千一夜物語 その1


千一夜物語 その1 ガラン版まで


◎「千一夜物語」については
 「アラビアンナイト」(西尾哲夫、NHK出版)
 「世界史の中のアラビアンナイト」(西尾哲夫、NHKブックス)
 「アラビアンナイト」(西尾哲夫、岩波新書)
 「アラビアン・ナイトの世界」(前嶋信次、平凡社ライブラリー)
などによります



○千一夜物語の作者は不明である
 天才的なストーリーテラーの作品だろうか?


○千一夜物語には決定的な「定本」がない



9世紀ごろ、千一夜物語の原型が成立した


千一夜物語の原型にはもともと千一夜分の話はなかった


○千一夜物語の原型には「アラジンと魔法のランプの物語」も「アリ・ババと40人の盗賊の物語」も「船乗りシンドバードの物語」も入っていなかった


アラジンは中国人である


○千一夜物語は18世紀フランスでガランの翻訳により再発見された


○「千一」とは「非常にたくさん」「終わりがない」という意味であるとの説があり、それによると、千一夜物語はネバーエンディングストーリーとなる



9世紀ごろ、千一夜物語の原型が成立した


●現存する世界最古の千一夜物語の写本(断片)は9世紀のもので、冒頭部分には「キターブ・フィーヒ・ハディース・アルフ・ライラ」(千夜の物語を含む本)と題名が記されている


○アッバース朝時代 9世紀には「アルフ・ライラ(千の夜)」と呼ばれる物語集が存在した


・879年、アフマド・イブン・マフフーズという公証人が千一夜物語の冒頭部が書かれた紙を所有していた


○バグダードの年代記作者マスウーディー(896~956)は「ペルシア語、インドのことば、ギリシア語から翻訳されてわれわれのもとに伝えられた物語集がある。1例をあげれば「ハザール・アフサーネ(千の物語)」がある。これをアラビア語に翻訳したものが「アルフ・フラーファ(千の愉快な物語)」である。この本は一般的には「アルフ・ライラ(千の夜)」と呼ばれており、国王、宰相、宰相の娘、奴隷の話である。…同じような物語集としてシンドバードの書というものもある。」と記している


○バグダードの書店主イブン・アンナディームが作った書籍目録に、「ハザール・アフサーネ(千の物語)」という書籍名がある


●千一夜物語の起源
・インド・ペルシア起源説とアラブ起源説とがあるようである


アッバース朝初期にアラビア語に訳されたときは千一夜分の話はなかったが、のちに書写した人たちが、ほかからの話をつけ加えたり、創作を入れたりして千一夜分の話になった



●12世紀なかばのゲニザ文書の記録


・12世紀にカイロのゲニザ(シナゴーグの文書保存庫)で発見された文書の中に貸本の記録があり、そこに「アルフ・ライラ・ワ・ライラ(千一夜)」という書名の本が貸し出されていたという記録が記されている
 12世紀のカイロでは「千夜」ではなく「千一夜」という題名の書物が読まれていた


○16世紀前半、マンチェスター写本がつくられる
 マンチェスター写本はエジプトで作られたようで、255夜からはじまっている


○17世紀、マイエ写本がつくられる
 マイエ写本は17世紀後半に筆写されたと思われ、1702年にエジプトからもたらされた
 マイエ写本は、905夜までが記されている



ガラン写本


・1701年、フランス人東洋学者のアントワーヌ・ガランが入手した3巻本の「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」写本は、現存するまとまった形の最古のもので、15世紀ころシリアで成立したと思われる


 フランス人学者マルガレート・シロンバルの研究により、
 ガラン写本はキリスト教徒とムスリムの双方が伝承してきた
 シリアでは、公的な図書館ではなく、個人の家に所蔵され伝承されていた時期があることがわかっている


ガラン写本第3巻は282夜の途中で終わっていて、結末部分が含まれていない


●ガランは、「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」より前、1690年代の末に、「シンドバード航海記」のアラビア語写本をフランス語に翻訳した
 「シンドバード航海記」の物語はシリアで成立したとされるが、「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」とは別系統の物語である


1704年、ガランは3巻本の「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」写本をフランス語に翻訳して出版した
 題名は「Les mille et une nuits」(千一夜)でガラン版と呼ばれる


 ガランは「シンドバード航海記」は「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」の物語集の一部であると思い込み、「シンドバード航海記」をガラン版のなかに組み込んでしまった


●ガラン写本は282夜分しかなかったので、ガラン版の7巻の時点で3巻本の写本をすべて訳し終わってしまった
 ガランは残りの700夜あまりの物語を記した写本があると信じていたらしく、ガラン写本の4巻以降の写本をさがしたが見つけることができなかった


 書店主は、ガランが別の写本から訳した「狂恋の奴隷ガーニム・イブン・アイユーブの物語」と、東洋学者ベティ・ド・ラ・クロワがオスマン・トルコ語の写本から訳して「千一日物語」として出版するはずだった話をまとめ、1709年、ガラン版の第8巻として出版してしまった


 ガランは、ハンナ・ディヤーブという人物から、写本に入っていない物語をいろいろ聞き取り、その話の一部は翻訳の続きに加えられ、ガラン版の第9巻~第12巻となった


 このとき、聞き取った話の中に「アラジンと魔法のランプの物語」や「アリ・ババと40人の盗賊の物語」があった
 「アラジン」に関しては、ディヤーブからアラビア語の原稿をもらって、フランス語に翻訳したらしいが、この原稿は行方不明となっている


 ガラン版の第9巻以降に入っている物語は、アラビア語の写本が確認されていないものが多い


●ガラン版12巻でも千一夜分の物語にはならなかった
 現在の「千一夜物語」が千一夜分そろっているのは、後に次々と物語が付け加えられていったからである


●1705年(1706年?)には、ガラン版の英語訳が出版された


 このとき「アラビアンナイツ・エンターテインメンツ(Arabian Nights Entertainments)」というタイトルが付けられたので、「千一夜物語」は「アラビアンナイト」とも呼ばれるようになった


 「千一夜物語」はエンターテインメントの宝庫である



●「アラジンと魔法のランプの物語


・「アラビアン・ナイト別巻」(前嶋信次 訳、平凡社)には
シナの数多い町まちのひとつに、ひとりの貧しい仕立屋が住んでおりました。名をアラーッ・ディーンという息子がおりましたが、この子は幼いときからぐうたらの役立たずものでした。…」とあります


・「千一夜物語(九)」(豊島与志雄・渡辺一夫・佐藤正彰・岡部正孝 訳、岩波文庫)には
「時の古えと時代時世の過ぎし世に、シナの町々のなかのひとつの町に、ただ今その町の名を思い出しませんが、仕立屋を業として、身分貧しい一人の男がおりました。そしてその男には、アラジンという名前の一人の息子がありましたが、これは教育の点では全然人並みでなく、幼い頃から早くも、どうも困った悪戯小僧らしい模様の児でございました。…」とあります


●アラジンは、アニメのイメージに関係なく、中国人の少年である