こんにちは、ひろこです。
阪神淡路大震災について思うことを書きます。
1995年に起きた阪神淡路大震災ですが、当時私は9歳でした。
よくわかっていないけれど、何か大きな地震が起きて大変なことになっているというのは子供心に肌で感じていました。
私の父は機械のエンジニアとして働いており、修理やメンテナンスをしによく淡路島へ出張していました。
赴任に近いのかも。約2週間くらいかな。
その当時、父と私の二人っきりで暮らしていたので、赴任の際は、私は伯父伯母の家で過ごしていました。
(ちなみに伯父伯母からはすごく可愛がられていた)
なので冬になると、ほぼ父は淡路に行ってましたね。冬は1番仕事が忙しい時期でした。
2週間滞在して、1週間戻ってきて、また2週間滞在してを繰り返して春になっていくという過ごし方でしたね。
私の心境はというと、まー正直言って、冬は嫌いでしたね。
お父さんが淡路に行ってしまうから。
赴任して少し経つと、父から電話がかかってきて、父の声を聞いて安心していました。
電話の呼び出し音が鳴るたび「お父さんかも!」と飛び跳ねてました。
時には違ってガッカリしたり。
話は阪神淡路大震災に戻りますが、震災の時、父は赴任していなかったのですが、被害の大きさに至急応援に来て欲しいと会社から要請を受けていました。
今回の赴任は長期間になるよと。
伯父伯母と父が話しているのを聞いて不安になりました。
まだ予断の許さない状況の中、赴任しなければならないこと。
私は大泣きしました。
「お父さん行かないで」
「行ったら死ぬかもしれん」
私がわーわー泣いたところで、何も変わらなかったけどね。
そこから先のことはあまり覚えてないけど、とにかく父は行って無事に帰ってきました。
自分が取り乱して泣き喚いたことだけは記憶にあります。
「死ぬわけなかろうが」と笑っていた父が、無事に帰ってきてホッとしました。
そんなこと言っておいて、その2年後に亡くなってしまうんですけどね。
1月17日、阪神淡路大震災のニュースを耳にするたびに思い出す父とのエピソードです。
父は私が11歳の時に亡くなったので、あまり思い出がなくてね。
自分の中で言語化したことが無かったので、改めて書き留めておきたいなと思った次第でした。
最後になりましたが、被害に遭われた方のご冥福をお祈り致します。



