今週も間もなく終わらんとする頃になってから、MAKIさんが月曜日に書いてくださったブログを、振り返っている日曜日、夜の入口。


「自己との再会・自尊心ランデブー!」とは、なかなかに刺激的かつエモーショナルな表現で、今週読んでいた丹羽文雄の随筆集の傍らに、書棚にあった奥さんの蔵書を引っ張り出して来た。


昭和の文筆家が、息子の国際結婚に猛反対したり、孫が生まれては溺愛したりしている、(占星術で言うなら、昨年の初夏から木星が座している蟹座的な?)とてもプリミティヴな愛の描写から、
南米で40歳直前から筆を執った作家が、小さな宇宙人に寄せて(「ちゃんとした大人」が敢えて読まないような細工まで冒頭に施して?)書き上げた、高い霊性を伴なった愛へと読み進みながら、
果たして、今の世界情勢を象っているパワーバランスは、ただの私利私欲なのか、党利党略なのか、国益至上主義なのか、あるいはそのどれでも無くて本当は視座の高い愛ゆえなのか、と
冷静な霊性で見つめてみたい、そんな気持ちになっている(最後の洒落は要らんかったと思うな、我ながら)。

生きていることと、死んでいることとは、思った以上に大差がない、と
こういうお話を拝読すると、改めて感じる。



私が彼岸生まれだから、なのかどうか、私自身は生死(せいし/しょうじ)の境目について、
本来あまり明瞭なものではないのだろう、と思っていて、

それは学生時代に哲学を学んでも、
宗教間対話の講義を受講してみても、
あるいは、占星術で言われる風の時代に入る辺りから、目に見えないものに意識を向けるようになってからも、
それと時を同じくして、神社仏閣へ足を向けることくを大事にするようになってからも、

というか、それらを知れば知るほど、感じれば感じるほど、
やはり生と死は、ただただ大した差が無さそうだな、というのが、腑に落ちる答えである。

もちろん、だからと言って、生きていることに価値がないわけではなく、
むしろ、瀬知さんも書かれているように、生きて三次元の中に居るときにしか味わえない体感/体験は、
もう少し生きてみよう、と思わせるのに十分なモチベーションとなる。

そういう意味で、私はまだ生きていたいし、生きてやってみたいことに本気で取り組むときには、
私なりに怖じ気付いたり、私なりに高揚感を憶えたりするのである。
(人からは、あまりそう思ってもらえないのは、まぁ御愛嬌ということにしておく。)

そんなわけで、年末年始に色々食べたり飲んだりして、それなりに身体が頑張ってくれたとは知りながら、
今日の仕事始めには、どうしても小倉トーストとコメチキを食べたくなって、
その両方を注文しては、コメダ珈琲にしては高額のランチとなって、苦笑いするのも、また一興である。

ということで、リブログさせてもらう割りに、大して有り難くもないし、大して役にも立たぬ話になったけれど、
滅多に見ない夢占いによると、何らか成長を意味することのようなので、今年の始めに当たって
「生きている」ことを強く感じられる年にしたい、と抱負を述べて、この雑文を閉じたいと思う。

夢占いはネットの海から頂戴しました。




前戯の夢についてXに挙げる私


FOURPLAY“foreplay”





私の長ったらしい文章を読む暇があったら、
そして年末の大掃除を思い煩う暇があったらw
MAKIさんのブログを読んでいただきたい、
と今年もあと僅かとなった今日に思う。
掃除しなくて良い、と言われるとしたくなる、
とラジオでは仰っていて、それは当にその通りやなぁ、と。
年末の大掃除という悪習(言い方よ)は、私の勤め先でもあって、
最終営業日には、やおら社長以下が昼過ぎから雑巾片手に、あちこち拭いて回る光景が、以前はあって、
そういう時の気分の上がらなさ、いやもっとハッキリ言えば気分の下がり方と言ったら、この上ないものがあったように思う。
(上がってんの? 下がってんの?、って歌詞がありましたっけね)

しかし、ここ数年は社長が年齢のためか、細かいことを言わなくなり、見事に大掃除の機運が盛り下がったところ、
俄然やる気を持って掃除に励むことが出来るようになったのだった。
勤め先は、不織布を商うため、それこそMAKIさんがお話しになっているような【ほこり】が絶えずあって、
幾ら拭いても掃いても、無くなるものではないのだけれど、
それでも号令が掛からなくなってからの自主的な大掃除では、
皆が自分の持ち場に降り積もった【ほこり】を集められるようになっていて、
MAKIさんのお布団屋さんが綿花なら、こちらはウッドパルプ主体だから、木材由来の細かな【ほこり】で、
それらを集めては何となしに、一年のお商売を振り返る縁(よすが)になっているように思う。

思うように、というよりは、思ってもみないように進んだ今年。
締め括るときには、そんな激動の一年を【ほこり】を持って過ごしたいものである。


たまたま今日出逢った、円空の一首を。

打蓋(うちおおう)
三世の仏の母なれや
糸一すじも
捨やらぬよに