[自分の持つ世界観、定義する価値体系の変化ついて]

前回書いたように今まで自分は極端に言うと唯物論主義者で「理系脳」、科学原理主義であり、「趣」や「愛」などといった概念の存在を重要視していなかったし、またそれ故にそのような概念に対する感受性が乏しかった。去年の冬ごろ、人間関係において解決が困難な問題に対面し、色々と基礎的な問題を考えさせれる機会があり、人間関係という「応用」的な問題に対する自分の考えの甘さに気づかせられた。そのことを経て自分は「人間」、「人生」を分析、考察するにあたっての考えを改めることとなった。人間の考え(唯物論的には脳の動き)は、量子力学的なレベルの問題でありまた10の1000000乗個程のシナプスからなる複雑ネットワーク理論も密接に絡んでいて、定性的な捉え方でしか考察できない。 よって人間の心情などは「感情」というマクロな定性的な量によってしか表現できない。今の自分の根源的な姿勢はこのようなものだ。しかしこの姿勢は結局は、唯物論主義者とは違うとは言えたとしても「趣」や「愛」を否定する「理系脳」、科学原理主義であることから脱却できていないのではないかのように思える。そこで、自分が新たに考えることは、「科学」自体も神秘的であり「趣」があり、また「趣」も科学的だということだ。 よく科学と文学的なものは対比されしばしば科学原理主義は批判されるが、両者とも自然界の摂理であり、この世は趣にあふれているのではないか。これ考えは自分の中にある一種の個人的な宗教といってもよいであろう。