こんばんは、hirokoです。

今振り返ると私はずっと自信がなく
自己肯定感が低かった。

「どうせ自分なんて」
という思いが無意識にあり、
自分の本当の気持ちを無視して
見ないふりをしていました。

自分を偽り、本音を出せずに
生きてきてしまったので、
たくさんの不本意な誤った選択を
してきました。

本当は嫌だったけど、
なんか違和感があって
気が進まなかったけど
「自分が我慢すればいい」
みたいな気持ちがあって、
その場の雰囲気を壊さない、
自分よりも周りのための選択を
し続けてしまったような気がします。

それは、日本の教育や風土にも
原因があると思っています。

日本は調和や集団を大切にするため、
出る杭は打たれるし、
学校でも「なんで?」と思っても
聞けない雰囲気があったり、
みんなで同じことを勉強して
同じルールに従い、
異を唱えることを良しとしない
空気感があります。

日本全体として、
何かを大きく変えることに
ものすごく抵抗がかかるし、
変革を嫌います。

学校現場では、
生徒の個性よりも集団が優先され、
自分らしさを出せないため、
ちょっと変わった子や
発達障害の子は
生きづらさを抱えてしまいます。

個に応じた指導、
とは理想論で、
マンパワー不足で
現実的にはそんなことできません。

だから集団行動ができて、
先生の言うことを聞いて
勉強も言われた通りにがんばる
「良い子」が評価されます。

本当は一人一人まったく違うのに、
管理、指導する上では
みんな同じでいてくれた方が楽だから。

個性を大切にすることは
現実的に難しい。

学校以外に自分の居場所があったり、
家庭で個性を理解してもらえたり、
何かしら自分を満たす方法があれば
それでも良いのですが、

私の場合は幼い頃から
我慢をすることに慣れてしまって
親の顔色を伺い、
優等生を演じ、
自分らしさや
自分の本当にしたいことが
よくわからなくなってしまった。

だからいつも何となく生きづらい、
周りの人に理解されない、
誤解からぶつかってしまい、
そんな自分を責めてしまう。


中学生や高校生のときにも
「なぜ人は生きるのだろう」
と思うことがありました。

苦しみや人間関係の悩み、
将来への不安…

そんなものを抱えながら
なぜ生きるのだろう。

生きる意味がわかりませんでした。
自分なりに考えても考えても
よくわからない。

一生わからないのかもしれないけれど、
大切にされている自己肯定感や
楽しみ、やりがい、好奇心、
未来への希望などがあれば
生きることにワクワクできるのかな、
と思います。

日本は諸外国の中でも若者の
自己肯定感が低いことで有名です。

「自分に自信がある」
「自分は大切にされている」
「自分は家族や社会から
必要とされている」
そんな意識が低い。

それは日本全体にある
調和や集団優先意識や
個性を尊重できない現実がある
と思います。

誰が悪いわけではなく、
歴史的背景やいろんな要素があって
日本がそんな国になった、
ただそれだけのことです。

だから、
今自己肯定感が低くて
苦しんでいる人がいたら
それはあなたのせいではないし、
誰のせいでもない。

親や教師、社会を責めても
しかたないけど、
責めたいなら、
恨みや怒りが湧くなら
存分に味わってほしい。

直接ぶつけられない思いも
自分の中で思いっきり味わって
泣いたり叫んだりしてみると
少しスッキリしたり、
次の感情が湧いて
先に進むことができるように
なるかもしれません。

私も何度も何度もそんなことを
繰り返して、
未だにモヤモヤしたら
ひとりになって泣いたりしています。

家族がいたり、外にいるときは
難しいけれど、
ひとりで気持ちの整理をする時間は
とても大切。

子供がいたり、仕事が忙しい人と
なんとかひとりの時間を取れると
良いなと思います。

Pray for peace.