【言語哲学】普通とは何だろう。

>哲学に関心のある者(自称)として、かなり様々な場で思案されてる典型的な"言語哲学"の一環[普通とは何だろう。]について個人的な見解及び“普通”というワードの構造を出来るだけ具体的に解説して行こうと思う。

【普通の定義(序論)】
先ずは本論に入る前に"普通"の[定義]や[定義に沿った構造]から解説していこう。
【普通の定義】
[有り触れたもので有る事。
それが妥当で有る事。]を指す。

🔺根本的な話を辿ると当たり前だが"普通"は2つの観点から見られる
>[客観性を主軸とした視点]と
>[主観性を主軸とした視点]だ。
双方のどちらかの選択に依ってこの先の解説内容も、意味(使用法等)は相違するし、見解やバイアス等も乖離する。
視点的な面で見て"一概"では無い時点で【普通】というワードは一括りで纏められるワードでは無い。

普通とは(本論)】
●結論から言及すると如上でも執筆した通り"一概に纏める事"は出来ない。
世界全体にアンケートを受けて貰った訳でも無ければ、完成の違いが生じて、普遍性の高いデータが取得出来ないからだ。
その時点で価値観にも左右され、どの読者にも妥当と思わせる事が出来ないかもしれない。
その為我等が度々使用する"普通"というワードは語法としては確りしたワードではない。

【普通】というワードの矛盾性
・・・ッスー…「他と特に異なる性質を持ってない様」いやまぁ一見「は?」ってなる意味よな。
ニュアンス的にも。
具体的に言及すると"普通"ってワードが指してる者に依って[矛盾する]か[矛盾しない]が相違してくる、違いは簡単な話。

[客観性で見てる]か[主観性で見てる]かだ、如上の🔺で言及した事はこの事も含めだ。
(全人類に調査をとった訳ではなく飽く迄も推測状態である事を前提として。)

主観性で見たならば感性によって相違するからその人にとって「異なる性質はない」って形で成立する。
例えば「僕にとってはジャイ子は可愛いです、自分にとっては可愛いと思うのが普通です。」別に違和感はないだろう?個人的な見解なのだから。

だが客観性を重視してみた場合[価値観・感性・見解]が人それぞれなのだから"他と特に異なる性質を持ってはいない"というロジックは破綻兼矛盾してると言える。

例えばジャイ子推しの方が「ジャイ子は可愛いのは客観的に見て普通です。」と言おう、そこで
[A・B]に意見を聞こう。
題《ジャイ子は可愛いか可愛くないか》という質問内容。
A「めちゃ可愛いです!」
B「この世の森羅万象全ての顔な於いて比較にならない程のクソブス!」あらま意見が別れました。
この様に様々な意見がある為"他と異なる性質はない"という意見を客観的に見て捉えるのは矛盾する。

【一度“普通 "から目を背けると…】
新たな発見等をした時「こんなのが有ったんだ!!」と驚愕した事は無いか…?
今まで一つのやり方しか無いと思っていたその物に他のやり方があったりとか・・・そう、意外と「これが当たり前、普通」と思っていても実際は他のケースがあったりもするものだ。

又、自分の中の普通と乖離した行動をしてる者を見て「・・何あいつ…こんなやり方考えられ無いだろ…頭おかしいだろ…異端人だ…。」と感じ取ったことは無いだろうか…?そう感じる理由は⤵

我々人間は“普通”に囚われ過ぎているというのがある。
それは“普通”というワードの定義を誤認していて、[正当・合理的事を指す。]と解釈しているからだ。
だから「普通の事をしないのはおかしい・・異端だ・・」とレッテルを貼る。
だからと言って「明らかに普通ではない犯罪に繋がる様な行動をしても良い。」と言う訳でもないが。

【最後に(結論)】
普通にばかり囚われず着目点を変えて、違う方向を見てみるのも有りかもしれない・・・そこには新たな世界が広がってるかもしれない。
また意外と、「普通とはかけ離れた行為が金になる」ってのもある、後のSNS投稿者等だ。

これが俺から見て取れる普通だと思う…。