「猫が体調を崩した、もう長くないかもしれないから覚悟しておいて」という言葉を受けて、私は7月の初めに実家に一度帰ることにした。大学に入ってから会っていなかったため、3か月ぶりに会うことになった。久しぶりに見た猫は食べる力も衰え、鳴いた声も弱々しかったのを覚えている。

 

うちの猫は脳に腫瘍があったらしく、成長するにつれてだんだん歩けなくなっていき、寝たきりの状態になっていった。しかし私が高校生の頃はお腹が空いたときや、尿意・便意をもよおしたときは声を出したり、鳴き声をあげたりして教えてくれていたので3か月でこんなにも弱ってしまっていたなんて思わなかった。

 

そして実家から帰った数日後、猫は亡くなったと親から伝えられた。その時は「そっか、寿命だったんだ」と頭では理解していても、完全には理解できていなかったようで、その証拠に猫が生きている夢を2回見た。母が喜ぶ姿や生きている猫の姿を見て、嬉しくてたまらなかった。だから起きた時は、猫はもういないという事実を突きつけられてとてつもない虚無感に襲われた。悲しくて仕方なかった。日を重ねるうちに悲しみは薄れていったが、今も思い出しながら書くと涙と鼻水が止まらない。

 

苦しんでいるペットに少しでも長く生きていてほしいと思うのは自分のエゴで自分の思い通りにしようとしていないか、意思疎通ができないペットは本当は苦しみたくない・楽になりたいと思っていたのではないかと考えたりもした。

 

また、ペットの死に向き合うたびいつも思うことがある。1つは死後、自分はどうなるかだ。死んだ後どうなるかなんて誰も分からない。その不明瞭さが私を不安にしているんだと思う。もう1つは大人になりたくない。年を取りたくないということだ。私はこれから祖母・祖父・母・父と別れることになる。未来を考えるたび悲しくなるし、孤独感を覚える。もちろん生きている限り、死がセットになるのは分かっている。

でも認めたくないという気持ちが私の中にあるのだ。

 

今まで誰にも言えなかったことがここで吐き出すことができて、少しすっきりした。死に向き合うためにも、今ある縁を大事にしてたくさんの思い出をつくりたいと思っている。