん!と私がこどもなら思います。
ちぐはぐになるぐらいなら、「お母さんは怒ってるよ」と言ったほうが、
よっぽどいいのでは、と思うんです。
一般人の所感なので、正しいとか正しくないとかは分かりませんが…
結果、ピヨちゃんもフグみたいな顔で
「怒ってるよ。プンプン」
と私に言ってきますが、それも可愛らしく感じます
私も素直に「ごめんごめん」と言えます
ピヨちゃんには、理屈だけではなくて、心をもって判断できる子に
育って欲しいな~と願っています。
遅刻はだめだけど、通り道で誰か助けが必要な人がいたなら、
遅刻の責任を背負ってでも助けようと思える、
例えばそういう子に育って欲しいです。
ルールはルールだけど、最終的に大事なのは、
その時の状況と、良心に従った判断。
私は少し怒りっぽいかもしれないけれど、
ピヨちゃんが喜怒哀楽を素直に表現しているのを見ると、ホッとします。
笑って、泣いて、怒って、喜んで、
そうやって育って欲しい。
だから、私もそんな風に接していきたいなーと、思ったりしています
もう少し寛大になれるといいかなあ
お母さん、お互い、自分にも寛大にいきましょうね
たまには怒ったっていいじゃない、と自分に言いながら