選抜高校野球で活躍した投手の投球数が一般的でないとのことで議論が交わされている。

数字だけを見ると「無茶」「酷使」であると思う。

ここで、誰がそれをさせたのか?

当然、「監督」である。

たとえ、選手が直訴したとしてもそれを許したのも監督である。

このように書き綴れば悪者は監督となる。

が、、、、

そこに裏付けがあればそれは普通のことであり非難をする外野の声こそが何も分からずに騒いでいる阿呆共となる。

その選手がどんなものかはわからないので別ものの考え方として肯定をしてみる。

例えば通常の選手より並外れた筋力を持っている。

通常の選手より数倍回復力がある。

通常の選手より地肩が強い。

想定したトレーニングを積み重ねクリアできる状態に仕上げてある。

このような状態であればそれも可能である。

しかし、そうであったとしても「限界」はあるはずだ。

目の前の勝ちにこだわりすぎて「気力」で投げ続ける。

そこで燃え尽きるならそれでもいいかもしれない。

先を考えすぎて十分なコンディションにもかかわらず「規定数」を盾に「役目」「仕事」と割り切る事も学生野球ではどうかとも思う。

その見極めをするのが常日頃から選手の状態を把握している「監督」「コーチ」である。

A君はここまでだけどB君はそこまで行ける。

これを基本に組み立てるのであるが、

ここまでのA君は低めに球がきてるからまだ大丈夫。

そこまでのB君はインハイの球が増えてきたので変え時だ。

それが50球でも100球でも150球でも関係ない。

そのイニングの投球コンディションでの判断となることだろう。

そこで負けたら次がない高校野球の全国大会。

どこに対して「心を鬼にする」かで監督の器が計られることだろう。

少年野球に戻してみよう。

私もかつて6年生に1試合150球以上投げさせたこともある。

その投手は柔軟性、持久力もありしっかり走り込みができていてる前提の中で途中気のない投球をしたこともあり責任を持たすために投げ続けさせた。

別の投手には大会全試合を先発完投させた。
エースである自覚を持たせるためである。
その選手も体力的にはまったく問題のない選手である。

根本的にこの二人は投げきることができる練習をしてきた自負があるためそうさせたことが大前提にあるのです。

それは勝つためではなく育てるための一貫であるが「酷使」だったのかもしれない。

しかし、どこかでその壁を突き破らなければ向こうの世界を見ることができない。

踏ん張る時期は誰しもある。

二人とも高校3年まで投手として野球を続けてくれた。


現在の小学生選手にはどうか?

そこまで根性のある選手が出てきたら別であるがほとんど無理でしょう。

今は無理せずそれでいいと思う。

根性が備われば顔つきが変わる、そうなれば壁に立ち向かおうとする。

その時にお手伝いをしてあげればいいかと思う。

少年野球自体が過渡期なのかもしれません。

時代を見ながら指導することも大切ですね。

そんな覚書を書き留めてみました。