私は今まで台湾での意思の疎通は、
片言の英語とメモの漢字だけで事が足りると思っていました、
著名な観光地やお店では日本語が通用しますしね。
事実オールokで済みました。


ただ厄介なのは私と同じ年代の市民、
北京語以外は通じない。
80歳代の人は日本語を理解しています。

 

それが今回はことごとく覆されましたね。
私の単語を並べるだけのでたらめな英語では駄目。


やはり大学生の基礎を持った英語。
当然ビジネスにはまだまだ未熟でしょうが。
フィリピン人相手ならば完璧。

 

フィリピンの公用語は英語とフィリピ-ノ語、
タガログ語を基にした標準語なのでしょう。


多島国家なので百数十の言語があるららしいですね。

事実、
私が行ったルソン島と直近のセブ島。
タガログ語とピサヤ語、
それぞれの島の母語なのですが
教育程度が低い人達では会話が成り立ちません。
私自身が目の当たりにしてきました。

日本人は標準語が解っているので問題はないのですが、
沖縄の人と東北の人達が方言で話すようなものです。

 

私が長年台湾で使っているメモ帳を見て、
「ジイジ、凄いなそれで通用するんや・」
と、孫は驚いていましたがね。

 

私には7人の孫がいます。
一番年長は今春商学部を卒業し、
野村ホールディングスに就職して、
すでに東京に行った孫娘、
これは次女鬼子の娘です。

 

この娘はいつもワンランク下の学校を選び、
楽しく学生時代を過ごした。
高校卒業までに、
日商 全経の簿記検定1級を取得して大学はAO入学。

 

上から二人目の今回の旅に同行している孫は、
中学生の時には一切塾にも行かず(金がかからず親孝行)
深夜に自ら起きて勉強して有名進学校に。


しかし、
線の細いところがあってプレッシャーに弱いのか
共通一次で失敗して1年間の浪人生活、
今は京都の大学に行っています。

この二人はじつにクレバー。


でも今春、
なんとか高校を卒業した3人目は全くダメ(笑い)。
でも人生・
最後までどうなるかは全くわかりませんものね。

 

で、
サブタイトルの天国と地獄・天国


彼が行った太魯閣渓谷観光の同行者は日本人2名。
私は直接お話をしていないのですが。
花蓮駅にガイド(宿の経営者)に送ってもらった折に、
お二人から
「良い子です、将来が楽しみですね。」
と言われました。
詳しくは解らないのですが日本と台湾を結ぶ仕事をしているらしい。


お一人は70歳ほどの元教師の男性、
もう一人は大学を卒業したばかりの22歳の女性。
彼らと話がはずんで孫も大変楽しかったらしい。

 

そしてフィリピンに帰国した私の元彼女の友達たち。

「アテ(お姉さん、ちなみにくーヤはお兄さん)の、

台湾での夫が再び台湾に来た」で開いてくれた。

 

そのウェルカムパーティー、

お呼ばれして爺孫ふたりして出かけました。

ここまでは昨日に書きました。

 

待っていてくれたのは7人のピーナ達。

(この中で私と初対面は一人だけでした)

と二人のピーノ(一組は夫婦)。

 

そして彼女達がお世話をしている車椅子の二人の台湾人老婆。

ゲストハウスの母、

九〇歳(日本語が喋れる)と

55歳の身体が不自由そうな息子。

 

それにしてもビールを飲むにつれ良く喋る我が孫・・

流暢に英語を操っている

(あとで聞けば面白いように言葉が通じていたとの事)

昨日までは緊張していたのかな?

 

フィリピン人達に言わせれば、

「顔立ちも良く、言葉使いも先生のようだ・」

彼らも学校で英語を勉強したそうな。

 

私も改めて我が孫の顔をみると、

ジャニーズのような・・

それにしても彼のよく飲む事。

父親よりもかなり酒が強い。

 

「乾杯 カンペイ」

の連続だが全く崩れない・

 

おそらく今までで最大のモテ様のようだ。

 

私まで一緒にカメラにおさまったのは30~40回ほどだろうか・

「孫を此処に置いていこうか?」

と私が言うと。

「彼は若すぎる、せめて3、40歳くらいの日本人と結婚をしたい・」

彼女たちは30歳くらい、

まるでひと昔前のフィリピンパブ状態、

だがこの夜の主役は私じゃなく孫(⌒▽⌒)

 

今年、大学2年生になる3女の長男。

ひと月ほど前に電話で話したところ、

1月に台湾に行ってきたらしい。

つい、

「ジイジと一緒に台湾に行くか?」

「まだ、行っていない所があるから行きたい・・」

・・・・・

呆けバアチャンは3月31日から4月24日までのロングステイの予定。

 

 

と言うのも、

長女の子宮筋腫の手術日が4月16日。

昨年の9月に手術が決まっていたのだが、

糖尿病の数値が高く半年ほど延期。

そこで、

隣町の高校生の孫ふたりの食事を引き受けている。

 

結局6度目の台湾旅行。

以前までいたピーナの彼女はすでに帰国している。

それに、

今の病状では一人旅は不安。

そこで、

20歳の孫息子と最初で最後であろう二人旅。

 

台北で泊まれば良いのにやはり慣れた花蓮に足が向く。

午前中に到着したので彼が行きたかった

(小籠包などで有名な)

ミシュランガイドにもあるお店や行天宮など・・

MRTを今回はフルに使いました。

彼がカードを二枚持っていたのでチャージをしてね。

当初の予定では101タワーに行くはずだったけれど、

お天気がいまひとつだったので4日目の予定とチェンジ。

 

夕刻、台鉄で花蓮に向かう。

夜には自彊夜市へ・・

 

二日目、孫は太魯閣渓谷観光。

私は独りで花蓮の街をブラブラと・

暑くもなく良い気候でした。

 

そして以前に、

帰国した彼女が住んでいた付近を歩いていると

偶然に出会いました、

彼女の友達と。

 

毎回私が花蓮に来る度に食事に呼んでいた、

介護の仕事で来ているピーナ達。

「明日の午後に歓迎会をしてやる」と言う。

そして少しばかりのバーベキューの材料代をだす。

 

夕刻5時頃太魯閣渓谷から帰ってきた孫と合流。

瑞穂温泉山荘に向かう、

ここも4度目かな?

 

孫が温泉好きでよかった・・

ここの老板は私より4歳年下だが日本語が堪能。

ゆっくりと休める。

 

朝食後にもゆっくりと入浴。

お昼前の自彊普悠馬号で花蓮に戻る。

いつもの日本人経営の宿はチェックインが午後3時なのだが、

6度目の馴染みなので、

清掃作業さえ終えていれば部屋に入れてくれる。

ゆっくりと昼寝タイム。

 

4時頃からピーナ達が集まるゲストハウスに行く。

彼女たちが介護をしている台湾の老女達の車椅子を押してね。

 

日本語を話せるオバアさんもいる。

肉体労働で出稼ぎに来ているピーノも二人。

 

 

 

 

 

 

 

今日、コメントをいただいたトコmamaさん、

コメント返しを書こうとしましたがブログでもって返信をさせていただきます。

 

これまでは3泊ショートステイに行き、水木気金曜日のデイサービスに備えて4泊を我が家で過ごしています。

このペースならばいままでなんとかなっていました。

だけれどもこれがもう限界を過ぎました。

3日間私が母から離れてその後4晩の世話。

 

 

それがもう無理です・

 三月ほど前ならば手を握って多少の時間がかかっても自室まで誘導ができていた。

足腰がなんとか機能していたのです。

 

しかし、今は自力で立つ事さえままならない状態です。

 

先日までの四日間はケアマネジャーが時間外にも関わらず手ですけに来てくれました。

自室に行くまでの外部のコンクリート階段の十数段が一番の難所なのです。

あさ、店に上げる仕事、帰って来てから部屋に連れて行くこと・

 

簡易トイレに座らせてパジャマや下着おむつの交換、

朝も順序は逆にね、。

それを私独りが3か月まえまでこなしていました。

今は、かみさんが着替えを手伝ってくれています。

 

しかし、階段。

介添えでなんとか済ませていましたが、この金曜日は全く足が動きません。

暖かい日が続いたあとの冷え込みにも原因があったのかもしれませんが、

金曜日は私が一気に抱き上げて階段を降りました。

あと一段、というところで私の足がもつれ危機一髪。

なんとか階段にもたれかかってなんを逃れました。

それを見ていたカミさんが、「私やったら完全に骨折を・・」

 

そんなこんなで、介護食を食べさせている時も、トイレで排泄をさせている時も、ベッドに寝かせつけている時も。

私自身が「解らないのだ・・」と言うばかりの母親に軽い殺意をも覚えます。

「アンタよりも、ワシのほうが先に逝くんやで、もっとしっかりしてえな。」

何度口ばしったったことか涙ぐみながらね。

本人は「解らないのだ・」と言うばかり。

 

半分ほどの介護食(本来の老人食の)量を菜箸と大きなスプーンと小さなスプーンで食べせて、私は部屋で晩酌・

洋皿にスパゲティやポテトさらだ厚焼き卵、(本人が昔から好きなメニュー)カマボコや半分量のコロッケかハンバーグ

 

この様子をビデヲで視ながらね。バナナとヨーグルトヨーグもっていきりいじりきでたべせます・

そしてベッドに眠りに就いた・

いろんな葛藤がvあり、腹が立つ事ことがたkさんありますがやはり母ですからね・・

 

 

 

 

 

 

 

 

元気そうでしょう?

 

 

 

 

可愛い・

と言うか愛おしいんですよね、

他人じゃない自分の母親ですから。

 

このような画像を見る限りでは・

 

いつもの金曜日のこの時間帯は、

ドラえもんとクレヨンしんちゃん。

手をたたきながら視ています。

単純に楽しい賑やか番組にだけ反応します。

 

まぁそれが認知症でしょうね。

でも番組改変期だからでしょうね、

今夜は違う番組。

だからあまり楽しくなさそう。

 

今日、

デイサービスから帰ってきたのが4時40分ころ。

大変でした・

 

デイサービスの送りの人が、

「今日はトイレにもいってくれなかったんです。

立つことができませんでしたので。」

 

それで車椅子で帰ってきました、

よくあることですがね。

 

いつも、

送り届けてくれるところから母の部屋に行くまでは、

十数段のコンクリートの階段を降りなければなりません。

 

1年前までは自分で手すりにつかまり、

私が介助をするだけで自力で昇り降りができていました。

 

そして半年ほど前からは

私が脇を支えながらなんとか。

ひと月ほど前からは抱き上げるように・・

それがここ最近はそれも無理、

全く自立ができません。

 

今日は私が抱え上げ、抱き上げて一気に・・・

しかしあと一段、

というところで私がよろけてしまったものの、

なんとか私が手すりにもたれかかって

大事には至りませんでした。

 

みていた妻が、

「私やったら完全に骨折してたな・」

 

息があがって

整うまでしばし休息。

 

部屋に連れて入り、

簡易トイレに座らせて排便をさせながらパジャマに着替えさせて、

画像にある椅子に座らせる。

今日は寒いので室温はかなりあげています。

 

そして5時すぎに食事を持って行き、

お茶碗にのりたまを振った6分くらいのご飯とお味噌汁の具、

カボチャの煮物と子芋の煮物。

そうそう、

厚揚げの煮物を菜箸と大きなスプーンで食べさせて。

 

「あとは自分で食べなよ・」

洋食皿にマカロニサラダ(結構大量)ケチャップで炒めたスパゲッティ、

厚焼き卵二切れとカマボコ。

ハンバーグ半分。

具を食べさせて残ったみそ汁。

 

その食べている様子を時たまビデヲで確認しながら、

二時間ほど経った7時前にバナナとヨーグルトを持って行き、

2度目のおしっこをさせて今、

カメラ画像をアップさせています。

 

母親の介護・・

これもあと少しの期間です。

明日はショートステイに送り届けて月末の火曜日に帰ってくる予定です。

その後は土曜日に施設に送り届けてロングステイ。

 

私が健康ならば今少し介護ができるでしょうが、

この体ではね・

・・・・

今からビデヲを視て判断します、

3度目の排泄をさせて

眠剤を飲ませるべきか、

否か・・

 

 

 

私の現在の満年齢は69歳。

若くして亡くなった父親は47歳。

 

そして今、私が面倒を看ている母親は92歳。

 

一昨日に行ったいつもの総合病院、

定期健診なのですが。

『あなたの肺年齢は95歳です』・・・

 

今までの健診では無かった文言が赤丸で書かれていました。

 

私自身は余命宣告のような言葉を告げられた

一年前にすでに承知をしていた事実です。

 

そして、

色んな数値は当然把握していましたが、

現実に(九五歳と)印刷をされているのを見ると涙が溢れました。

 

私はどちらかと言えば同年齢の人達よりもよく動くほう、

喋り声も大きいし、

すぐに行動に移すしね。

だから、

肺からの酸素量が足りないようです。

だから息切れが酷いのです。

 

九十歳を過ぎた方と同じような動きをしていれば苦しくはないのかも?

しかし家事全般を、

金を稼ぐための仕事もしなければならないしね。

 

今日はデイサービスに行っていた母親の

二度目の排泄を今、

させたところです。

 

昼間には苦渋の選択で特養ホームでの永住の申し込みをしてきました。

長年デイサービスでお世話になっている施設です。

 

施設の職員さん達も我が家の現状をほとんど知っているので、

「もうこれ以上の無理はされないように・」

 

その言葉を聞くだけで・

涙が溢れて言葉になりませんでした。

 

そして救われたのは、

「姥捨て山に捨てるのではありませんから・

私たちも目一杯のお世話をさせていただきます。」

これ以上は涙でキーボードがこれ以上うてません・

今日の5時過ぎにショートステイから帰って来て、

足も立たない状況の中カミさんと二人して簡易トイレに座らせてパジャマに着替えをさせたところ。

このカメラで私の部屋の受信機に送信、私の部屋のテレビでビデオ受信。

テレビと時計の間にあるのが受信機。

介護食、

自分ひとりでは食べられません。

食後にテレビを視ています。

それを私はみながら晩酌と食事。

そして今夜はパソコンで久しぶりのコメント返し。

その後、

ベッドに寝かせて

テレビのチャンネルを地デジに・・・・

8時40分頃にカメラ画像を見るとこんな状態・

足腰が全く動かない状態なのですがね。

 

私は堤防にある店の隣の部屋。カミさんは階下で寝起きしています。そしてバアチャンは離れの部屋。

 

なので一度家を出て部屋に行く状態です。

そして今一度この状態に寝かしつけたものの、

今度はこのような態勢。

仕方なく眠剤(ゆるい効果のモノを半錠)

やっと20分ほどして眠りに就いたようなので今

パソコンを打っています。

 

この記事をアップする前に現在の状態を確認してきます。

今カメラをみてきましたが同じ態勢で眠っています、

ヤレヤレです。

おそらく4時頃に目覚めると思います。

私もその時間に備えて眠剤を飲み今から眠ります、

今夜を含めて4日間の戦い・・

おやすみなさい笑い泣き

 

コメントしてくださった、エリーさん わすれな草さん 月子さん トンコさん アバロンさん ウルママさん さとみんさん。

そして、メッセージを頂いた多くの皆様。

コメント返しもメッセージの返事も書かずに申し訳ありません。

 

アメブロのページは毎日一応開き、

チェックリストの読ませていただいた方のページには、

いいねのクリックだけはしています・

 

今日は体調も良く、暇もありますのでキーボードを打っています。

そして、

私の体は順調に悪くなっています

(お医者さんが言っていますので)笑い泣き

 

今年になって初めての記事のアップなんですね・

前回の記事のあと、

正月の三が日は無事に過ごせました。

その後、

カミさんが介護ベッドのテーブルに顎を打ち、

口内出血。

 

毎夕食時に私が買い与える缶ビール1本、

これだけでは物足りず自分でコンビニに行き焼酎を購入。

介護ベッドで飲酒の習慣がついているのですね。

それでベッドから滑ってテーブルにコツンと顎を。

 

当初はカミさんも私に、

「歯茎と入れ歯の間の怪我」だけ・・

ところが数日経つと下顎部の皮膚が内出血で青黒く・

病院に行くように私が言うもカミさんは拒絶。

 

皮膚の内出血が治まった頃に、

「入れ歯が合わないから歯科医に連れて行ってくれ」と言う。

 

そこで、

1月の18日に歯科医院で下の入れ歯を削って矯正。

が、

噛み合わせが駄目なんでしょうね。

再度22日に同じ歯科医に連れて行ったところ、

市民総合病院に、

「紹介状を書くから行ってきなさい・」。

 

結局、

即日入院・・・

三か所の下顎骨骨折、

骨粗鬆症が・・・

 

前回の寝たきり状態からやっと手がかからないようになっていたのにねえーん

呆けバアチャン(母親)土日月ショートステイ、

水木金デイサービスのパターン。

それも狂い

3週間のロングステイに変更。

 

そしてカミさんは12日に退院。

(帰って来なくていいのにね・ムキー

 

呆けバアチャンは13日に帰宅。

自力で立つ事も出来なくなっていますガーン

 

以来2週間が経っています、

なんとか生きています笑い泣き

 

 

 

 

10年ほども以前にブログでお付き合いをいただいていた、

老い猫さんのブログのタイトルです。

ガンジーの言葉からの引用らしいです。

 

今年の私の想いそのものです。

私の現況を心配してくださっている皆さんからメッセージを沢山頂きました。

その都度、遅れながらも一応お返事をいたしましたが全てではないのでお詫びをいたします。

 

大雑把にお伝えいたしますと、

私の体調ですが、

最終的にブログを書いた時期と今の状態とは余り変わりはありません。

ストレスを増やさないために

依然タバコは吸っていますが余命は変わりがないと思います。

当然本数は加減をしていますので。

 

2月に宣告された余命一年、

は今も同じだと思います。

 

今年も川の鮎網漁もできました、

網を自分で持って自力のみでは無理でしたが。

 

唯、畑仕事はできませんでした。

 

母親の介護、

週のうち3泊はショートステイ、

4泊はデイサービスなので2時間ごとの排便促しと食事、

洗濯・・

10時以降は私も眠りますので衣服寝具の交換洗濯。

デイの送り出しと迎え、

これだけでも大仕事。

そしてその間、

例え少しだけですがお客相手の仕事。

食べる為の僅かな稼ぎも必要ですからね。

 

カミさんも自力で歩けるようになったので少しは助かります。

他には何も出来ませんが、

洗濯干しと取り入れだけは出来るようになっています。

これだけでも私の負担が少なくなりました。

 

夕方から酒を飲み(酒量は減りました)少し眠ったあと先ほど目覚めました。

間もなく日付が変わり新年です。

 

歩いて10分ほどの村の神社にお参りしてきます。

 

間もなくの新年が皆さまにとってより良い年でありますように。

 

 

朝食を済ませて今一度露天風呂に。

昨夜知り合った、

オーストリアの旦那さんとフィリピン人の奥さんもいた。

私の娘夫婦の年配です。

言葉なんてどうとでも繋がるもんです。(楽しく笑い)

 

朝食時に飲んだ高粱酒が心地よい酔いをもたらす・・

朝の涼しげな気候がちょうど良い。

温度は15~6度くらいでしょうかね。

 

私は今まで明るい時間、

昼酒は絶対に飲まないようにしている。

法事などがあっても飲まない。

私は当然アル中です、

アルコール依存症だけれども、

昼間の飲酒だけはしない。

 

仕事が休みの日でも午後6時になってからね。

 

仕事柄、

手の震えが出れば即廃業。

酒を飲んでの車の運転は出来ないしね。

 

それが、

この日は異国の地台湾。

車の運転はする必要が無い。

相方と二人だけ・・

 

それでも今回が初めてです、

明るい日差しのなかでの飲酒は、

朝酒は美味しい。

癖になりそう・・

 

自分の病気の事もあり、

もう此処に来る事がないだろう・・

彼女とも最後の出会い・・

 

彼女は、

「私が治してあげる、

介護は私の仕事だから

ハニー!」

因みに私は「ハニー・」と

呼ばれています(大笑い)

 

瑞穂駅からピューマ(普悠馬)に乗って、

花蓮に向かったのが朝の9時。

 

10時頃に駅に着きいつもの宿に向かう。

チェックインは午後3時なのだが荷物は預かってもらっている。

着替えなどの荷物を宿に置くつもりで行ったところ、

オーナーがちょうど居て、

「キーを渡すから部屋を使っても良いですよ」

と言われた。

これは正直助かりました。

と言うのも、

この日9日の日曜日は前日よりも酷い暑さ。

日本の夏日くらい、

寒い日本から来ての真夏日。

 

老体には堪えました。いやほんと(笑い)

エアコンの効いた部屋でしばし休息。

 

小一時間ほど休んで、

台湾で一番美味しいと言われているワンタン専門店に行く。

私はこの店は4度目でしょうかね、

丁度軽い昼食に良い程度の量。

当然美味しい、

専門店で毎回行列ができていますからね。

 

そして宿に帰りお昼寝タイム。

この時点で体は快調。

日本の事を全く考えないのでストレスも全く無し。

やはり病気はストレスが引き金でしょう。

 

夜は昨年から出来ている花蓮の自彊夜市に行く予定。

一昨年まで花蓮には宿から少し離れたところに

自強夜市がありました。

それが引っ越ししてきたのかな?

昨年もこの夜市に行きましたが

新しいだけに綺麗な夜市です。

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土曜日の朝目覚めたのは7時。

相方がやって来たので、目覚めた。

これからの48時間、

私が帰途につく月曜日の朝

7時まで彼女は休みだ。

 

彼女に365日、24時間の間に休日はない。

私が台湾人の介護ヘルパーを

48時間雇っている間だけが彼女の休息日なのだ。

 

この日は彼女の48歳の誕生日。

私の選んだ日が偶然だったのだが

「彼女は自分の誕生日を選んで来てくれた・・」

と思っている。

それはそれで良い。

 

夜は温泉宿なので、

この日はバースデイランチでお祝い。

「友達を呼んでよいか?」

と聞くので、

OKをだすと、

二人のピーナがやってきた。

「なんでも食べたいものを選びなさい・」

結局、

ステーキハウスで食事。

4人で2000元(NT$)日本円で7000円少しくらい。

彼女たちは平素、

質素な食事ですませているので高価な食事は知らない。

彼女たちにとっては、

かなりゴージャスな食事なのだ。

 

午後2時頃に特急列車に乗って瑞穂駅を目指す。

それにしても物凄い暑さだ、

日中は28度くらい、

台湾もこの日(4月8日)から夏日になったようだ

 

私がいつも泊まる花蓮の宿のオーナー。

もとは神戸の湊川の出身の方で、

香港出身の今の奥さんと再婚をして

民宿を今2軒経営している。

普段は太魯閣渓谷の案内人をしていて、

奥さんは観光タクシーの運転をしている。

花蓮の宿で検索をすると、

日本人オーナーの宿とでてくる。

 

私の台湾での主な宿はいつも此処。

3年前からは3泊のうち2泊目は温泉宿。

4年前の二日目は九分(チュウフン)の宿

(千と千尋の神隠しのモデルだったとか・違うとかの)

 

花蓮から特急で南下する事1時間。

瑞穂と書いてルイスイ、

瑞穂駅から6分ほどタクシーで走ったところにある

瑞穂温泉山荘。

神戸の有馬温泉と同じ鉄分を含んだ茶色い湯。

日本の統治時代に、

警察官の保養所として開かれた温泉だ。

現在は台湾人の個人経営。

ラオパン(社長)が片言の怪しい(笑い)

日本語を操る。

絶えず日本人客がいるので日本語でもOK.

ここは今回で3度目、

今回はミナミに16年間居たという

オバサンもお手伝いでいた。

 

朝食は付いているが夜の食事はない、

コンビニで買い持ち込み・・・

なにせ安宿なので・・

 

夕刻になると雨のせいもあり涼しくなってきて、

丁度良い温泉加減。

部屋のバスタブも物凄い勢いで

温泉水が出てくる。

湯量が半端なく多いらしい。

 

結局、

朝の食事までに露店風呂(水着着用の混浴)に3度、

部屋のバスタブに一度の計4回温泉に浸かった。

 

朝の食事はお粥と素朴な台湾料理のバイキング形式。

身体に優しそうなモノばかり。

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