イスラーム 18 正統カリフ時代 1


正統カリフ


 ムハンマドの死後に、ハリーファ(後継者または代理人)としてイスラーム共同体(ウンマ)の長となった4人で、ムスリムによって「正しい指導者」と認められた


・初代 アブー・バクル(573頃-634)
・2代 ウマル・イブン・ハッターブ(592-644)
・3代 ウスマーン・イブン・アッファーン(?-656)
・4代 アリー・イブン・アビー・ターリブ(?-661)


○ムハンマドは632年6月8日(ヒジュラ暦11年ラビーウ・アウワル(第3月)13日)に亡くなった


 ムハンマドは生前後継者を指名していなかった


 ムハンマドはマディーナの中心部に住居兼礼拝所を構えていた
 その周辺にマッカからの移住者が住んでいた


アリー
 ムハンマドには4人の娘がいたが、ムハンマドが亡くなった時点で、うち3人はすでに死去し、末娘のファーティマだけが生きていた


 ファーティマの夫はアリーという人物で、ムハンマドの従兄弟であり、ムハンマドに養子同様に育てられていた
 アリーがムハンマドのあとを継ぐ指導者であろうと考えた人もいたが、30代で指導者としてはまだ若かった


初代正統カリフ アブー・バクル


 ムハンマドが亡くなったその日のうちに、マディーナの人々が集まっていた家に、移住者の長老たちが押しかけ、長老のアブー・バクル(60歳をすぎていた)にたいする「忠誠の誓い(バイア)」を行った
 翌日、メディナのムスリム全員によるバイアが行われ、アブー・バクルが「アッラーの使徒の代理(ハリーファ・ラスール・アッラーフ)」に就任することが正式に決まった
 アブー・バクルがムスリムの指導者として初代正統カリフ(ハリーファ)に選ばれた


 その後、イスラーム共同体の指導者の地位を引き継いだ者を、カリフと呼ぶ


リッダ(背教)戦争


・ムハンマドの死とともに、かつてムハンマドに服従していた各地のアラブ諸部族が離反した


 盟約はムハンマド個人との間に結ばれたのだから、ムハンマドの死によって彼との盟約は解消されたと考え、ザカート(喜捨税)やウシュル(10分の1税)の支払いをやめた
 ナジュド高原南部のヤマーマ地方では、ハニーファ族のムサイリマが預言者と称し(ムスリム側は「偽預言者」と呼ぶ)、離反者たちを集めて反ムスリムの運動を展開した
 ムスリム側はこれを背教(リッダ)として討伐しようとした(リッダ戦争)
 カリフ アブー・バクルは、633年、将軍ハーリド・イブン・アルワリードを討伐軍の司令官に任命した
 ハーリドはムサイリマを殺害し、多数の離反者を討伐した


○大征服のはじまり


 ハーリドは633年夏、イラクへと転戦した


 アラブ軍は、肥沃なイラク平野の、穀物やナツメヤシ、樹木の緑に目を見張り、この地方をサワード(黒い土地)と名づけた
 濃い緑色を「黒」とみなしていた


 ハーリドはヒーラおよびユーフラテス川下流域の諸都市を征服した
 634年、アブー・バクルの指示でシリア地方に転戦した
 後任の司令官にはサード・ブン・アビー・ワッカースが任命された