神様は君など助けない。
幼い頃から先生には
「みんな一生懸命マジメに生きれば、きっと神様は助けてくれます」とハンで押されたようにいわれました。
しかしオヤジは常に私に言う中に
「いいか、勘違いするな。先公の言葉にだまされるな!一生懸命マジメにやったからといっても神様は助けてなぞくれないぞ。」と、いつも言っていました。
なんだかヤルキを出させるんだか、出させないんだか・・・。
マジメに生きて助けてくれるなら、犬や猫、豚や牛などの動物は人間などとは比べられないくらいマジメに生きています。その人生は神様に常に守られているかどうかは、果たして・・・。
神様とは太陽のようなもの。御天道さん。
一心不乱に「神様!メシくださいカミサマー!」と祈る人間には何もくれません。ただ、空に輝いています。
しかし、祈らなくても種を撒く者にはその種を育て、収穫を与えてくれます。
どちらも、一生懸命ですが。前者には何も与えてくれません。
そして、じゃあ種を撒いたからといって必ず育つとも限りません。
神様は助けてなぞくれません。期待も恨みもしてはいけません。
しかし、何事にもプラス時には神様のおかげと感謝し、
マイナス時は自分を見つめなおす。
常に自分を精進させ磨くために神様の存在を感じましょう。
これこそが、何か「正しい神様とのお付き合いの仕方」な気がします。
受験生「南無八幡大菩薩!我を入試に合格させたまえ!喝ーっ!!」
神様「勉強しろ勉強。そんな暇があったら。」
(吉田戦車「伝染るんです」)
男「あぁ、この世には神も仏もないのかー」
仏「仏は居るぞよ。」
男「じゃあ、どうしてこのコを助けてくれなかったんですか!」
仏「・・・それはそれとして、居ることは居るぞよ。」
(相原コージ「コージ苑」)
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あ!年末ジャンボ宝くじ買いました?私は買いましたよ!男の連番イッパツ勝負!神様、どうか一つお願いします!神様ー!!
俺も俺も!という貴方は、両手をあわせながらここをクリック!
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しかしオヤジは常に私に言う中に
「いいか、勘違いするな。先公の言葉にだまされるな!一生懸命マジメにやったからといっても神様は助けてなぞくれないぞ。」と、いつも言っていました。
なんだかヤルキを出させるんだか、出させないんだか・・・。
マジメに生きて助けてくれるなら、犬や猫、豚や牛などの動物は人間などとは比べられないくらいマジメに生きています。その人生は神様に常に守られているかどうかは、果たして・・・。
神様とは太陽のようなもの。御天道さん。
一心不乱に「神様!メシくださいカミサマー!」と祈る人間には何もくれません。ただ、空に輝いています。
しかし、祈らなくても種を撒く者にはその種を育て、収穫を与えてくれます。
どちらも、一生懸命ですが。前者には何も与えてくれません。
そして、じゃあ種を撒いたからといって必ず育つとも限りません。
神様は助けてなぞくれません。期待も恨みもしてはいけません。
しかし、何事にもプラス時には神様のおかげと感謝し、
マイナス時は自分を見つめなおす。
常に自分を精進させ磨くために神様の存在を感じましょう。
これこそが、何か「正しい神様とのお付き合いの仕方」な気がします。
受験生「南無八幡大菩薩!我を入試に合格させたまえ!喝ーっ!!」
神様「勉強しろ勉強。そんな暇があったら。」
(吉田戦車「伝染るんです」)
男「あぁ、この世には神も仏もないのかー」
仏「仏は居るぞよ。」
男「じゃあ、どうしてこのコを助けてくれなかったんですか!」
仏「・・・それはそれとして、居ることは居るぞよ。」
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語ってはいけない!
いきなり、「当たり前と言うな!当たり前を日々考えるんだ」と言いながら「語るな!」と矛盾を言うあたり、所詮私の信念なぞ矛盾に満ちているのかもしれません。
私は、一応ながら部下なぞ持つ立場になりましたが、最近気づいたことは
部下があまり上手くいかなかったときには、言葉が多いです。
百言っているような気がします。
では、万事上手くいったときには百褒めるかというと、実は「よくやった!」など、一言二言しか言わないのです。
我ながら、言葉が出なくて何故もっと褒めないのかとも思うのですが、、。
言葉というものは、実に便利な道具であり、他の動物と比べて劣る人間が勝っている数少ない要素の一つだと思います。
仮説という仮の未来を想定し、細かくシュミレートできるのです。
しかし、その言葉というものは前話にも述べたように、
槍のように先端にだけ攻撃力があり、脇も後ろもガラ空きなのです。
それゆえ、言葉や議論を重ねれば重ねるほど本題がぼけて、現実味を失い、軽くなってゆくという悲しい習性があるのです。
たとえば、墨で出来たクッキリとした点に言葉という水を落とすと、輪郭がボヤけます。さらに言葉に言葉を重ねるとどんどんボヤけて、
もとの点が一体ドコだったかわからなくなるほどにさえなります。
以前、どこかの大学で「なぜ人をころしてはいけないか述べよ」という課題が出たといって話題になったのを覚えています。
いくつかの例で、細かく理由を述べた回答や
著名人だったか「殺しなさい、しかし君も殺される」など、
色々な論議や回答があったような気がします。
同種殺しは何故いけないか。
それを議論すると、群れを成す生物の生物学や人類学が例に挙げられ、
さらにその例に反論する例や議論があらわれ、
事は戦争や、「生物レベルではありうることで驚くことではない」
と、なってゆき語れば語るほどその良し悪しすら言葉の水でぼけてゆきます。
無論、例えば裁判のように人を裁いたり、慎重な論議が必要な場合には、
ぼやけないように一定の枠のなかでボカしてゆく必要があるわけですが、
結論。
言葉は物事を軽くします。時には失敗の心を軽くし、悪事すら軽くします。
私のような居酒屋で嫌がられながらオヤジ思想を語る立場では
「何故人を殺してはいけないか?」
「ばかばかしい。問うな語るな。」で終了。
「返事は1回!」
(私の祖母)
「考えるな!感じるんだ!」
(ブルー・スリー)
ランキングにも参加してます。
「何も見ない!聞かない!問いには答えない!」そんな偏屈って
とっても迷惑!だけど・・・
今だけ許してア・ゲ・ル。と思う貴方は、迷わずクリック!
私は、一応ながら部下なぞ持つ立場になりましたが、最近気づいたことは
部下があまり上手くいかなかったときには、言葉が多いです。
百言っているような気がします。
では、万事上手くいったときには百褒めるかというと、実は「よくやった!」など、一言二言しか言わないのです。
我ながら、言葉が出なくて何故もっと褒めないのかとも思うのですが、、。
言葉というものは、実に便利な道具であり、他の動物と比べて劣る人間が勝っている数少ない要素の一つだと思います。
仮説という仮の未来を想定し、細かくシュミレートできるのです。
しかし、その言葉というものは前話にも述べたように、
槍のように先端にだけ攻撃力があり、脇も後ろもガラ空きなのです。
それゆえ、言葉や議論を重ねれば重ねるほど本題がぼけて、現実味を失い、軽くなってゆくという悲しい習性があるのです。
たとえば、墨で出来たクッキリとした点に言葉という水を落とすと、輪郭がボヤけます。さらに言葉に言葉を重ねるとどんどんボヤけて、
もとの点が一体ドコだったかわからなくなるほどにさえなります。
以前、どこかの大学で「なぜ人をころしてはいけないか述べよ」という課題が出たといって話題になったのを覚えています。
いくつかの例で、細かく理由を述べた回答や
著名人だったか「殺しなさい、しかし君も殺される」など、
色々な論議や回答があったような気がします。
同種殺しは何故いけないか。
それを議論すると、群れを成す生物の生物学や人類学が例に挙げられ、
さらにその例に反論する例や議論があらわれ、
事は戦争や、「生物レベルではありうることで驚くことではない」
と、なってゆき語れば語るほどその良し悪しすら言葉の水でぼけてゆきます。
無論、例えば裁判のように人を裁いたり、慎重な論議が必要な場合には、
ぼやけないように一定の枠のなかでボカしてゆく必要があるわけですが、
結論。
言葉は物事を軽くします。時には失敗の心を軽くし、悪事すら軽くします。
私のような居酒屋で嫌がられながらオヤジ思想を語る立場では
「何故人を殺してはいけないか?」
「ばかばかしい。問うな語るな。」で終了。
「返事は1回!」
(私の祖母)
「考えるな!感じるんだ!」
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とっても迷惑!だけど・・・
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その時には、間違いなく俺も泣くだろう。
幼い頃、母が離婚して家をでてしまい、
私は祖父祖母に育てられました。それこそ頭一つ叩かれたことなく、
ワガママ勝手な私に相当苦労をかけたと思います。
二十歳を超え、私はすぐ隣の父の家に入ることにしました。
荷物をまとめてましたが、何しろ隣に引っ越すだけなので、
必要になったときにはまたくればいいやと、適当に見繕っていました。
そして、いつもの夕飯は何故か豪勢な寿司でした。
祖父はめったに飲まないビールを私にすすめて一緒に飲み、私が食事をしているときにはいつも台所仕事をしている祖母も、
この日だけは一緒のテーブルに座って会話も弾みました。
食事が終わると、「元気でね」「頑張れよ」と祖父も祖母も泣きました。
私が「隣の家にいくだけなのにどうしそうてオーバーなんだ。」と言っても、「大きくなったな、立派になったな」「淋しい気持ちに何も出来なかったけど許してね」と、何度も言って泣いていました。
私が1っカ月かけて原付で新潟から九州に行くときですら泣きもしなかったのに、非常に不思議に思ったものです。
・・旅立つ立場の私はいつも、次なる未来に不安と希望に心は一杯で、見送る者の気持ちを理解することはできませんでした。
そして、仮にも父親となった今ならば、祖父祖母の気持ちがわかります。
あの時が、、、、
赤ん坊の時から見守ってくれた祖父祖母の、その手からついに離れるべき「その時」であり、間違いなく私の「巣立ち」だったのです。
そして、今度は私の子供が、待望のその時を迎えたとき・・・
間違いなくその時には私も泣くでしょう。
そして、旅立つ若者には、さぞ不思議に思われることでしょう。
そうさ、君は気付いてしまった。やすらぎよりも素晴らしいものに
地平線に見える瞳には、いつしか眩しい「男」の光。
あの人の目がうなずいていたよ、「別れも愛の一つだよ」と。
(ゴダイゴ「銀河鉄道 999」)
ランキングに参加してます。
典型的おやじ思考。でもそれもアリか!と思う貴方は泣きながらここをクリック!
私は祖父祖母に育てられました。それこそ頭一つ叩かれたことなく、
ワガママ勝手な私に相当苦労をかけたと思います。
二十歳を超え、私はすぐ隣の父の家に入ることにしました。
荷物をまとめてましたが、何しろ隣に引っ越すだけなので、
必要になったときにはまたくればいいやと、適当に見繕っていました。
そして、いつもの夕飯は何故か豪勢な寿司でした。
祖父はめったに飲まないビールを私にすすめて一緒に飲み、私が食事をしているときにはいつも台所仕事をしている祖母も、
この日だけは一緒のテーブルに座って会話も弾みました。
食事が終わると、「元気でね」「頑張れよ」と祖父も祖母も泣きました。
私が「隣の家にいくだけなのにどうしそうてオーバーなんだ。」と言っても、「大きくなったな、立派になったな」「淋しい気持ちに何も出来なかったけど許してね」と、何度も言って泣いていました。
私が1っカ月かけて原付で新潟から九州に行くときですら泣きもしなかったのに、非常に不思議に思ったものです。
・・旅立つ立場の私はいつも、次なる未来に不安と希望に心は一杯で、見送る者の気持ちを理解することはできませんでした。
そして、仮にも父親となった今ならば、祖父祖母の気持ちがわかります。
あの時が、、、、
赤ん坊の時から見守ってくれた祖父祖母の、その手からついに離れるべき「その時」であり、間違いなく私の「巣立ち」だったのです。
そして、今度は私の子供が、待望のその時を迎えたとき・・・
間違いなくその時には私も泣くでしょう。
そして、旅立つ若者には、さぞ不思議に思われることでしょう。
そうさ、君は気付いてしまった。やすらぎよりも素晴らしいものに
地平線に見える瞳には、いつしか眩しい「男」の光。
あの人の目がうなずいていたよ、「別れも愛の一つだよ」と。
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誰にも頼らない、誰も恨まない。頼ることが恨むことになる。
突然の事件で一方的に理不尽に命が奪われるとか、突発的な事件・事故の場合は別とします。あれは恨むなと言う方が無理です。
私は20前半の当時、配送の仕事をしていて、その職場の中でもとりわけ仲の良い後輩がいました。
私と彼は本当に仲が良く、彼が後輩ということもあって良くジュースや飯など奢ったりしたものです。
ある日、終業間近の時間に私のルートのお客さんから、「突発でどうしても、今すぐ品物を欲しい!」といわれました。正直ゲンナリです。なぜなら今日一回行っているし、そこは片道1時間もかかる場所なのです。
しかも、5時過ぎると渋滞します。 当然行くしかないのですが、只1コのダンボールの品物のために・・と、思うとどうしても嫌で仕方なかったのです。
そこで私はこの後輩の自宅が、そのお客さんの店と近いことを思い出しました。まぁ、近いと言ってもちょっと道から外れますが、5分も外れません。
私は嬉々として彼にお願いしてみました。
当然2つ返事でOKが返るものだと思っていましたが、返ってきた言葉は
「えー、いやっすよ。」
またいつもの冗談かと思ってもう一度たのむと
「いやっすよ、仕事終わるんですから。大体自分のルートは自分で何とかするのが当たり前っすよ。」
正直、言葉もでませんでした。怒る気力もなく「わかったよ。」と、
私は配送車に乗り込み、出発しました。
心の中は「裏切られた!」とか「俺はあれだけ色々してやったのに、お前は・・!」「見てろ、お前が困ったとき俺に声をかけてきやがったら・・」という憤りの気持ちでいっぱいでした。
しかし、落ち着いてくると何だか、これってよくある話じゃないか?と思い始め、
今までの過去の自分が全てそうだったんじゃないかと感じてきました。
自分のしてやった好意は、あくまでも他人が受取るものであり、その値段をつけるのは相手なのだ。
好意のはずなのに、いつの間にか「これだけしてやったんだから」と値段をつけてしまう。コレこそ・・・!
そのことにすら気づかずによくもまぁ20年以上も生きて、しかも当時一人暮らしで「誰にも頼らず俺は自立してる!」などと、慢心していたものだと、
我ながらあきれました。
そして、このまま行くと危ないところを気づかせてくれた後輩に感謝しました。
頼る気持ちが相手との値段の違いを生み、それで恨むなぞ持っての他。
あえて恨むべきがあれば自分と自分の心。
誰にも頼らない、誰も恨まない。つまり、自立。
でも、みんなと仲良く。
誰にも寄りかからないでやってゆくことは、
信用するなとか友情捨てろって事じゃなくて
クジで外れても愚痴らず、たちまち前に進めるかどうかだろ。
(Bz「FIRE BALL」)
ランキングに参加しています。
恨みつらみで世の中お腹いっぱい!でもこれみて頑張ろうと思えた貴方は是非クリックを!
私は20前半の当時、配送の仕事をしていて、その職場の中でもとりわけ仲の良い後輩がいました。
私と彼は本当に仲が良く、彼が後輩ということもあって良くジュースや飯など奢ったりしたものです。
ある日、終業間近の時間に私のルートのお客さんから、「突発でどうしても、今すぐ品物を欲しい!」といわれました。正直ゲンナリです。なぜなら今日一回行っているし、そこは片道1時間もかかる場所なのです。
しかも、5時過ぎると渋滞します。 当然行くしかないのですが、只1コのダンボールの品物のために・・と、思うとどうしても嫌で仕方なかったのです。
そこで私はこの後輩の自宅が、そのお客さんの店と近いことを思い出しました。まぁ、近いと言ってもちょっと道から外れますが、5分も外れません。
私は嬉々として彼にお願いしてみました。
当然2つ返事でOKが返るものだと思っていましたが、返ってきた言葉は
「えー、いやっすよ。」
またいつもの冗談かと思ってもう一度たのむと
「いやっすよ、仕事終わるんですから。大体自分のルートは自分で何とかするのが当たり前っすよ。」
正直、言葉もでませんでした。怒る気力もなく「わかったよ。」と、
私は配送車に乗り込み、出発しました。
心の中は「裏切られた!」とか「俺はあれだけ色々してやったのに、お前は・・!」「見てろ、お前が困ったとき俺に声をかけてきやがったら・・」という憤りの気持ちでいっぱいでした。
しかし、落ち着いてくると何だか、これってよくある話じゃないか?と思い始め、
今までの過去の自分が全てそうだったんじゃないかと感じてきました。
自分のしてやった好意は、あくまでも他人が受取るものであり、その値段をつけるのは相手なのだ。
好意のはずなのに、いつの間にか「これだけしてやったんだから」と値段をつけてしまう。コレこそ・・・!
そのことにすら気づかずによくもまぁ20年以上も生きて、しかも当時一人暮らしで「誰にも頼らず俺は自立してる!」などと、慢心していたものだと、
我ながらあきれました。
そして、このまま行くと危ないところを気づかせてくれた後輩に感謝しました。
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あえて恨むべきがあれば自分と自分の心。
誰にも頼らない、誰も恨まない。つまり、自立。
でも、みんなと仲良く。
誰にも寄りかからないでやってゆくことは、
信用するなとか友情捨てろって事じゃなくて
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まず!とにかく「当たり前」というな。
私の父親はいつも私が「当たり前」というと、「当たり前というな!」と怒ったものです。
父曰く「世の中に当たり前なんて一つも無い、無いものをあるというな」と、常に言っていたものです。
父は鉄工所の社長でした。
「鉄は硬いか?正解はやわらかい。解らないだろう?」
私が鉄は硬いに決まっているし、それが当たり前だというと、
「俺は鉄に30年以上かかわっている。少なくともお前より長く、そして少しくらいの知識はあるつもりだ。その俺がやわらかいと言って、鉄の知識の無いお前が何がわかる?」
さらに言葉を続けます。
「いいか、当たり前なんていうな。その言葉は考えの浅い人間の使う言葉だ。当たり前に感心し、当たり前をよく理解した者だけが未来に向かうのだ。」
「江戸時代に空を飛びたいと言ったらバカにされる。それは知恵の浅い輩が当たり前という言葉を使って知ったかぶるからだ。ニュートンのリンゴもそうだ。」
「当たり前を、当たり前と投げないで考えた者だけが未来を作るのだ。当たり前という言葉をつかうな!」
私が、じゃあどういう風な言葉を使えばいいんだと聞くと
父は「大抵そうなるな」とか「そうなりそうだけどな」とか、「多分こうなると思う」にとどめて、自分の知識外の違う可能性を必ず視野に入れた返答をするんだ。とのこと。
私は、納得するかしないかは別に、とにかく、まずは「当たり前」を使わないようになりました。
これが、私のすべての原点です。
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「そんなことは当たり前だろ!あ!言っちゃった!」そんな貴方は是非ココをクリック!
父曰く「世の中に当たり前なんて一つも無い、無いものをあるというな」と、常に言っていたものです。
父は鉄工所の社長でした。
「鉄は硬いか?正解はやわらかい。解らないだろう?」
私が鉄は硬いに決まっているし、それが当たり前だというと、
「俺は鉄に30年以上かかわっている。少なくともお前より長く、そして少しくらいの知識はあるつもりだ。その俺がやわらかいと言って、鉄の知識の無いお前が何がわかる?」
さらに言葉を続けます。
「いいか、当たり前なんていうな。その言葉は考えの浅い人間の使う言葉だ。当たり前に感心し、当たり前をよく理解した者だけが未来に向かうのだ。」
「江戸時代に空を飛びたいと言ったらバカにされる。それは知恵の浅い輩が当たり前という言葉を使って知ったかぶるからだ。ニュートンのリンゴもそうだ。」
「当たり前を、当たり前と投げないで考えた者だけが未来を作るのだ。当たり前という言葉をつかうな!」
私が、じゃあどういう風な言葉を使えばいいんだと聞くと
父は「大抵そうなるな」とか「そうなりそうだけどな」とか、「多分こうなると思う」にとどめて、自分の知識外の違う可能性を必ず視野に入れた返答をするんだ。とのこと。
私は、納得するかしないかは別に、とにかく、まずは「当たり前」を使わないようになりました。
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