つづき…
面会が許されて父に会ってきました。70日ぶりの再会です。担当医師や看護師さんから病状の報告を受けていましたが、実際会ってみると父はいつもの顔つきでしっかりとしていました。会ってみないとわからないものです。口からの食事が取れなくなってしまったので、鼻から管が入り栄養を送っていく経鼻経管栄養となってました。「経鼻経管」またひとつ医療用語を覚えました。
父、左手左足は動かないものの意識はしっかりしていました。
「私のこと分かる?」「私に会いたかったでしょう!」「よく頑張ってるね!」と声をかけました。父は顔をくしゃくしゃにして泣いてました。母が亡くなってから父は更に本当によく泣きます。看護師さんの話では、面会当日の朝、今日は娘さんが面会に来ますよ!と伝えたところ泣いていたそうです。
主治医の先生、看護師さん、理学療法士さん方の支えと声かけに沢山の力をもらっていることと思います。ですが左手左足が動かなくなり不自由になり、ご飯も食べられなくなり、家族にさえ会えずさぞかし寂しかったことでしょう。心細く押し潰されそうになり、生きていること自体が辛かったのではないでしょうか。娘や息子、孫たちに会えるまでは何としても死ねるかと、必死にもがいていたのではないでしょうか。
私の顔を見るなり、皆は達者にしてるか?と聞いてきました。元気にしてるよ、、等々最近の様子を伝えると懐かしくなったんでしょう、でももうそこには帰れないと察してか、とても寂しそうにしてまた泣き始めました。するとむせてむせて…父は一度むせると長いんです。看護師さんに吸引してもらい落ち着きました。右手には鼻の管やベットのガートを外さないように筒状のメガホンのようなものがはめられていました。何とも気の毒な姿でした。
医療依存度が低いとの理由で、療養型病床の病院から受け入れを断られたり、前向きなリハビリは難しいだろうとの理由で断られたりで、転院先の病院を探すのも難航していました。
父との面会ができるまでは、療養型病床よりも特養のがいいのかなと思って動いてましたが、まぁ意識がしっかりしてるので、頭を刺激してあげるためにも本当は特養さんのがいいんですけどね。ケアマネさんのフォローもあり、何とかならないかと片っ端から特養さんに電話で確認しましたが、夜間は看護師さん不在のとこばかりでした。
夜間、むせることはないとはいうものの、万が一むせた場合は吸引が必要なので、この医療行為は看護師さんでないと無理。これは病院への転院かなと感じました。これは面会してみて分かったことです。面会しなければ家族として判断ができなかったと思います。もっと早く面会を実現して欲しかったですね。
病院のソーシャルワーカーさん、あまりにも宛にならずまともな病院の紹介がない。驚きました。病床の空き情報等、病院のホームページを見れば誰でも分かること。病院の情報がソーシャルワーカーの元に入って来ないんでしょうか?このネット社会にあって不思議です。そういうネットワークがないのがおかしいと感じました。一体何のためのソーシャルワーカーなんでしょうか?沢山の患者さんや家族と向き合って大変だと察します。しかしもっと家族の心情に敏感になって、アグレッシブに動いて欲しいものです。その方が両者の利益を生むことに繋がります。病院同士の何かがあるんでしょうかね?率直な感想です。
患者本人にも会えず、少ない情報の中で本人に合っている病院を選んでいくのは大変なこと。患者本人が一番辛いことで、何かおかしいと思うばかりです。しっかりと感染対策をして短時間の面会をさせるべきでしょう。少なくとももうそういう時期にきているはずです。とはいえ、ここまで良くしていただいたこのご恩は忘れません。そこは感謝しかありません。
やっと見つけた病院から連絡があり今週面談となります。今年度から、療養型病床という呼び名から介護療養院というふうに移行となっています。その名の通り介護保険での運営です。
実は私は乳癌。。
無理はできないですし、体調と相談しながらマイペースでやってます。
今日も元気出していこう♪
つづく…
