青春のカップ1


今日は母の話をさせてください。


もうすぐ母の誕生日です。


今年は妹の出産もあり、ご飯で出かけたり、プチ旅行に連れて行ってあげるのは難しいなって思ってて、品物を贈ることにしました。


けれど、これって本来めちゃくちゃハードル高くって、


なぜならうちの母は思ったことを悪気なく素直にいう人だからです。


例えば誕生日プレゼントを送っても、


「ありがとう!でも、これいらんわ」って言う笑


気に入ったもの以外は極力省き、割とスッキリしているタイプ。

私はこのタイプが苦手でした笑


相手の気持ちも考えず、いらないものをいらないと言う。しかもその場で本人に返す。笑


それを選ぶためのお金も時間も無駄にしたような気持ちになって、やるせなくなることが多いです。


なので母の性格はほんとに苦手笑


まして、品物を贈るなんて、もう何年もしてませんでした。


そんな私が今年は品物にしようと決めたのは、偶然このカップを見つけたから。


ウェッジウッドのこのカップは長年我が家にいて、いつのまにかいなくなってたもの。


これを使っている母の姿はあまり記憶にないけれど、ずっと置いてあった記憶があります。


田舎育ちでシングルマザーだったおばあちゃん の元、育った5人兄妹の末っ子。早くに一人暮らしを始めた母は贅沢と言うものを知りませんでした。


母は私が4歳の時、妹が生まれたばかりの時には子供を3人持つシングルマザーになり(当時33歳くらい)


看護師として必死に働いたと思います。


当時は片親がまだ珍しく、職場の理解も薄かった時代です。


母がよく話す内容に、3人目は熱を出しても、もう仕事を休めなかった。という話があって、当時の職場での肩身の狭さがうかがえます。


そんな中でも精一杯子供を愛し、チャリで爆走する母を覚えています。


礼儀にうるさく、上下関係に厳しい母ですが、天然であっけらかんと

していて、情緒的な話が通用しません。笑

(繊細な私は何度も心が折れた記憶。笑)


そんな豪快とも言える母が初めて贅沢を知ったのはシングルマザーになったばかりの頃。乳飲子がいたこともあり、少しだけゆとりがあった時代です。


新しい友達ができ、その頃いろんなことを教えてもらったそうです。


世の中にはこんなおしゃれなカップでコーヒーを出す店がある。


マスターが人を見てカップを選んでくれるのを待つわくわく。


夜飲みに行くこと。初めての夜遊び


お金を使う遊び方。


そのどれもが、ありがたいことに私は10代で得た経験ですが母が体験したのは30代。

それは言うなれば、青春の体験。


そして、その後は必死に子供を育てる時代がやってきます。


そんな怒涛のようにすぎていく中でずっと残っていたカップ。


子供たちに次々と食器が割られていく中、

母がこのカップを大切にしていたのは一目瞭然でした。


続く