「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

廣丸豪(ひろまる・ごう)と言います。日々の読書生活や、気に入った本の感想などを気ままに綴ります。

ネトウヨ

 

コミュニケーション不全に陥った父と息子。息子は晩年、社会的弱者に自己責任論をかざし、嫌韓嫌中ワードを使うようになった父に失望、落胆し、ネット右翼と決めつけて心を閉ざします。

対話の回復を拒んだまま、末期がんの父を看取ってしまった息子である著者の、ネトウヨ化したと決めつけた父に対する理解と反省の物語です。

 

ネトウヨが発する嫌韓嫌中サイトを閲覧し、その手の発言を身内に対して行うようになった父をそれだけでネトウヨ扱いする著者に「偏向してんのはお前の方なんだよ」と非常に腹立たしい気持ちで読み進めました。

父の死後、家族や亡父の友人などにもインタビューを行い、彼の行為や言動に真摯に検証した結果、彼がネトウヨ化したと思っていたのは著者だけだったというのが結論。残念ながら父の死後になってはしまったが、家族のきずなを修復することができてよかったし、自分の方にも少なからずバイアスがかかっていたということを素直に反省することができた著者に共感を持った。

 

それにしても家族とのコミュニケーションは難しい。私自身友人は多い方だし、仕事上でも評判が良い人間と自負しているが、両親や妻、子供との関係ということになると全くもってうまくやれている自信がなく、非常に身につまされました。

人にはそれぞれ育った時代の記憶、育った環境の影響というものがある。

昭和30年生まれの私は、革新がナウくて保守はダサいという時代感覚の中で多感な思春期を過ごしました。当時の中学校の教育はかなり左寄りに変更したもので、社会科の授業は、資本主義は貧富の差を生み、公害を起こす、非武装中立は普遍的に正しい概念なので疑ってはいけない、日本国憲法は神聖にして犯すべからずと教えられ、それに反する考え方は基本的に不正解とされました。

私は一時期はその観念的、非科学的で排他的な思想にどっぷり染まってしまい、社会人となってそれが大ウソだったことに気づかされ、その反動・反省から、保守よりのスタンスを取っています。自称正義の味方のリベラル的文化人は概して大嫌いです。

 

読書メーターの書評を読んでいても、著者の趣旨を理解せず、多様性も認めず、それでもいけないことはいけないんだみたいなことを言う人がかなり見られます。

日本人ってとにかく同調圧力が強いんで、難しいですよね。同じ意見が7割を超えてくると、世論も、マスコミも、違う意見を圧倒的に非難し始め、訳の分からない陰謀説まで出始める。原発事故、東京オリンピック、コロナとワクチン、これは日本人に限らずかもしれませんが、とても論理的に話し合えるような雰囲気ではなくなってしまう。

 

私の妻は基本的にノンポリなのですが、安倍氏を射殺したテロリストを「あの人はいいことをした」というくらいの「安倍のせいズム」信者で、話したところで納得などさせられるはずもない、険悪になるだけなのでその手の話題は耳に入っても聞こえないふりをすることにしています。

 

著者も、生前対話ができなかったことを悔いていますが、話をしていたら、より悪い結果になっていたかもしれません。

個人の思想はその育った時代、環境に大きく左右されるもの、身近な存在同士だからこそ、違った部分にはあまり踏み込まず、個々人の考え方を尊重することが良いのではと、いろいろなことを考えさせられる一冊でした。