自分。猫も。
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自分を守る弱さ

昨日わかった


人は自分自身を守るために精神的な病に自ら罹るのだと


目の前にある問題があまりに大きく変えられないものであると感じ、自分の無力さを感じ、そこから逃げることもできない時に


自分はそこに居るけれども

自分自身を消すことができる唯一の方法

それしか自分を守る方法がない

そう考えた時に

そのようになれるのだと思った


自分は

まだそこまでは行かなかった

しかしながら危ういと思った


自分は

気づけたので

自分がどう考えてどう動くのか

自分次第

そう思った



どうすれば

人を変えることはできない

自分を変えることはできる

救えるだろうか

壊れずに。

弱さ

自分の中で

認められない、納得できない
受け入れられない
憎い、苦しい、ツライ、呪いたい、、、
     

ずっとそう思っていたことが




それをはるかに超える恐怖を想像した時に









どうでもよくなった。




しかし怖れは続く。





コレも私の弱さだろうか。

ショウ君、ありがとう。

去年の今日、愛猫のショウ君が亡くなった。



私がある決意をした3日後のことだった。





その時に書いた日記を読み返してみた。


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2014年9月5日(金)14年間ずっと一緒だった猫のショウ君が亡くなった。
腎不全だったので、それなりに覚悟はしていた。(つもりだった。)

9月3日、調子が悪かった為、仕事から帰ったらすぐに病院へ連れて行った。
血液検査の結果、腎臓の数値が良くないものの今まで入院した時に比べれば数値はそれほど悪くないとの事であった。

夜からの入院になると動物病院ではずっと監視する事もできない為、皮下点滴と注射を行い一度連れて帰って次の日の朝からの入院がいいのではないか、と勧められた為そのようにした。
3日の晩は朝までずっと一緒に居たが、しんどそうであった。
4日は仕事が休みだった為、朝になってすぐに病院へ連れて行った。

入院する事は決まっていた為、診察の順番がきてショウ君を預けた。
今回の入院で(去年の夏から)4回目だったが、数値や症状からも1泊程度の静脈点滴治療で連れて帰る事ができると思っていた。

獣医さんに
「明日、迎えに来たいと思っています。」と伝え「わかりました。」
という会話を交わしていた。


その日の夕方
「うーん、ショウ君の面会に行こうかな・・?でも、明日迎えに行くからな。」と、面会には行かなかった。

次の日の仕事は半日で帰らせてもらおうと思っていた。
しかし、どうしても抜けられない仕事があった。それは15時半から16時頃までの予定であった為「終わったら帰らせてもらおう、そして早くショウ君を迎えに行こう。」と思っていた。
が、翌日にイベントがありその準備をしなければならなかった。
仕方がないのでそれを終わらせて「定時ですぐに帰ろう。そしてショウ君を迎えに行こう。」と考えていた。

仕事が終わったと同時に(17時29分)私の携帯が鳴った。
動物病院からだった。
「ショウちゃんが夕方、急変して息を引き取りました。」と言っていた。
夕方頃、突然多量の嘔吐があり、その後ケアに入った時には亡くなっていたとの事であった。




息ができなくなった。意味が分からなかった。
「今から病院へ来られますか?」と聞かれた為「すぐに行きます。」と答え、動物病院へ向かった。
私は車の中で泣き叫んだ。信じられなかった。信じたくなかった。
後悔で狂いそうになった。

病院に着いて、亡くなっているショウ君に会った。
手・足はすでに固まっていた。
そして、何より死に顔が苦しそうに固まっていた。
目は開いて口も少し開いた状態であった。


「ごめん、ショウ君。ひとりで苦しい思いをさせて、ひとりで死なせてしまった。」



何てひどい事をしてしまったのだろうと思った。
獣医さんは「16時頃、多量に嘔吐して、次のケア(ごはんのお世話)に入った際には亡くなっていました。おそらく、16時から18時頃に亡くなったのだと思います。」と言っていた。

看護助手さんは「いや、17時から18時の間だと思います。」と言っていた。
でも、私の携帯に連絡が入ったのは17時29分であり、その時にはすでに亡くなっていた。
であるならば、16時から17時20分の間ではないかと思った。

4日の夕方、面会に行ってショウ君を撫でて声を掛けられていたら、
5日の仕事を半日で無理やり帰って病院へ行ってショウ君に会っていたら、
5日の16時頃、仕事なんて他の人に任せて病院へ行っていたら、
ショウ君はひとりで苦しみながら亡くなることはなかったのかもしれない。


苦しいのに大嫌いな病院に連れて行かれ、点滴を繋がれて狭いゲージでひとりでどんな思いだったのか。
何で、あの時、、、、、、、、、


絶対、すぐに良くなる。
静脈点滴の治療は、ショウ君にとって苦痛だろうけれど、少し我慢すれば絶対に良くなるから!と考えていた。

絶対、って
何を私は・・・・・


9月3日、生きているショウ君と一緒に寝て
9月5日、亡くなってしまったショウ君と一緒に寝た。

わずか2日後に、変わり果てた姿になってしまうなんて少しも考えていなかった。



9月6日、どうしても行かなければならない仕事だった。
エアコンの温度を低くして、(動物病院から勧められた)保冷剤をショウ君の入った箱に入れて仕事に行った。
泣き腫らした目はほとんど開かない状態であった。

半日で家に帰り、14時から葬儀を行った。
ショウ君が亡くなった事は、昔、ショウ君と一緒に暮らしていた母や姉には言わなかった。
今まであまり連絡を取り合っていたわけではなかったし、それぞれの生活があると考えたからであった。人間の都合を考えての判断であった。
しかし、葬儀の参列者は私一人であり、ショウ君を見送る人間はたった一人の人間のみなのだ、と考えた時、ショウ君に最期の最後までさみしい思いをさせてしまったのではないかと自分の判断を悔やんだ。


全てをあたりまえに考えず
在る(在り続ける)ものと考えず
常に本気で相手と向き合う事
死を意識しておく事

忘れてはいけない。


ショウ君、ゴメン。
ありがとう。
おつかれさま。

2000年7月18日(火)から、どんな時もずっと一緒に居てくれたショウ君。
本当にありがとう。



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この日記を書くまでも
書いた後も、私の後悔はずっと続いた。

何もしたくなかったし生きている意味すらわからなくなるほどに落ちていた。


このままではダメだと思い、
ペットロスについてネットで調べた。

でも


何をしても
自分の後悔や罪悪感は消えなかった。
ショウ君にしたこと、出来なかったこと。
自分はなんてヒドイ人間なのだろう、、、と。


猫動画や猫カフェに行って知らない猫達を見ては「かわいい」と感じた。

が、
ショウ君のことを想うと、
ショウ君の写真を見ただけで、

「ゴメン」
という謝罪の言葉しか出てこなかった。


本当は、
「ありがとう」と伝えたいのに。


何ヶ月経ってもショウ君への罪悪感は変わらず続いた。












今日で1年。
ショウ君に対して
「本当にありがとう。一緒にずっと居てくれて本当に良かった。」と思えるようになっていた。



しかし、それは
時間が私のしたことやできなかったことを自分の都合の良いように忘れさせているのではないか、
とも思える。



そうなのかもしれない。
でも

「ありがとう」の気持ちに嘘はない。









私は、弱くキタナイ人間であるがゆえに
同じ過ちを繰り返してしまう。



「心に決めた」なんて大きなこと言ったところで長続きしない。















この日記には私が忘れてはいけないことが記されている。

だから読み返す。












ショウ君が教えてくれたことを忘れてはいけない。








ただ












ただ生きているだけ。




































結局



今までも










今現在も




























自分自身を呪っているのかもしれない




















想像力とは

実際に目に見えていることだけではなく
想像が加えられることにより
人の考えや行動は変わってしまう

想像力は
今まで生きてきた経験や見聞きしたことに影響されている

想像力は
現時点の自分そのもの

自分そのものであり自分の世界である


想像力の大きい小さいは自分自身に反映されている


私達が他者を見る際にも
想像力が影響している

その人間の一部を見ただけで判断してしまうのも
想像力が働いているからであろう
逆に
一部を見ただけで判断しないというのも想像力であろうか


想像力が感情に与える影響というものもある


感情と心は別ものだろう
全く別のものであるとは言わないが
心は自分自身であり
感情は状況に大きく影響される
変わってしまうもの若しくは消えていくものでもある


最後に残るのは(本質的に変わらないものは)
心なのだ


時間(年月)が経っても変わらない考え(心)は
本当の自分なのであろうが
その
変わらないもの
というのは
生まれ育った環境の中で無意識に造られたものだろう


心と想像力は大きく関係しているのか



死=

人は

死をもってはじめて

本当の意味で

他から肯定され認められるのだろうか






他者の否定・批判をするのはかまわないが
それだけの覚悟を持つべきではないか



私は思う




最期に悔いるのは

否定された人間ではなく否定した己自身だ

小夏の季節再び☆

大好きな果物の季節がやってきた!!


夏には小夏を食べなければならない。

これは絶対である。

(単に食べたいだけ~~)



楽天のショップで購入♪


自分。猫も。
小夏5㎏ 2,980円




自分。猫も。

ウマかった^^


小夏LOVE!!



PCメモ。

PCのリカバリする羽目になった。


最初にDELLさんがしてくれていた

C、Dハードディスクドライブの容量設定が自分的に好ましくなく

(Cドライブの容量が少なすぎる。)

知らん間にCドライブがいっぱいになり不具合が出てきたので

CドライブのデータをDドライブに移していたら

訳わからんようになった。


Outlookさえ開けんようになった。



PCに詳しくないので

解らねえのだよ!

データファイル名見たとこで

どのデータはCドライブに残しておくべきなのかナド。



データのバックアップはもちろんとってなかったので

全ては消去だ。

問題ないけども。



今回、リカバリ後

C、Dドライブの容量の見直しをした。


これで知識のない自分でも

たいして困る事なくPCを使用できるであろう。



リカバリ後PC
自分。猫も。
さっぱりしたデスクトップ画面だな~~

おまけ好き♪ロビン君好き♪


森永のBAKE等を2個買うと

1つ貰えるおまけ。


自分。猫も。

かわいいぞ。

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