blog更新だいぶ間隔が空いてしまいました
もうあの震災から一ヶ月近く経つのですね
被災していた頃も何かと忙しかったですが、日常生活に殆ど戻りつつある今は仕事で忙しい日々を過ごしております
昼間はカップ麺1個とか、あまりろくな食事をとっていないのですが何故か体調の方はすこぶる元気です
でも精神的にはそうでもないかな?
被災の影響というよりも、仕事の内容で少し疲れている状況ですww(^▽^;)
私は当日、福井県にいたので震度6強の揺れは体験していません
ただみんなに聞いてみると、1回目の宮城県沖の地震も大きかったのですが、3時過ぎに発生した茨城県沖地震の方が直下型だった分、体感も被害も大きかったようです
いずれの地震も机の上にある物は全て落ち、机は引き出しが勝手に開きてその重みで斜めに倒れたそうです
これからは地震の復興も大変ですが、今は福島第一原子力発電所(通称1F)の動向が気になります
実は今回の震災の時、私の会社の人で何名かは1F-5号機の定検を行っていました
一人は出張で行っていてその時は事務所にいたらしいのですが、地震で事務所は半壊したそうです
家の鍵をや着替えなど、全ての荷物は宿に置いたままだけど取りに帰ることも出来ず、また電車も走っていないので彼はしばらく帰ってくることが出来ませんでした
しかし1週間ほど避難所暮らしをして、宿が一緒だった人の車に何人かで相乗りをして、新潟~東京経由で帰ってくることが出来ました
ケガもなく無事に帰ってくることが出来て本当によかったです
またその他の方は、自分の家が1Fのすぐ近くの双葉町や浪江町なので帰ることも出来ないため、今もなおそれぞれの実家や親戚の家に身を寄せている状況です
しばらくは家にも帰ることもできないでしょうし、今後は恐らく福島で仕事をすることは出来ないでしょうから、今は茨城に転勤する為にいろいろと準備をしている状況です
それぞれ家族の方はみんな無事だったのですが、本当に大変なのは生活が一変するこれからなのでしょうね
また、私とよく電話で話をする東京の事務所の部長の実家は、宮城県石巻市にありました
実家の目の前が海であり、そこは津波により全くの更地になってしまいご近所も全てなくなってしまったそうです
更に地盤沈下もあり、満潮時には海面下になりもう住めなくなってしまった状況と伺いました
もっと残念なのは、そこに住んでいた部長の妹さんは2km離れたところに非難したらしいのですが、津波によりその建物が崩れてしまい、命を落とされてしまったそうです
数日後、探していた旦那さんが見つけて出し運び出し、部長は遺体収容所となった青果市場で妹さんと対面することが出来たそうです
口元をきりりと締めた美しい顔だったと伺いました
その後電話で話したとき
「葬儀は何とか済ませてきたけど実家もなくなっちゃったし、何だかこれからやる気がなくなっちゃたよ・・」
とおっしゃっていました。
部長は定年を過ぎている年齢で、どうやら今年ぐらいには引退でもしてゆっくりしようかな、と相談もしていたようで
「もう相談する人がいなくなっちゃったよ」
と、苦笑い混じりで話された時、なんて答えていいのか、言葉が出てこなかったです
普段は部長に対してあまり敬語も使わず、何でも話し合えるぐらい仲がいいと思っていたのですが、この時ばかりは何て言っていいのか分かりませんでした
でもそれからは少し時間が経ったので、今では以前と変わらず普段どおりに接しています
石巻市の先には女川町という街があります
私は女川原発には何度か行ったことがありますが、そこに行った時に泊まる宿は全て女川漁港の近くにありました
その街も津波で壊滅的な被害があり、ニュースで女川の惨事を見て、宿の女将さんたちは無事なのか、又別の宿の親父さんはちゃんと避難できたのか、とても気になりました
地震と原発
今だかつて経験のない二つの大きな災害が起こりました
しかし何とかこの危機的状況を打破し、未来ある子ども達にとって今まで以上に明るい街、住みやすくてよい国になるように、私達大人は頑張らないといけません
大震災は辛く悲しい出来事しか残していません
それにより、心が壊れ心が闇の中に陥っている人はたくさんいると思いますので、決して安易なことは言えませんが
その中でも何か希望ある未来を見つけ出し、一日一日を精一杯、大切に過ごしていくことが必要だと感じます
その為には、私も出来る限りことをしていきたいと思います
早く全ての物事が好転しますように・・